yes!~明日への便り~presented by ホクトプレミアム 霜降りひらたけ

第百十三話 自分の五感を信じる -【大阪篇】作家 司馬遼太郎-

yesとは?

  • 語り:長塚圭史
  • 脚本:北阪 昌人

『自分にyes!と言えるのは、自分だけです』
今週あなたは、自分を褒めてあげましたか?
古今東西の先人が「明日へのyes!」を勝ち取った命の闘いを知る事で、週末のひとときをプレミアムな時間に変えてください。
あなたの「yes!」のために。

―放送時間―
TOKYO FM…SAT 18:00-18:30 / FM大阪…SAT 18:30-19:00
FM長野…SAT 18:30-19:00 / FM軽井沢…SAT 18:00-18:29

閉じる

第百十三話自分の五感を信じる

この夏公開された映画『関ヶ原』の原作者は、国民的な作家、司馬遼太郎です。
複雑な人間関係や入り組んだ政治や軍事を、わかりやすい平易な文体で描き、壮大な人間ドラマを具現化しました。
『竜馬がゆく』『坂の上の雲』『街道をゆく』など、数多くの名作を世に残した司馬は、大阪府大阪市に生まれました。
東大阪市にある司馬遼太郎記念館は、彼のかつての自宅と、安藤忠雄設計の建物で構成されています。
司馬が愛した雑木林の庭から見える、彼の書斎。
机の上には、愛用の万年筆、そして推敲用に使った色鉛筆が、当時そのままに置かれています。
彼は、厖大(ぼうだい)な蔵書を持っていました。
その数、およそ6万冊。
その迫力を少しでも感じてもらおうと、記念館には、およそ2万冊の蔵書が、天井まで伸びる書架に納められています。
彼は、とにかく資料を読み込みました。
自分で調べ、自分の目で見て感じ、自分の足で稼いだ情報しか信じない、そんな信念を裏打ちしていたのは、「知らない自分」を知り、森羅万象に謙虚であったからに違いありません。
司馬遼太郎、本名、福田定一。
彼がなぜ、そのペンネームを使うことになったのか。
「司馬遷には、遥かに及ばざる、日本の者」。
歴史家の偉人、司馬遷には、遠く及ばないという謙虚さこそが、彼を厖大な資料から調べ尽くすという苦難の道に導いたのです。
簡単に情報が入る今の時代だからこそ、彼が私たちに問いかけることが多くあるように思えてなりません。
歴史とは何か?と聞かれると、司馬は、こう答えたといいます。
「それは、大きな世界です。かつて存在した何億という人生が、そこにつめこまれている世界なのです」。
小説家、司馬遼太郎が、その生涯でつかんだ明日へのyes!とは?

作家、司馬遼太郎は、1923年8月7日、大阪市に生まれた。
父は薬剤師。薬局を営んでいた。
兄がいたが2歳で亡くなり、司馬も病気で3歳まで母方の実家に里子に出された。
小学校に入ると、野山を駆け回るガキ大将。学校が嫌いだった。
将来の夢は、戦車隊の小隊長になること。遠い大陸の馬賊に憧れた。
中学に入っても勉強が嫌いで、300人中ビリに近い成績に本人も驚いた。
慌てて勉強したら、あっという間に20位以内に入った。
中学1年生のある英語の授業でのこと。
「ニューヨーク」という地名が出てきた。司馬は手をあげた。
「先生!この地名には、どんな意味があるんですか?」
先生は、烈火のごとく怒った。
「アホかぁ!地名に意味なんか、あるか!」
司馬は、納得がいかない。
初めて図書館という場所に入って、自分で調べた。
「もとはオランダの植民地で、ニューアムステルダムと呼ばれていたが、1664年にイギリス軍に占拠された。当時の国王の弟の名前がヨークだったので、ニューヨークになった」。
わからないことを自分で調べる。ただそれだけのことが嬉しかった。
「図書館っていうのは、すごいなあ。ここに来たら、なんでもわかる。ああ、いいところを知ったなあ」。
以来、学校は嫌いだが、図書館には足しげく通うようになる。
この体験は、作家になってからも生きていた。
『坂の上の雲』という小説を書くため、古本屋を片っ端からめぐり、「日露戦争」という単語の入った本を全部買い求めたという。
海軍士官の制服の袖についている金色の線。
その意味が知りたくて、資料を探し、ひとに尋ねる。
ようやくわかったのは、かつて甲板士官が腕に細いロープを巻いていた名残りだということ。
些細なことこそ、丁寧に調べた。
自分で調べる。そんな単純な積み重ねでしか、高みにはのぼれない。
愚直であること。
手間暇を惜しんでいては、坂の上の雲に、手は届かない。

