第三百八話歩みを止めない
石岡瑛子(いしおか・えいこ)。
フランシス・フォード・コッポラから絶大なる信頼を得て、映画『ドラキュラ』でアカデミー賞衣装デザイン賞を受賞。
マイルス・デイヴィスのアルバムジャケットのデザインで、日本人として初めてのグラミー賞を受賞するなど、彼女の目覚ましい活躍・功績は、枚挙にいとまがありません。
昨年11月から今年2月まで東京都現代美術館で開催されていた彼女の大回顧展『血が、汗が、涙がデザインできるか』は、連日、多くのひとで賑わいました。
その今も衰えることのない人気ぶりは、1960年代にあって、早くも、ジェンダーや民族多様性を世に訴えていた作品からうかがい知ることができます。
女性の時代の狼煙をあげたとされる化粧品会社の広告や、映画、オペラ、演劇、サーカス、ミュージックビデオ、そして、オリンピックのプロジェクトに参画。
その唯一無比のセンスと個性は、世界を圧倒しました。
彼女の評伝『TIMELESS 石岡瑛子とその時代』を書いた編集者・河尻亨一(かわじり・こういち)は、ニューヨークでの単独インタビューを許され、石岡の肉声を次の世代に残すことに成功しました。
彼は、石岡の激しすぎるほどの情熱を知り、「すべてが試みの途中」という言葉を心に刻みました。
2012年1月21日に、73歳で亡くなる直前まで参画していた映画は『白雪姫と鏡の女王』。
彼女が亡くなったあと公開され、第85回アカデミー賞の衣装デザイン賞にノミネートされました。
最後まで歩みを止めなかったクリエイターのレジェンド、石岡瑛子が人生でつかんだ明日へのyes!とは?
アートディレクター・石岡瑛子は、1938年7月12日、東京・小石川に生まれた。
父は、当時は「図案家」と言われた、アートディレクター。
山形から東京に出て、いよいよ広告の仕事を本格的に始めようと思ったとき、戦争が激化した。
体も壊し、やむなく山形に戻る。
幼い瑛子は、東京ですでに「モダン」な雰囲気を身にまとっていた。
山形の村では、浮いてしまう。
内向的で、変わった子どもだったこともあり、いじめられた。
ある日、母が学校に迎えに行くと、しゃがんで、地面を見ている瑛子の背中が見えた。
服は、泥だらけ。
明らかに、いじめられた痕跡がそこにあった。
泣いているのかな…。
恐る恐る、声をかける。「瑛子…」
でも…母は、瑛子の顔を見て驚いた。
瑛子は手に持った小さな花を眺めながら、歌っていた。
泣くどころか、花の美しさをたたえるように、喜ぶように、歌っていた。
美しさを知っていれば、独りでも寂しくない。
美しいと思える心は、それだけで幸せを連れてくる。
そんなふうに歌っていた。
終戦後、石岡瑛子一家は、東京の大田区雪ヶ谷に移り住む。
アメリカ製のお菓子、チョコレートやキャンディを求めて、小学生が列をつくる。
瑛子は、お菓子そのものより、包み紙に目を奪われた。
銀の文字が浮き彫りになっているパッケージ、外国製のデザインに、うっとりする。
包み紙は全て大切に引き出しにしまった。
幼い瑛子は、二つのフィクションに影響を受ける。
ひとつは、アメリカ製のアニメ『バッタ君 町に行く』。
ディズニーの最大のライバルと言われたフライシャー・スタジオが製作した作品。
小さく、か弱き虫たちの「意地」を描いた物語も面白かったが、何より瑛子の心を打ち抜いたのは、色彩と、虫たちの動きだった。
実際の役者の動きをアニメに再現した「ロトスコープ」や、背景を立体的に作る「セットバック」という手法で、臨場感や迫力は破格だった。
「こんなものを作るなんて、アメリカはやっぱりすごい」。
瑛子はバッタ君の「意地」と同時に、製作者の「意地」も感じていた。
魂がこもった凄いものには、説明がいらない。
子どもでも大人でも感動できる。
瑛子が影響を受けた作品、もうひとつが、紙芝居で見た、山川惣治(やまかわ・そうじ)の『少年ケニヤ』だった。
ケニヤで両親とはぐれた少年ワタルが、密林の中、現地の部族や動物たちと共生し、やがて王者になっていくお話。
戦後、意気消沈していた国民の心を勇気づけた物語だった。
瑛子は、ワタルに恋をする。
「冒険」というキーワードが、心に宿った。
人生は、自分次第。
どんな環境でも、闘う意志さえあれば生きていける。
少年、ワタルのように…。
お茶の水女子大学附属中学、高校に通った石岡瑛子。
ハリウッド俳優のゲイリー・クーパーと、相撲取り・若乃花にのめり込む。
やはり、アメリカと純日本。
二つの世界の狭間で揺れる。
相反するようで、何かがつながっている。
この二つを結びつける魔法に出会ったのは、高校二年の時だった。
東京藝術大学の学園祭で見た、デザインの展示。
デザイン…
思えば、身近にグラフィックデザイナーの父がいながら、自分が生きる道になるとは考えもしなかった。
でも…あらためて、感じる。
デザイン、ラテン語の意味は、計画を記号で示す。
心を、情熱を、感性を、自らのセンスで表す。
「デザインは、凄い! そこには、既成概念を壊し、再構築する、魔法がある!」
父も母も、我が娘に手に職をつけてほしかったが、グラフィックデザイナーになることだけは賛成できなかった。
すでに男性が築いた牙城がある。
女性が入り込むには、厳しい世界。
でも、瑛子は迷わず、東京藝術大学に進学し、グラフィックデザイナーになることを決めた。
二つのことを、心に秘める。
「意地でも、つかんだ魔法は手放さない」
そしてもうひとつは、「歩みを止めない」
亡くなる直前まで、デザインの現場にいた。
妥協を嫌い、決められたレールの上を走らず、ガラスの天井を打ち砕いた。
石岡瑛子は、言った。
「私はただ、いい仕事がしたいんです。そして、自分に正直でいたいだけなんです」
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