第百四十二話日々の努力を怠らない
立派な枝ぶりに目がいくひともいれば、咲いた花の香りにうっとりするひともいるでしょう。
日本画家・小倉遊亀(おぐら・ゆき)は、庭の梅の木を見て、こう言いました。
「梅は、何ひとつ怠けないで、一生懸命生きている。私も、怠けていてはいけない」
小倉は梅が好きでした。
桜ほどの華やかさはないけれど、人間の目線に寄り添い、けなげな佇まいを崩さない。
鎌倉にアトリエを構えるとき、竹やぶを切り開きました。
伐採しているうちに、一本の梅の木が顔をのぞかせます。
樹齢100年ほどにも思える、古い木です。
小倉は、その木を守りたくて、植木屋さんを呼びました。
「この老木を、なんとか助けてあげてほしいんです」
以来、庭に梅の木は残り続けました。
彼女は毎朝、アトリエの窓をあけて、挨拶するのが日課だったといいます。
このエピソードは、小倉の画風や生き様を色濃く物語っています。
こつこつと、ただ絵を画き続ける。
画き続けることでしか、たどり着けない場所があるから。
仕事とは、桜のように、決して華やかなものではありません。
日々の積み重ね、なんでもない日常の過ごし方にこそ、仕事の難しさと喜びがあるのです。
小倉にとって、奈良女子高等師範学校、現在の奈良女子大学に通った4年間が、のちの画家としての人生を決定づけました。
そこで恩師に言われた言葉。
「自分のために絵を売るな」「へつらうな」。
そして、最も彼女の心を強くとらえたのは、こんな助言でした。
「もっとよく自然の真髄をつかみなさい」
105歳で亡くなるまで、努力を怠らなかった日本画家・小倉遊亀が人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
日本画家・小倉遊亀は、1895年滋賀県大津市に生まれた。
遊ぶ亀と書いて、遊亀(ゆき)。本名は、ひらがなで「ゆき」だった。
2歳になる頃、父の仕事の関係で大阪に移り住む。
家のすぐ近くにお御堂があった。
母は遊亀を背中におぶって、境内まで父を迎えにいった。
遊亀は母の背中から、お座敷通いをする芸者さんの姿を見ていた。
艶やかな着物、美しい島田髷(しまだまげ)。
目の前をさっと通る姿がまるでスローモーションのように映る。
「なんて綺麗なんだろう…」
幼な心を、とらえて離さない。
家に帰ると、母にせがんだ。「ねえ、あれ、画いて!あれ、画いて!」
半紙に母が墨で芸者を画くと、「ちがう!ちがう!そんなんじゃない!」と反発した。
「だったら、自分で画きなさい」
母が言ったひとことに、遊亀は初めて絵筆を持った。
おそるおそる、白い紙に筆を置く。
驚いた。頭の中にあるものがうまく再現できない。もどかしい。
何度やっても、うまくいかない。「ちがう、ちがう、ちがう!」
のめりこんだ。何度も画いた。母は石盤にチョークを与えた。
これなら何度でも消しては画きなおせる。
こうして、ひとりの少女が、女流画家への道を歩きはじめた。
ただその道は、細くて険しい茨の道だった。
日本画家・小倉遊亀は、幼い頃から絵の才覚をあらわした。
でも、高校時代、図画の先生に美術大学への進学を勧められても、断った。
絵描きには、なりたくない。そう思った。
学校の成績は優秀。首席で卒業して、奈良女子高等師範学校に入学した。
学科は、国語漢文部。選修科目に図画を選んだ。
そこで運命的な出会いがあった。
国語漢文部教授の水木要太郎と、図画教授の横山常五郎。
二人は小倉の才能を見出し、のちに、画壇の大家、安田靫彦を紹介することになる。
奈良で小倉は、日本の歴史を学ぶとともに、伝統的な書や絵画、器などに触れることができた。
ある日、「素晴らしいものを拝ましてあげるからおいで」と教授の水木に呼ばれた。
大和の人里離れた一軒の平屋。
中に入ると、奥の座敷に通される。そこに掛け軸がかかっていた。
安田靫彦が画いた、聖徳太子だった。
お軸の前には、座布団と絵の具や筆が用意されている。
水木は何も言わず、出ていった。
残された小倉は、一心不乱に模写をした。
「すごい、この絵はすごい。とても再現できない。これが、本物の絵というものなんだ…」
体中がふるえた。絵を極めてみたい。
そんな激しい欲求が体の奥からあふれてきた。
安田先生の弟子になりたいという、途方もない夢を描いた。
日本画家・小倉遊亀は、奈良女子高等師範学校を卒業すると、教師になった。
絵だけでは食べていけない。
先生をしながら、絵の修行をするつもりだった。
あるミッションスクールで絵を教えた。
学校はキリスト教だったが、クリスチャンではないので教会に足を踏み入れなかった。
ある日、校長のミス・カムバルスに呼ばれる。
教会に入らないことを怒られるのだと思い、ビクビクして校長室のドアをノックした。
中に入ると、校長は満面の笑みでこう言った。
「あなた、絵、描きますね。牡丹の絵、毎日毎日、描きますね。牡丹の花、神様。だから、あなた描く絵、神様の絵。あなた、毎日毎日、神様を描いているのです。教会に出ないこと、なんでもない。なぜなら、あなたは毎日、神様に逢ってるから」
涙があふれそうだった。絵を画くことは、神様に逢うことなんだ。
小倉は、ようやく気がついた。
彫刻家が、ひとのみひとのみ仏像を彫るように、絵を画くということは、神様を画くということなんだ。
猫を画いても、子どもを画いても、器を画いても、梅の花を画いても、それらは全部、神様を画くということ。
だからひと筆ひと筆、怠けることはできない。
だから休むことは許されない。
少しでもうまくなる。自分の殻をやぶり、成長する。
わずかでも前に進むためには、地道な日々の努力しかない。
そうして小倉遊亀は、亡くなる直前まで絵筆を握り続けた。
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