第二十八話書き続ける力
旧軽井沢にあった木造の家を設計したのは、磯崎新。
彼の作品の中でも名作の誉れが高い建築で知られています。
フランス文学者であり、西欧の影響を受けた芸術性の高い小説で有名な作家・辻邦生は、軽井沢を愛しました。
フランス留学から帰国した、39歳の夏。
初めて訪れて以来、夏は必ず貸別荘で過ごすようになりました。
51歳のとき、ついに別荘を購入。執筆は夏の軽井沢と決めました。
1999年、73歳で亡くなった場所も、別荘でした。
彼は旧制松本高校出身で、信州に強い愛着と思い入れを持っていたのかもしれません。
若かりし頃の寮での生活。そこで知り合った北杜夫とは終生、親交を持ちました。
学習院大学でフランス文学の教鞭をとっていた頃、彼は目白の中華料理店で学生からこんな質問を受けます。
「辻先生、作家になるには、どうしたらいいんですか?」
辻邦生は、しばし考え、端正な横顔を向けたまま、こう言いました。
「ひとと違う生き方をしたいなら、ひとと同じように生きていてはダメなんだ。そういう単純なことを、キミたち学生は忘れがちだ。努力が嫌なら、ひとと同じ道を選びなさい。作家にはね、いいか、努力が必要だ。どんなときも、どんなことがあっても、書き続ける力が必要なんだ」
大学の教授でありながら旺盛な執筆活動を死ぬまで続けた辻邦生。彼が心に培った、人生のyesとは?
作家、辻邦生は、1925年、東京の本郷に生まれた。
父は、新聞記者で琵琶奏者、母は医者の家系だった。
東大のフランス文学科に入り、研究者の道を志す。卒論は『スタンダール』だった。
大学院に進み、卒業後、結婚。立教大学の助教授を経て、後に、学習院大学文学部フランス文学科の教授になった。
32歳からの4年間、パリに留学したことが彼の人生の転機になった。
ヨーロッパの文化、その精神性や宗教観、芸術の奥深さに触れた。
異文化にひたることで、彼の中に化学変化が起きたことは間違いないだろう。
さらにそこで、彼はある事実を深く知るようになる。
それは西欧に落ちる、戦争の影。
特にアウシュヴィッツの現実は、彼に人間にとっての『希望』の在り方を提示した。
ロマン・ガリというフランスにいた作家の存在を知った。
ロマン・ガリの『天の根』という小説。
そこにはドイツの収容所に囚われたフランス軍の兵士が出てくる。
彼らは辛い現実に生きる望みを失っていく。
あるとき、ロベールという兵士がみんなに言った。
「ねえ、オレたちの中にさ、ひとりの可愛い素敵な女の子を創ってみようぜ」
兵士たちは、思い思いに空想した。
可愛い女の子がいることで、彼らは男らしく振る舞うようになった。
下品な話をしない。いつも凛とした態度でいた。
フランス兵たちの異変に気づいたドイツ兵は、収容された部屋に誰かをかくまっているのではないかと、床の下まで探した。
もちろん、何処にもいるはずがない。
結果、その部屋のフランス兵たちだけが生き延びることができた。
この話から、辻邦生は、後の人生を決めるあるものを受け取る。
フランス留学から戻って数年後、彼は『廻廊にて』という小説で、近代文学賞を受賞した。
作家、辻邦生が、ドイツ軍の捕虜になったフランス兵士から学んだこと。
それは『想像力』だった。それは『フィクションの力』だった。
彼は学生たちに語った。
「我々は、現実に閉じ込められている。そのドアを唯一開けられるのは、想像力なんです。でも、いくら想像してみても現実は何も変わらない、たとえば、お腹が空いているとして、いくら美味しいディナーを想像しても、ちっとも満腹になんかならないじゃないか!そう反論するひともいるでしょう、確かにそうです。でも、心の健康を保つには必要なんです、想像力が。物語が」
辻邦生がいちばん言いたかったのは、自分が知っている世界ではなく、「自分が好きな世界」を愛しなさいということだった。
心の健康は、誰も守ってくれない。心に羽を持たなければ、この世は生きていけない。
辻邦生は、自然を愛した。
旧制の松本高校に通うときも、山のぼりを好み、四季の中に時の移ろいを見た。
やがて彼の中に『言葉』を大切にする心が生まれた。
『言葉』こそ、人間にとって、想像力をかきたて、あるいは伝える最高の宝物に思えた。
自然を写し取る言葉。そこから想像する言葉。
「ピアニストがピアノを弾くように、絶えず書きなさい」
小説家を志すものに、そう伝えた。
絶えず書く。心に沸き起こること、目に見えるもの、全て書く。
書きたくなくても、書くことがなくても、書く。
そうして初めて書けるようになる。
書いたものにすぐ絶望してはいけない。
オレはダメだと決めつけてはいけない。
たった1回きりの人生を、ひたすら生きる。
書く喜びを知って、生きる。
誰にも文句を言わせてはいけない。他のひとの意見に耳を傾けるな。
「私はねえ、死ぬまで書き続けるよ」
その言葉どおり、信濃毎日新聞のエッセイは、亡くなる直前まで途切れることがなかった。
フランスで知った想像力の羽。その羽を形作る言葉を紡ぎ続けた。
書き続けることで、見えてくるものがある。
それは、フツウの生き方ではないけれど、フツウのひとに勇気を与える物語を産んだ。
軽井沢の別荘で最期を迎えるその寸前まで、おそらく彼の羽は、閉じることがなかったに違いない。
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