第百六十五話少しだけ、無理をする
城山三郎。本名、杉浦英一。
ペンネームの城山という名は、彼が30歳のとき、引っ越した場所に由来しています。
住んだ場所、名古屋市千種区には、城山八幡宮があったのです。
城山八幡宮は、織田信長の父が築城した末森城の敷地です。
いっとき城はすたれましたが、明治になり、復活しました。
原型をとどめる城の敷地は、およそ一万坪。
名古屋の中心街にありながら、そこには静謐な空気が漂っています。
城山八幡宮の雰囲気をそのままに、城山三郎の小説は凛とした香りに包まれ、読むひとの心に明日への希望を授けるのです。
特に逆境にさからうように生きてきた人物を好んで描きました。
NHK大河ドラマの原作にもなった『黄金の日日』。
戦後、A級戦犯として裁かれた第32代総理大臣、広田弘毅の人生を追った『落日燃ゆ』。
東京駅で銃弾を受け、担架で運ばれるとき「男子の本懐である」という名言を残した宰相、濱口雄幸を描いた『男子の本懐』。
渋沢栄一の生涯を丁寧に書いた『雄気堂々』。
自分の利を追うことはなく、国のために義を貫いた先人にも愛を注ぎました。
城山三郎自身、いつも自分を追い詰め、困難な状況を厭いませんでした。
彼は、こんな言葉を残しています。
「人生は、挑まなければ応えてくれない。うつろに叩けば、うつろにしか応えない」。
彼のエッセイに、こんなタイトルのものがあります。
『少しだけ、無理をして生きる』
経済小説の可能性を開いた稀代の小説家・城山三郎が人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
作家・城山三郎は、1927年、名古屋市に生まれた。
家は、繁華街、栄でインテリア関連の店を営んでいた。
生粋の名古屋商人。
三郎は、商家の長男として大事に育てられた。
発明好きの父と、短歌や琴を愛する母。
実用的な考え方と芸術的な繊細さを、両親から受け取った。
7歳のとき、一日にして弟と妹を亡くす。
ひとの命のはかなさを感じた。
「死」は、常に自分の傍らにあることを子どもながらに知る。
本を読むのが好きだった。絵を画くのも得意だった。
優秀な成績で小学校を出ると、家業を継ぐべく、商業の学校に入る。
このままいけば、父の跡を継ぐという道を何の疑いもなく歩んでいただろう。
でも、戦争という魔物が彼の人生を襲う。
父も召集され、戦火は激しさを増した。一家で疎開。
名古屋の家は、空襲で焼かれてしまった。
頭のてっぺんからつま先まで、軍国教育にどっぷりつかっていた。
母の反対を押し切り、17歳のとき、自ら海軍に少年兵として志願。
広島の呉に旅立った。
「お国のために、この身を捧げる。それこそ、正しい生き方だ」
この選択が、城山の後の人生に深い影を落とすことになる。
ただ、純粋な少年には、それ以外、自分を生かす道がなかった。
作家・城山三郎は、17歳で海軍に志願。呉の海兵団に入隊した。
毎日毎日、上官に叩かれる。もはや訓練ではない。
戦局は敗戦の色を濃厚に示し、軍隊の雰囲気にも腐敗の匂いが漂った。
焦りと諦め。すぐそこにある「死」。
誰もが耐え難い日々を、ただ耐えていた。
食べるものは粗末だった。
朝も晩も、サツマイモの葉っぱと茎をゆでたもの。痩せていく。
でも、ある日、上官の部屋の近くを通ったとき、驚く。
天ぷらにトンカツ。真っ白なパンが放置され、カビていた。
海軍に志願したことを後悔する暇もなく、特攻隊の訓練基地に送られる。
いよいよ飛び立つ、という前に、戦争は終わった。
ふるさとに戻った城山を待ち受けていたのは、罵詈雑言だった。
「予科練崩れ!特攻崩れ!」
軍国主義を叫んでいた教師は口をつぐみ、自ら志願して入隊した城山は、まわりから責められ、なじられた。
理不尽な価値観の変容に城山は戸惑い、心に大きく深い命題が拡がる。
「人生って、なんだろう」
「社会とか世の中って、いったいなんだろう」
城山三郎は、大学で教鞭をとりながら、小説を書いた。
心に拡がった命題の答えを、小説を書くことで見つけようとしたのかもしれない。
今まで誰も手をつけなかった経済小説というジャンルに挑んだ。
当時の純文学といえば、私小説が多く、恋愛問題、貧困や病気をテーマにしたものがほとんどだった。
『輸出』という作品で文学界新人賞、『総会屋錦城』で直木賞を受賞。
受賞の記者会見の際、「城山さんの師匠は誰ですか?」の問いに、困った。
そもそも文学に徒弟制があるとは思わなかった。
誰も書かなかった小説は、評価が分かれ、酷評もされた。
不眠症になる。
そんなとき、作家の大御所、伊藤整と会う機会があった。
「私はねえ、文学界新人賞の選考会で、あなたの作品には票を入れなかったんだ」
伊藤はそう言った。
「一橋大学の後輩なのに、何もしてやれず、すまない。代わりに、ひとつだけ忠告をしておくよ」
そこで伊藤は城山を見た。
「城山くん、いいかい、あなたはこれからプロの作家としてやっていくのだから、いつも自分を少しだけ無理な状態の中に置くようにしなさい」
この言葉を、城山三郎は生涯、大切に心に留めた。
少しだけ無理、というのがいい。
無理しないのも、無理しすぎるのもよくない。
小説家はインスピレーションが大事。
ぼんやり待っていても、何もやってこない。
日々、少しだけ無理をして、自分に負荷をかけておくということ。
こうして城山三郎は、時代を越えて読み継がれる小説を書き続けることができた。
【ON AIR LIST】
Mr.Bojangles / Sammy Davis Jr.
WAR / Edwin Starr
Dia De Los Muertos(死者の日) / El Haru Kuroi
It Don't Come Easy / Ringo Starr
閉じる