第三百五十二話己の眼差しを守り抜く
香月泰男(かづき・やすお)。
生誕110年を迎える今年、記念展が全国を巡回しています。
宮城、新潟、神奈川、東京、そして現在は栃木県・足利市立美術館。
戦後の日本美術界に多大な影響を与えた作家の足跡を、年代順に辿ることができます。
香月の代表作といえば、自身の戦争や抑留体験を描いた、「シベリア・シリーズ」。
全57点のキャンバスに彼が刻んだのは、戦争の残忍さや、日常が破壊され、生死の境を生き惑う人間の哀しさ、怒り、死者への鎮魂、そして平和への祈りです。
黒い画面に、まるで骸骨のように白く浮かび上がる人々の顔、顔、顔。
およそ2年の厳しいシベリア抑留から引き揚げてきた香月は、しばらく、日常の絵しか画けませんでした。
親子の情愛、台所の風景、ふるさとの植物たち。
シベリアでの体験は、決して家族に語ることはなかったそうです。
ただ、あるとき、息子が学校の工作でグライダーを作ろうとしたとき、静かにこう言って止めました。
「おまえたちがそんなものを作るから、また戦争になる」。
香月は、その生涯のほとんどを、ふるさと、三隅町、現在の山口県長門市で過ごしました。
「ここが、私の地球だ」と語り、三隅の自然や人々を愛したのです。
三隅にある「香月泰男美術館」には、彼が戦時中も決して手放さなかった絵具箱が展示されています。
彼はどんな時も、絵具箱を抱え、いつでも絵が画けるように、対象を見つめ続けました。
その眼差しは、常に優しく、一方で、常に冷静。
人物や植物の奥底にある「心」を映し出そうとしたのです。
彼の妻が書いた珠玉のエッセイ『夫の右手 ~画家・香月泰男に寄り添って』には、長年連れ添った妻だからこそ知りえる、香月の素顔が綴られています。
香月は、よくこう言っていたそうです。
「わしは いらん者じゃった」
自分はこの世にいらないもの、そんな孤独と絶望が、彼の視線を研ぎ澄まし、日常の中のささやかな愛を見つけ出していったのです。
62年の生涯を全て絵に捧げたレジェンド・香月泰男が人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
戦後の日本を代表する洋画家のひとり、香月泰男は、1911年10月25日、山口県大津郡三隅町、現在の山口県長門市に生まれた。
父は開業医。香月が幼い頃、両親は離婚し、母は家を出ていった。
この体験が、のちに彼を苦しめる。
「お母さんは、どうしてボクを置いて、出ていったんだろう。
ボクが嫌いだったのかな。
ボクなんか、この世に生まれないほうがよかったのかな」
父も家にじっとしていない。
香月は、祖父母に育てられる。
祖父も医者。しかも、村長を二期務めた重鎮だった。
祖父のしつけは、厳しかった。
甘えたい盛りの香月に容赦ない。
祖父の布団を敷く係だったが、敷く位置が少しでもずれていると、こっぴどく怒られた。
祖父が帰宅するときは、家族全員、直立不動で出迎える。
あるとき、香月はお腹がいっぱいになり、居眠りして玄関に立てなかった。
2時間、説教をくらう。
蔵の中に閉じ込められることもあった。
でも、それは香月にとって、うれしい時間。
なぜなら、大好きな絵を思う存分画けるから。
とにかく、絵を画くのが好きだった。
小学4年生のとき、朝鮮に渡った父が亡くなる。
両親の愛を知らず、厳格な祖父に対峙する日々。
絵だけが、この世に自分をつなぎとめる命綱だった。
「シベリア・シリーズ」で知られる洋画家・香月泰男は、中学4年生のとき、離れて暮らす実の母に手紙を書いた。
どうしても油絵の道具を買ってほしかった。
後にも先にも、母にお願いをしたのは、その一回きりだった。
母は、別の男性と結婚。
亡くなっていれば、諦めもついたのかもしれない。
会おうと思えば会える場所に、母はいる。
自分とは、他人の母が。
混乱し、自暴自棄になりそうな気持ちも、絵を画いているときは忘れることができた。
やがて、母から絵具箱が届く。
うれしかった。
香月はその絵具箱を、まるで自分の命の分身のように、生涯大切にした。
祖父の反対を押し切り、美術学校に入学。
ブラマンク、ゴッホ、梅原龍三郎などに傾倒。
特にピカソには、多大な影響を受けた。
自分なりの画風を探す旅。
どうやったら、自分らしい絵が画けるのか。
彼は悩み、もがいた。
そうして、自分の眼差しに忠実であることにたどり着く。
「誰かの真似をしていても、先には行けない。
この世の余計者である自分にしか見えないものを画いてみよう」
彼は、中学校や高等女学校の美術教師をしながら、自分だけの絵を追求した。
洋画家・香月泰男は、とにかく絵さえ画ければ幸せだった。
右手は、絵を画くことだけに使いたい。
そう思った彼は、授業中の板書や手紙、日常生活はなるべく、左手を使った。
結婚し、子宝にも恵まれ、念願の家族を持つことができるようになった30代。
ようやく、自分なりの画風を獲得する。
それは、のちにこう呼ばれた。
「逆光の中のファンタジー」。
その当時の秀作『水鏡』では、坊主頭の少年が浴槽をのぞきこんでいる。
青黒い水には、枯れた枝が浸かっていて、少年の表情は見えない。
まるで生死の境目を見つめているような静かな時間が流れている…。
三隅にいながら、香月は自分の眼差しで、世界を見ていた。
絵のテーマは全て、自分の中にある。
自分の眼差しを守り切ることができれば、画題に困ることはない。
招集を受け、戦地に赴くとき、母から買ってもらった絵具箱を持参した。
シベリア抑留中も、絵具箱を開き、絵具の匂いをかぐと、壊れてしまいそうな心を整えることができた。
いつか、自分が無事帰国することができたら、遺族に渡したいと、亡くなっていく仲間の死に顔を、泣きながらスケッチした。
今見ているものから、目を背けてはいけない。
そこにこそ、真実があるのだから。
唯一無二の画家・香月泰男は、絵を画き続けることで、命の尊さを叫んだ。
【ON AIR LIST】
シベリヤ・エレジー / 伊藤久男
少年であれ / 高橋優
THE PAINTER / Neil Young
★今回の撮影は、「香月泰男美術館」様にご協力いただきました。ありがとうございました。
開館スケジュールなど、詳しくは公式HPにてご確認ください。
香月泰男美術館HP
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