第百七十九話現実を疑え! 自分を疑え!
1982年に公開されたSF映画『ブレードランナー』は、多くのファンを魅了し、いまなお伝説の映画として愛されています。
その『ブレードランナー』が近未来として描いていたのが、今年。すなわち、2019年の世界でした。
20世紀初頭、遺伝子工学を突き進めた企業・タイレル社は、レプリカントと呼ばれる人造人間を開発。
彼らは宇宙開拓の過酷な労働を担っていました。
しかし、やがて高い知能を持つレプリカントは反乱を起こし、人間に反旗を翻します。
人間社会にまぎれこんだ、脱走したレプリカント。
彼らを始末する専任捜査官は、「ブレードランナー」と呼ばれました。
2019年11月のロサンゼルス。
地球に降り続ける酸性雨の中、レプリカントと人間の戦いが最終章を迎えます…。
『ブレードランナー』の原作は、「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」。
作者の名前は、フィリップ・K・ディック。
ディックは、映画化についてはずっと懐疑的でした。
最初に映画化権を得たマーティン・スコセッシは、断念。
そのあとも、映画の脚本にディックが異論を唱え、何度も改稿を重ねるうちに、撮影にはこぎ着けず、座礁。
そんな中、リドリー・スコットは、ディックと粘り強く話し合い、脚本家も変え、映画化を実現させたのです。
2019年のロサンゼルスのVFXシーンをラッシュプリントで観たディックは、こう言いました。
「ああ、素晴らしい! これこそ、まさに私が想像していた近未来だ!」
彼は、映画会社に賛辞の手紙を書きました。
「この映画は、SFの概念そのものを変える革命的な作品になるに違いない」
しかし、映画の完成を見届ける直前、53歳の若さで彼はこの世を去りました。
ディックの作品は、いつもアイデンティティを疑うことから始まります。
そして、現実をあざ笑うかのような描写の数々。
メッセージは、おそらくこうです。
君が見ている世界をただ受け入れていいのかい?
疑う心を持とう、現実を、そして自分を。
奇才フィリップ・K・ディックが人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
映画『ブレードランナー』の原作者、フィリップ・K・ディックは、1928年12月16日、イリノイ州シカゴで生まれた。
二卵性双生児として20分遅れて生まれた妹は、1ヶ月あまりでこの世を去る。
物心ついてそれを知らされたとき、フィリップは、絶望的な喪失感を抱く。
会えなかった自分の片割れ。
失ったからこそ、その存在は永遠に心に刻まれることになった。
と同時に、いつも妹が見ているような不思議な感覚も味わう。
現実で会えないのであれば、想像の世界で会おう。
そんな心の流れが、フィリップを作家にしていったのかもしれない。
フィリップの父は、1929年の世界的な大恐慌のあおりを受けて、職を失う。
ネバダで精肉業を管理する仕事を得るが、母は、父と一緒に行くのを嫌がった。
母は、労働省の児童福祉局で編集の仕事をしていた。
結局、フィリップが5歳のとき、離婚。
彼は母に引き取られ、母の転勤先、ワシントンD.C.に移り住んだ。
彼は幼くして、さまざまな病に悩まされた。
喘息、不安神経症、激しいめまい。
学校に行こうとしても、起き上がれない。
まわりからは、ずる休みだと思われ、叱られた。
人混みが苦手。広場恐怖症で、閉所恐怖症だった。
そんなフィリップの唯一の救いは、漫画やSF小説だった。
読んでいると、自分の想像が物語を追い越していく。
気がつくと、自分でストーリーを紡いでいた。
世界は、自らの手の中にあった。
SF界の奇才、フィリップ・K・ディックは、小説と同じくらい音楽が好きだった。
15歳の時、ラジオ局で働く。レコード店にも勤めた。
でも、不安神経症が再発。外に出られなくなった。
小説を書く。
現実を笑うような、壊すようなフィクションを書くと、心がスッとした。
亡くなった双子の妹に会えるような気がした。
以来、彼は、53歳で亡くなるまで、ひたすら書き続ける人生だった。
毎日休まず、書く。
小説を書かないときは、日記を書いた。
日記では、自分自身にインタビューする。
おまえは、何者だ? なんのために生まれてきたんだ?
なぜ、妹は死に、自分は生き残ったのか…。
あるとき、母に問い詰めた。
「母さん、なんで妹は死んでしまったの?」
母は、正直に話してくれた。
当時、あまりに貧しくて、生まれた双子を放置したと。
妹は栄養失調で亡くなった。
たまたま見回りにきた巡回保健婦が彼を見つけなければ、彼もこの世にいなかった。
両親への激しい怒りが全身を震わせた。
と同時に妹が不憫でたまらなかった。
「これが、現実か…こういうのが現実なら、僕はもういらない」
フィリップ・K・ディックは、なんとか高校に行き、カリフォルニア大学バークレー校に入学するが、結局、中退。
執筆だけで食べていく道を選択した。
マニアックなSF小説誌には掲載されるが、原稿料は微々たるもの。
再びレコード店で働くが、すぐに病気が出て、外に出られなくなった。
彼の小説は、暴力描写や過激な設定が多く、出版社から拒否された。
そのたびに、落ち込む。
自分を否定されたようで、哀しかった。
それでも書くことは辞めなかった。
書くことは、生きること。
そして唯一、妹と会話できる行為だったから。
フィリップは終生、経済的には苦しいままだった。
彼が亡くなったのちに、さまざまな彼の作品が映画化された。
『トータル・リコール』、『マイノリティ・リポート』。
映画は大ヒットを記録し、彼の名は全世界に知れ渡った。
生前、あまりに貧しいフィリップを見かねて、SF小説の巨匠、ロバート・A・ハインラインが、彼にこんな電話をかけた。
「ディック君、君は素晴らしい才能を持っている。その才能を生かして、もっと小説を書いてほしい。何か私にできることがあったら、遠慮なく言ってくれたまえ」
うれしかった。
素直にお金を借りた。
初めて大人に誉めてもらったような気がした。
現実が辛いなら、それを壊せばいい。
壊す方法は、自分で考える。
大切なのは、自分とは何かを知ることだ。
自分がわかれば、生き方が見える。
フィリップ・K・ディックは、不敵に笑ってこう続けるだろう。
「どうやったら自分がわかるかって? そんなのは、簡単さ。まずは、疑ってみるんだ。自分ってやつを信用しすぎちゃ、ダメだ。俺はずっと聞いてきた、妹に。俺はこれでいいのか? 間違ってないのか? ってね」
【ON AIR LIST】
DARK STAR / Grateful Dead
ワルツ「我が人生は愛と喜び」作品263 / Jo.シュトラウス(作曲)、ズービン・メータ(指揮)、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
MAIN TITLES (映画『ブレードランナー』) / Vangelis
WHO I AM / Victory
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