作家、司馬遼太郎が22歳の誕生日を迎えたその8日後に、日本は降伏した。
終戦の体験は、いつまでも彼の心に残り続けた。
昭和20年、司馬は、栃木県にある戦車隊の隊員だった。
部隊に、ある日、大本営の少佐がやってきた。
将校が少佐に尋ねた。
「少佐殿、我々の連隊は、敵が上陸すると同時に南下、敵を水際で撃退する任務を持っております。しかしながら、東京都民が避難のため、北上することは必至。街道の大混雑が予想されます。そんな中、我が戦車隊は、立ち往生してしまうと考えられます。いかがいたしますか?」
少佐は、すぐさまこう言った。
「ひき殺して進め」
それを聞いた司馬は、思った。
「やめたやめた。オレは戦車が故障したことにして、その場所で敵と戦うことにしよう。日本人のために闘っているはずの軍隊が、味方をひき殺す?その論理はいったいどこから来るんだ?おかしい、何かがおかしい!」
日本人とは何か?人間とは何か?
司馬の心に、大きな疑念が擦りこまれた。
作家、司馬遼太郎の書く小説には、絶えず、この疑念への彼なりの答えが描かれている。
「自分にきびしく、相手には優しく」
ひとりひとりが、ただそのことだけを実践すれば、この世はもっと生きやすくなるのに・・・できない人間とはいったい、なんだ。

作家、司馬遼太郎は、終戦後まもなく、大阪の小さな新聞社で記者になった。
25歳の時、産経新聞京都支局に入り、以来、37歳で直木賞をとるまで新聞記者として働いた。
1950年金閣寺放火事件があった。犯人は寺に住む21歳の修行僧。
ただし、動機がわからない。
このとき、司馬が犯行動機をスクープした。
なぜ、スクープできたのか。
それは日ごろから足しげく、寺や大学を回っていたからだ。
雨が降ろうが雪が降ろうが、自分で取材する。
ひとから聞いた情報ではなく、自分の足で稼ぐ。
自分が見たもの、聞いたもの以外、信じない。
そうしてできた人間関係が、実を結んだ。
1960年、直木賞を受賞。
しかし同じ新聞社の仲間は、同僚の福田があの司馬遼太郎であることをほとんど知らなかった。
直木賞受賞パーティーを取材した記者仲間が、「あれ?なんで福田君が挨拶しているのかな」と思ったらしい。
新聞社を退社して筆一本になった。
かつてお世話になった産経新聞で『竜馬がゆく』を連載するとき、社長が破格の原稿料100万円を出した。
当時のサラリーマンの月給は5万円ほどだった。
社長は言った。
「福田君、これで一生でただひとつの小説を書きなさい」。
司馬はその気持ちに打たれ、もらった原稿料をほとんど資料代に使った。
その額の多さは、税務署が資料代と認めてくれないほどだった。
「資料を買って、こんな金額になるわけがない」
自分で調べ、舞台になる場所に出かけ、ひとに会う。
それをただひたすら繰り返しながら、作品を紡ぐ。
どんな脇役の人物も想像だけで書かない。
丁寧にひとの人生に向き合う。
作家、司馬遼太郎は言った。
「人間にとって、その人生は作品である」
だから、彼はどんな人物にも、優しい眼差しを向け続けた。

【ON AIR LIST】
やわらかい月 / 山崎まさよし
Stand Alone / 森麻季
Perfect Day / Lou Reed
僕の心をつくってよ / 平井堅

