第二百七十九話天は心なり
その美馬市にある、吉野川流域の脇町にゆかりをもつ、江戸時代の陽明学者がいます。
大塩平八郎(おおしお・へいはちろう)。
彼は、大坂町奉行の与力や吟味役を歴任したエリートでした。
与力とは、警察の中堅どころ。吟味役とは、裁判官。
犯罪をあばき、刑を執行する立場だった彼は、奉行所内部の腐敗や一部の豪商たちの悪事が許せませんでした。
江戸末期、天保4年、1833年4月に始まった天保の大飢饉は、あっという間に全国に拡がりました。
亡くなったひとは、20万とも30万人とも言われています。
この一大事にも、奉行所は利権を行使。
豪商は米を買い占め、いちばん守るべき、庶民、特に農民をないがしろにしました。
平八郎は、自分の蔵書、およそ6万冊を全て売り払い、救済活動をはかりますが、焼け石に水。
ついには、最後の手段、幕府に対して武装蜂起を決行したのです。
いわゆる、大塩平八郎の乱。
結果、44歳で自らの命を絶つことになりますが、彼が起こした一揆は全国に拡がり、その流れは明治維新や、のちの自由民権運動へと受け継がれていきます。
彼の流儀はこうでした。
「良いと知りながら行動しないのは、知らないことと同じです。知識は、行動のためにある」
そして、もうひとつ。
飢饉にあえぐ農民たちに、こう語ったと言います。
「冷害に洪水、天災はどうすることもできない。でも、できることはあるはずです。どんな天変地異も、心まで奪うことはできない。天は唯一、心で変えることができるのです」
ただの謀反だ、売名だと揶揄されても、一歩も引かなかった男、大塩平八郎が人生でつかんだ明日へのyes!とは?
江戸時代後期の陽明学者にして、奉行所の与力、大塩平八郎は、寛政5年、1793年に生まれた。
大坂町で与力を務めた祖父は、阿波国脇町出身だったと言われている。
7歳で父を、8歳で母を亡くす。
祖父母に育てられた。
幼い頃から、言い出したら後には引かない頑固な性格。
近所の子どもたちと喧嘩が絶えなかった。
「どうして、おまえはすぐ手が出るんだ、相手が間違っているなら説得すればいい」
そんなふうに祖父に言われて、何も返せない。
父と母がいないことを馬鹿にされて、殴りかかってしまった。
とにかく誰かにいじめられないように、強くなりたいと思う。
でも、ある日、祖母に本をすすめられた。
「学問は、おまえの力になってくれます。腕っぷしがいくら強くても、ひとは信頼してくれません」。
祖母は、中国の古典、四書のひとつ、『大学』を読んでくれた。
意味がわからなくても、言葉の流れが綺麗で、すぐ復唱できた。
そらんじるうちに、意味が見えてくる。
他人の悪いところがいくら言えても、何の自慢にもならない。
それよりも、自分の悪いところを把握できるかどうか。
重要なのは、表面ではなく、事物の理を知ること。
平八郎は、本を夢中で読んだ。
そうして悟ったこと。それは、
「ひとを変えるには、自分が変わるしかない」
大塩平八郎は13歳にして、祖父に従い、大坂町奉行所で与力の見習いになった。
ほどなくして頭角を現し、一人前の与力としての公務を全うする。
その一方で、「洗心洞」という私塾を開く。
祖母の教えの通り、学問を大切にした。
頭でっかちでもいけないと、武術にも励む。
文武両道。
奉行所内でも、彼の評価は高かった。
ときどき、短気な自分をもてあます。
弱いものをいじめる輩を見ると許せず、激昂してしまう。
そんなときは、中国の古典に出てくる為政者の言葉を何度も復唱した。
己を律することが出来ないものが、他人を律する資格などない。
大坂東町奉行所の与力、吟味役を任されているとき、西町奉行所に汚職を働く同士がいることを知る。
賄賂をもらい、処罰をなしにする。
その事実を知った会食の席上、平八郎は、怒りのあまり、卓に横たわる大きな魚を噛んだ。
噛み砕けるはずのない太い背骨が、二つに割れた。
悪事は、許せない。
不正を働くものは誰であれ、許せない。
大塩平八郎がいくら所内の不正を暴こうとしても、汚職の源は深く、なかなか払拭できなかった。
内部告発にやっきになっている平八郎をよく思わない同士もいた。
所内から、仲間が消えていく。
たったひとり、高井山城守という上司だけは守ってくれた。
「大塩、おまえのやりたいようにやればいい。全責任は、この私が持つ」
しかし、頼みの山城守も左遷。
後ろ盾もなくなった。
平八郎は、いさぎよく養子に家督を継ぎ、奉行所を辞めることにした。
38歳の突然の辞職に、まわりはざわめいた。
エリートを約束された職場。
それを自ら捨てるものはいなかった。
平八郎は、そんなことより陽明学を極めるため、広めるため、私塾に力を注ぐことにした。
天保4年、大飢饉が日本を席巻する。
平八郎は、奉行所、役人たちの不正を知り、激怒した。
農民が飢えていく中、のうのうと高笑いする高官たち。
檄文(げきぶん)を叩きつけた。
それは、こんな書き出しで始まる。
「天下の民が生前に困窮するようでは、その国も滅びるであろう。政治に当る器でない小人どもに国を治めさしておくと災害が並び起る、とは昔の聖人が深く天下後世の人君、人臣に教戒されたところである」
大塩平八郎は、一気に動いた。
おそらくこれで命を落とす。
でも、己の心にだけは、嘘はつけない。
知ったまま、黙って見過ごすことは、己の心を亡くすに等しい。
ひとは、己の心だけは、どんなことがあっても手放してはいけない。
なぜなら、そこから全てが始まり、全てがそこで終わるものだから。
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