第三十一話相反するものを留める強さ
そんな言葉を残した世界の喜劇王、チャーリー・チャップリン。
彼は、親日家として知られています。
二度目に日本にやってきたのは、1936年。
そのとき、初めて京都を訪れています。
『鴨川をどり』を堪能して、円山公園を散歩し、宿泊したのは、創業1818年の『柊家』。
川端康成も定宿にしていた格式ある老舗旅館です。
宿のひとは、チャップリンの印象をこんなふうに語っています。
「とても几帳面なご様子から、何か別の人のように感じました」。
この旅館の茶室でお茶を飲む姿が写真に残されています。
黒い蝶ネクタイをした彼は、うれしそうな笑顔。
キチンと正座しています。
翌日は清水寺を参り、嵐山や金閣寺を訪ね、西陣織会館で絹のガウンを進呈されました。
以来、彼はこのガウンをこよなく愛し、晩年まで自宅で着ていたと言われています。
戦後、再び京都を訪れたときは、上七軒の銭湯にいきなり入ると言い、周囲を驚かせました。
京都に本部がある日本チャップリン協会発起人代表で、チャップリン研究家として国際的に有名な大野裕之さんは、この銭湯の一件について、こう記しています。
「チャップリンが幼少時代を過ごしたケニントンにも銭湯があり、恐らくはそのことを思い出したのだと推測されます。72歳の世界的な名士になっていても、極貧のロンドン時代のことをずっと忘れることはなかったのです」
幼少時代の貧しさ、哀しさを生涯心に留め続け、世界中のひとを笑わせ続けた喜劇王。
哀しみと笑い。
常に、その二つを見つめ続けたチャップリンが、明日への風に吹かれながら見つけた、人生のyes!とは?
チャーリー・チャップリンは、1889年4月16日、イギリス・ロンドンの労働者が住む区域、ケニントンに生まれた。
父も母も、ミュージック・ホールで歌い、踊り、笑わせる芸人だった。
ミュージック・ホールとは、労働者たちが疲れや貧しさをひととき忘れるための演芸場だった。
1歳のとき、両親は離婚。母、ハンナは、極貧生活が続く中、幼いチャップリンにこう諭したという。
「チャーリー、いい?どんなにどん底な暮らしをしても、言葉使いには気をつけなさい。まわりの風に染まってはいけません。私たちは、まわりとは違うんだという気持ちをしっかり持ちなさい」。
母は言葉の文法上の誤りを正し、常に毅然とした態度を取るようにと教育した。
チャップリンは、母のことが大好きだった。
当時人気の俳優や、街行くひとのモノマネをするのが得意だった母。
綺麗で、清楚。人を引き付ける魅力があった。
そんな母、ハンナは彼が5歳のとき、突然、舞台上で声が出なくなる。
支配人はあわてて、舞台裏で様々な芸を見せて、まわりのひとを笑わせていたチャップリンをいきなり舞台に出す。
結果は、拍手喝采。
皮肉なことにチャーリー・チャップリンの初舞台が、母の最後の舞台になる。
このあと母は、二度と舞台に立てなくなり、精神を病んでしまう。
ほどなくして父もアルコールが原因でこの世を去る。
チャップリンの苦難の生活が始まる。
孤児院、貧民院を転々とする。
生きるために、なんでもやった。
新聞の売り子、船乗り、印刷工、ガラスづくりの下働き。
そんなある日、彼は忘れられないある光景を目にする。
幼いチャーリー・チャップリンが目にしたある光景。
それは、石畳の街を行く、一大の荷車。
荷台には、幾頭かの羊がのせられていた。
ふと、一頭の羊が逃げ出した。
羊はあっちへ逃げ、こっちへ逃げ。追う人、逃げる羊、巻き添えをくう人々。大騒ぎに人々は笑った。
母に手を握られながら、チャップリンはその様子を見ていた。笑いながら。
やがて、追手が羊をつかまえ、荷台にのせて再び歩きはじめたとき、チャップリンは急に泣けてきた。
「どうしたの?」と母が聞くと、彼はこう叫んだ。
「お母さん、あの羊、みんな殺されてしまうんだ!」
さっきまでの喜劇と、突然おとずれる悲劇。
このときの記憶は、終生、彼の中で消えることはなかった。
笑うことと、泣くことは、常に裏と表である。
だからチャップリンの映画は、笑わすだけで終わらない。
だからチャップリンの映画は、深い哀しみに裏打ちされている。
二つの相反するものを同時に留めておくこと。
それこそ、彼が幼い日に見つめた人生の真髄だった。
チャーリー・チャップリンが、まだ、新米のコメディアンだった頃のことだ。
ある喜劇映画のセットの横で見学していると、いきなり監督から、
「おい、おまえ!なんでもいいから喜劇の格好をして来い!」
と言われた。
何かもっと喜劇的な要素がほしいと思っていた監督が、チャップリンを試したのだ。
「喜劇の格好?」
考える。
「いきなり言われてもなあ」
とまどう。
でも、衣裳部屋に向かうその途中で、彼の頭にはイメージが膨らんでいた。
だぶだぶのズボン、きつ過ぎる上着。
小さな山高帽に、大きなドタ靴、そして貧乏そうないでたちに、紳士が持つステッキ。
全てが、ちぐはぐ。全てが、アンバランス。全てが矛盾している。
放浪者のようで、ジェントルマン。
こうして世界中をとりこにするキャラクター「チャーリー」が誕生した。
貧しくても、言葉づかいは紳士だった。
母の哀しい舞台が、自分の晴れやかな初舞台。
殺される羊が引き起こす笑い。
放浪する、紳士。
社会からはみだして、社会を語る。
チャップリンにとって、最高のエンターテイナーは、母だったのかもしれない。
母とともに見た風景、歩いた場所、吹かれた風、そして母の演技や歌。
そのどれもが彼にこう語っていた。
「大切なことには、必ず二つの側面がある。表と裏。その二つは、相反するもの。どちらかだけでは足りない。どちらかだけは人生はわからない。笑いと、哀しみ。その二つを同時に愛しなさい」。
彼の原点は、幼い日の石畳の上にあった。
京都の銭湯につかったとき、チャップリンは何を思っただろうか。
それはもしかしたら、幼い日、貧しくて貧しくて、ようやく入ることができたケニントンの銭湯の、湯気の行方だったのかもしれない。
「寒いから、あったかさが、身に沁みる」
【ON AIR LIST】
Alone In Kyoto / AIR
The Entertainer / Billy Joel
That's Entertainment / The Jam
Smile / Michael Jackson
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