音声を聴く

今週のRECIPE

閉じる

霜降りひらたけの牛すき煮

今回は、司馬遼太郎の生まれ故郷、大阪市で盛んに栽培されている、春菊を使った料理をご紹介します。

霜降りひらたけの牛すき煮
カロリー
310kcal (1人分)
調理時間
20分
使用したきのこ
霜降りひらたけ
材料
【2人分】
  • 霜降りひらたけ
  • 1パック
  • 牛肉(薄切り)
  • 120g
  • 焼き豆腐
  • 1/3丁
  • 長ねぎ
  • 1/2本
  • 春菊
  • 1/2束
  • 白滝
  • 1/3袋
  • 【A】しょうゆ
  • 大さじ3と1/2
  • 【A】みりん
  • 大さじ2
  • 【A】酒
  • 大さじ2
  • 【A】砂糖
  • 大さじ2
  • 【A】水
  • 1/2カップ
作り方
  • 1.
  • 霜降りひらたけは食べやすくほぐす。
  • 2.
  • 春菊は縦4等分に、長ねぎは斜めに切る。焼き豆腐は一口大に、白滝はざく切りにする。
  • 3.
  • 鍋に【A】を入れ、霜降りひらたけ、春菊、焼き豆腐、白滝を入れて火にかける。煮立ったら7、8分煮る。
  • 4.
  • 長ねぎを入れて5分程煮込み、牛肉を広げて入れ、更に2、3分煮たら火を止める。
  • ※お好みで生卵をつけたり、七味をふっていただく。
  • recipe LIST

閉じる

ARCHIVE

閉じる

RECIPE LIST

閉じる

番組へのメッセージ

閉じる

PROFILE

  • 長塚 圭史

    語り:長塚 圭史

    1975年生まれ。東京都出身。96年、演劇プロデュースユニット「阿佐ヶ谷スパイダース」を旗揚げ、作・演出・出演の三役を担う。08年、文化庁新進芸術家海外研修制度にて1年間ロンドンに留学。帰国後の11年、ソロプロジェクト「葛河思潮社」を始動、三好十郎作『浮標(ぶい)』を上演する。近年の舞台作品に、『鼬(いたち)』、『背信』、『マクベス』、『冒した者』、『あかいくらやみ~天狗党幻譚~』、『音のいない世界で』など。読売演劇大賞優秀演出家賞など受賞歴多数。
    また、俳優としても、NHK『植物男子ベランダー』、WOWOW『グーグーだって猫である』、WOWOW『ヒトリシズカ』、CMナレーション『SUBARUフォレスター』など積極的に活動。

  • 北阪 昌人

    脚本:北阪 昌人

    1963年、大阪生まれ。学習院大独文卒。
    TOKYO FMやNHK-FMなどでラジオドラマ脚本多数。
    『NISSAN あ、安部礼司』(TOKYO FMなど全国FM37局ネット)、『ゆうちょ LETTER fo LINKS』(TOKYO FMなど全国FM38局ネット)、『世界にひとつだけの本』(JFN)、『AKB48の私たちの物語』(NHK-FM)、『FMシアター』(NHK-FM)、『青春アドベンチャー』(NHK-FM)などの脚本・構成を担当。『プラットフォーム』(東北放送)でギャラクシー賞選奨、文化庁芸術祭優秀賞受賞。『月刊ドラマ』にて、『ラジオドラマ脚本入門』連載中。
    主な著書に『世界にひとつだけの本』(PHP研究所)、『えいたとハラマキ』(小学館)がある。

閉じる

NEWS

特別版『オードリー・ヘップバーンが教えてくれる、明日へのyes!』
常盤貴子さん長塚圭史さん
風も、雨も、自ら鳴っているのではありません。 何かに当たり、何かにはじかれ、音を奏でているのです。
誰かに出会い、誰かと別れ、私たちは日常という音を、共鳴させあっています。
YESとNOの狭間で。
あなたは、自分に言っていますか?
YES!ささやかに、小文字で、yes!
毎週土曜日、明日(あした)への希望の風に吹かれながら、自分にyes!と言ったひとたちの物語を朗読でお届けしている番組『yes!明日への便り』。 1月8日は、その特別版「オードリー・ヘップバーンが教えてくれる、明日へのyes!」をお送りいたします。
2018年に没後25年を迎える稀代の大女優オードリー・ヘップバーンの波乱万丈な人生―女優になるまでの波乱に満ちた半生、輝かしい女優時代、ユニセフ親善大使として世界中の子どもたちに尽くした晩年までを、 女優の常盤貴子さんが演じます。
長塚圭史は「語り」の部分やオードリーの夫、また彼女の人生に影響を与えた映画監督の役を担当します。女優、オードリー・ヘップバーンが、私たちに教えてくれる、明日へのyes!とは?

閉じる