第四十一話弱さは優しさ
堀辰雄は肺を病み、入院していました。
ベッドサイドで話し込む二人。
慶應義塾大学文学部予科の学生だった遠藤にとって、堀とのひとときは、暗い戦時中での唯一の安らぎでした。
軽井沢の空気もまた、救いでした。
爽やかに吹き抜ける風。木々の匂い。野鳥のさえずり。
そしてもう一つ、遠藤周作が軽井沢に魅かれた理由があったとすれば、それはキリスト教の香りです。
宣教師が移り住み、異国の文化を根付かせた軽井沢。
自らもカトリック信者であり、文学のテーマとして、キリスト教を核にすえた作家にとってこの地は、ふるさとのように居心地がよかったのでしょう。
その証拠に彼は、出世作となった小説『沈黙』を、旧軽井沢の六本辻の貸別荘で書き上げます。
戯曲『薔薇の館』は、聖パウロ教会を舞台にしましたし、ついには、千ヶ滝に別荘を構えます。
毎年の夏には必ず軽井沢を訪れ、療養しつつ、執筆に励む。
また軽井沢は親しい友人との集いの場所でもありました。
北杜夫、矢代静一らとの文学談義は、楽しく、有意義でした。
彼は、人を笑わせるのが好きだったと言います。
真面目に語ったかと思うと、おどけたり、ジョークを言ったり、妙な扮装をしたりして、周囲の人を笑いに誘いました。
シリアスとユーモア。その二つが彼の根幹にありました。
常に弱さから目をそむけず、弱さを救おうと戦った男、遠藤周作。
彼が人生で見つけた明日へのyes!とは?
作家・遠藤周作は、1923年、大正12年に、東京・巣鴨に生まれた。
父は東大法科を出た銀行員、母は東京芸大のヴァイオリン科を出た音楽家だった。
幼少時代、父の転勤で、満州の大連に移り住む。
幼い周作の記憶に、母の二つの顔があった。
一つは、必死にヴァイオリンを練習する芸術家の母。
指から血を流しながら音楽と向き合う姿に、畏敬の念を抱き、感動する。
もう一つは、父の不倫により夫婦喧嘩が絶えない最中に見た、一人の女としての母。
彼は『母なるもの』という随筆でこう記している。
『小学生時代の母のイメージ、それは私の心には夫から棄てられた女としての母である。大連の薄暗い夕暮の部屋で彼女はソファに腰をおろしたまま石像のように動かない。そうやって懸命に苦しみに耐えているのが子供の私にはたまらなかった。横で勉強をやるふりをしながら、私は体全体の神経を母に集中していた』。
次第に両親の不仲は、遠藤周作の心に深い影を落とすようになる。
学校に行くのが嫌だった。
哀しかった。ただ何もかもが哀しかった。
そんなとき、彼が学校や家でとった行動。それは悪ふざけ。
おどけてみんなを笑わせる。
まわりが笑っているうちは、自分も哀しさを忘れることができた。
ユーモアは、隠れ蓑。
人一倍笑わせた日は、人一倍、泣いた。
愛犬のクロだけが心のよりどころだった。
ただ彼は信じていた。
弱さは必ず、優しさに結びつく。
作家・遠藤周作には、二つ上の兄がいた。
兄は幼い頃から優秀だった。
父も兄が自慢で、出来の悪い周作を怒った。
「どうしておまえはダメなんだ!なぜ兄のようにできないんだ!」
心に植え付けられた劣等感。
「そうか、ボクはダメなんだ」。
でも、母は違った。
「あなたは、大器晩成なのよ」 優しく微笑んだ。
小学4年生のとき、担任の先生から詩や作文を勧められる。
こんな詩を書いた。
『シュッ、マッチ。ポッ、ケムリ。タバコ、ノミタイナ』
全部カタカナで書いた。
この詩や作文『どじょう』などが大連新聞に掲載された。
母は喜んだ。周作もうれしかった。
母はこの詩の切り抜きを、死ぬまで財布に入れていた。
10歳のときに、ついに両親が離婚。
母と兄とで、帰国。神戸に暮らす。
熱心なキリスト教徒の叔母の影響でまず母が洗礼を受け、自らも後に続く。洗礼名はパウロ。
このときは信心深いというより、母をただ、喜ばせたかった。
兄は灘中学から東大に入ったが、彼は受ける大学、全て落ちた。
母に経済的な負担をかけたくなくて、父を頼る。
この出来事が、『母への裏切り』として生涯、周作を苦しめることになる。
人は弱いから裏切る。
これが彼の小説のテーマの一つになった。
一枚の写真がある。
昭和37年ごろ。作家・遠藤周作が軽井沢で長男の龍之介と楽しそうに戯れる姿が写っている。
おどける長男に、笑顔の周作。
父・周作は息子に言ったという。
「大学受験なんて、何の役にも立たない。そんなものに貴重な青春時代を浪費するのは愚の骨頂だ!」
そして、父・周作は息子に三つの約束をさせた。
「いいか、龍之介、ウソをつくな、友達を裏切るな、それから、弱い人間を馬鹿にするな」。
58歳の若さで母が突然逝ってしまったとき、彼は臨終に立ち会えなかった。
生涯、自分の味方でいてくれた母。弱い自分を見捨てなかった母。
母は、彼の心に湧き続ける絶望をいつもはねのけてくれた。
だからこそ、彼は純文学を書きながら、芥川賞をとりながら、キリスト教に殉じる人生を歩みながら、ユーモアを忘れなかった。
かつて哀しい顔の母をおどけて笑わせたように、いつも笑いを大切にした。
狐狸庵先生、遠藤周作。
ぐうたらシリーズは読む人に救いを与えた。
彼が主宰した素人劇団『劇団樹座』。
樹座のスローガンにかかげたのは、「生活ではなく。人生を愉しむ」。
さしあたって役にもたたぬことの集積が人生をつくり、すぐに役立つことは生活しかつくらない。
彼はそう、思っていた。
音痴でもダンスが下手でも演技がダメでも、劇団員にした。
客席は笑いと野次の渦。
それでいい。彼は思った。
体が弱く、いつも死が隣り合わせにあった。
それでも彼は、弱さを笑いに変え、自分の人生をつくった。
『沈黙』という小説でポルトガル人の司祭ロドリゴは言う。
「踏むがいい。私はお前たちに踏まれるため、この世に生まれ、お前たちの痛さを分かるため十字架を背負ったのだ」。
作家・遠藤周作は、弱さを背負い、優しさを手に入れた。
そしてその優しさを、自分のためではなく、自分以外の人のために使った。
【ON AIR LIST】
Help Yourself / Amy Winehouse
「人間の証明」のテーマ / ジョー山中
My God Is Real / MAHALIA JACKSON
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