第三百八十四話あらゆる可能性を試す
菱田春草(ひしだ・しゅんそう)。
37年に満たない短い生涯で、彼ほど新しい画風を模索し、西洋画の台頭に真っ向から挑んだ賢人がいるでしょうか。
「朦朧体」と呼ばれる、線画をなくした画法で描いた『王昭君』。
細かな点描で画いた『賢首菩薩』。
春草・最高傑作と言われる、斬新な奥行きを成功させた『落葉』など、彼は常にその場にとどまることを嫌い、新しい画風に挑戦し続けました。
春草の絵を所蔵している日本画専門の美術館が、長野県長野市にあります。
水野美術館。
長野県千曲市出身の実業家・水野正幸(みずの・まさゆき)が、長年かけてコレクションした珠玉の作品が展示されています。
水野は、なぜ、日本画を集めたのか?の問いに、こう答えたと言います。
「日本人だから」
菱田春草もまた、日本人が画く、日本画にこだわりました。
明治維新以降、日本に急速に流れ込む、西洋の文化。
日本画壇も、その大きな流れに翻弄され、西洋風な日本画がもてはやされます。
しかし、西洋画のリアリズムには、かなわない。
どこまでも三次元な画風を、日本画に移植するのは、至難の技だったのです。
そこに臆することなく挑んだ画家のひとりが、春草でした。
彼は、言いました。
「それにつけても、すみやかに改善すべきは、従来ゴッチャにされていた距離なのです」
空間、奥行き、三次元。
春草は、悩み、試し、失敗し、また悩み、試す。
その繰り返しでしか、新しい可能性の芽は育たないと、知っていたのです。
春草の師匠だった岡倉天心は、若くして亡くなった春草に、こんな言葉を投げかけました。
「菱田君のごときは、各時代に僅少なる、すなわち、美術界に最も必要なる人物の要素を備えていた人である」
明治期のレジェンド、日本画の巨匠・菱田春草が人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
日本画の大家・菱田春草は、1874年9月21日、南アルプスをのぞむ、現在の長野県飯田市に生まれた。
飯田藩主につかえる、家柄。
父は、版籍奉還の後、その経理の手腕を買われ、第百十七銀行の銀行員となる。
春草は、幼い頃から絵を画くのが好きだった。
ただ、天才、というほどではない。
父も母も、学問の大切さを知っていた。父は言った。
「いいか、春草、こういう、揺れ動く世の中では、おのれが、どれくらい学んだかが勝敗を分けるんだ。
人生をまっとうしたいなら、学べ、学べ、学べ。
感覚だけで生きていると、迷ったとき、どっちの道に行っていいか、わからなくなる。
裏付け、そう、裏付けが大事だ。
裏付けをつかさどるのは、知識や知恵、学問なんだ」
6歳で飯田学校に入学。
優秀な成績をおさめ、高等科に進学。
図画と算数を教える中村先生に、こう言われる。
「君は、あれだな、絵がうまい。筋がいい。どうだ、画家にならないか?」
菱田春草は、中村先生の推薦を受け、開校間近の東京美術学校を受けるべく、兄を頼って上京する。
見事、美術学校に合格。
学校で学ぶというスタイルが、春草には合っていた。
ひたすら、デッサンに次ぐ、デッサン。
手はいつも真っ黒だった。
古い絵の模写も、しつこいくらいにやらされた。
絵を志す血気盛んな若者は、みな、この二つを嫌がった。
個性を発散させたい、その衝動が授業をサボらせる。
でも、春草は違った。
言われたとおり、きっちりやる。
まわりの同級生から馬鹿にされても、気にしない。
「学ぶことは、大事だ。新しいことをやろうにも、今のボクには何もない」
そんな愚直な姿勢を見ている、教師がいた。
岡倉天心。
天心は、ある日、春草を学校の中庭に呼び出した。
「春草君、キミはいいね、真面目でいい。
個性なんてもんは、声高に訴えるもんじゃない。
隠そうとしても、あふれ出るのが個性なんだ。
まずはしっかり学ぶ。必要なことだ。
どうだろう、キミ、写生をもっとやらないか?
自然を見て、自然を白い紙に置いてみる。
そうして見える世界があるんだ。
写生のクラスに、キミを推薦しておくよ」
目の前の風景を、いかにして紙に定着させることができるか。
三次元を、二次元に置き換える。
やればやるほど、難しい。
でも、ワクワクした。
「もし、この難題を解けたら、ボクは日本一の画家になれるかもしれない」
菱田春草が美術学校で最初に提出した作品は、「化物画だ!」と揶揄、否定された。
『太平記』を題材に、殺された西園寺公宗(さいおんじ・きんむね)の妻が、あばら家で子どもを産み落とし、泣き暮れる姿を描いた。
劇的な構図。
写生を続けた画力があるからこその描写だった。
岡倉天心だけが絶賛する。
「この絵には、意味があります。
日清戦争で国民が抱いた思いが痛いほど伝わってくる。
春草君は、絵に意味を持たせた。
もしこれが化物画だとするなら、戦争自体が化物なんです」
褒める一方で、岡倉は春草に言った。
「まだまだ、キミは試す必要がある。
西洋の真似をしてもいい、一度、食われてしまえばいい。
でも、その腹を食い破って外に出ないと、日本画の未来は…ないんだ」
春草は、理知的に絵画をとらえた。
どうすれば、西洋画と日本画が融合できるか。
どう画けば、日本画独自の境地に達することができるか。
試す、失敗する、また試す。
それを愚直に繰り返すしかない。
菱田春草は、生涯、学ぶことをやめなかった。
【ON AIR LIST】
IMEN DUNIS / VAHAGNI Feat. Ara Malikian
氷雨月のスケッチ / はっぴいえんど
January 4 / 角銅真実
ONE HUNDRED WAYS / Quincy Jones
★今回の撮影は、「水野美術館」様にご協力いただきました。ありがとうございました。
水野美術館では、2023年1月3日(火)~2023年3月26日(日)まで、『水野コレクション「花鳥を愉しむ ―池上秀畝、松林桂月、花鳥画の名手たち」』を開催予定です。
また、広島県にあります「奥田元宋・小由女美術館」では、2023年4月20日(木)より、水野美術館の特別協力により『菱田春草と画壇の挑戦者たち -明治・日本画の前衛を駆ける-』を開催予定です。
それぞれの開催スケジュールなど、詳しくは各美術館の公式HPをご確認ください。
水野美術館 HP
奥田元宋・小由女美術館 HP
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