第百七十七話進化することをやめない
映画を観たひとの中には、5回、8回など、複数回鑑賞者が多く、年代もさまざま。
伝説のバンド「クイーン」を知らない世代にも支持されています。
通算レコードセールス3億枚。ベストアルバムが全英チャート、842週チャートイン。
ベスト盤『グレイテスト・ヒッツ』は、イギリス史上最も売れたアルバムという金字塔を打ち立てています。
クイーンは、イギリスやアメリカに先駆けて日本でブレイクしたこともあり、かなりの日本びいきでした。
初来日は、1975年4月。羽田空港には、およそ3000人のファンが殺到しました。
武道館でのライブでは着物を着て演奏するなど、日本文化にも関心を示し、メンバーと日本の硬い絆は今も続いています。
クイーンのボーカルは、フレディ・マーキュリー。
HIV感染合併症により、45歳でこの世を去った天才ミュージシャンは、奇抜なファッションに折れたスタンドマイクを振りかざし、奇跡のパフォーマンスで観客を魅了しました。
言うまでもなく、その歌唱力は唯一無二。
音域の豊かさと魂に響く声は、色あせることはありません。
そんなフレディは、ステージの華やかさとは裏腹に、シャイで人見知り。
生まれや自らの容姿など、さまざまなコンプレックスと格闘し、もがいてきました。
天才ゆえの絶望的な孤独感にさいなまれながらも、彼には生涯を通して守った流儀がありました。
それは、『進化をやめない』ということ。
あるインタビューで彼は答えています。
「ひとつのものに満足してしまうと、そこでもう発展はなくなるんだ。ジ・エンド。おしまいだよ」
まるで弱い自分を振り払い、過去の成功を捨て去るように、ステージで胸を張り、腕を突き立てる彼の姿が胸に迫ります。
孤高のボーカリスト、フレディ・マーキュリーが人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
フレディ・マーキュリーは、1946年9月5日、アフリカの東海岸、インド洋にあるザンジバル島で生まれた。
現在はタンザニア連合共和国だが、当時はイギリス保護国だった。
両親はペルシャ系インド人。イギリス政府の会計係で、植民地やインド担当だった。
フレディはのちにそのときの様子をこう振り返った。
「朝は、お手伝いさんが起こしてくれて、オレンジジュースを手にして家から出れば、そこはもう海だったよ」
彼は、引っ込み思案で大人しい子どもだった。
学校の先生は当時の彼について聞かれるとこう答えた。
「あの子は…痛ましいくらい、シャイだった」。
礼儀正しくて、真面目。
ときどき見せる茶目っ気が可愛くて、大人から愛された。
幼いうちは、人種差別も格差社会も、いじめもなかった。
近所の子どもたちとエメラルドグリーンの海に飛び込む。
そこには言葉さえ必要なかった。
内省的なフレディはやがて、架空の国を想像する。
妹に話して聞かせた。
「ライっていう名前の国なんだ。そこではね、誰もがみんな、幸せに笑っているんだよ」
『輝ける7つの海』という歌の歌詞に、このライという国が出てくる。
曲のラストにパーティーの様子が流れ、こんなセリフで終わる。
「ああ、海の近くにいきたいなあ…」
フレディにとってザンジバルは、まさにライという夢の国だったのかもしれない。
フレディ・マーキュリーの両親は、熱心なゾロアスター教の信者。物静かで真面目。質素を重んじていた。
子どもたちを愛していたが、それが表現されることはなかった。
とりわけ父は、不器用で言葉数が少なく、フレディはいつも距離を感じていた。
彼は、親からぎゅっと抱きしめてもらった記憶がない。
愛の言葉を確認したこともなかった。
8歳でインドの寄宿学校に行くことになったときも、どこかで親に捨てられたのではないかと思った。
父にすれば、それなりに高い水準の教育を受けさせてやりたかった。
中流の公務員暮らし。
息子をインドにやるのは家計的に決して楽ではない。
でも、フレディの頭の良さをもっと伸ばしてあげたかった。
特に7歳から始めたピアノには、驚くほどの才能を感じていた。
クラシック、ジャズ、ロック。
どんな音楽も聴けばすぐにピアノで弾けた。
しかし8歳の、そして人一倍シャイな男の子にとって、異国の地での団体生活は苦行でしかなかった。
フレディは、毎晩、狭いベッドで泣いた。泣き疲れて眠った。
やがて、彼はそんな自分を客観的に眺め、こう思う。
「このままじゃ、ダメだ。周りの環境が変わらないなら、自分が進化するしかない。大人になろう。ボクは誰よりも早く、大人になろう」
こうしてフレディ・マーキュリーは、自分のことは全部自分でできる、大人になった。
両親には泣き言ひとつ言わない。
一年に一度の帰省。
誰にも甘えなかった。
ただ、心にはいつも、ライという理想の国を描いていた。
そこで彼は、みんなから愛され、大切にされている王様だった。
フレディ・マーキュリーは、同級生にバッキーと呼ばれた。
バックトゥース。いわゆる、出っ歯という意味だ。
ひとより歯が多い過剰歯。
バカにされても、ひるまなかった。
ただシャイで言い返せない。
そんな彼が輝く場所があった。
学校の中での演劇発表会。
女性の役を好演してみんなを驚かせた。
ステージ上で派手なパフォーマンスをした。会場が盛り上がる。
みんなの期待を裏切ることが快感だった。
自分で自分の殻を破ることこそ、進化の第一歩。
芸術は、自分を壊す場所を用意してくれた。
音楽と美術にのめり込み、成績はどんどん下がっていった。
複数のバンドに加わった。ボーカルとピアノ。
歌っているときは、自分が自分を越えられた。
ザンジバルで生まれたことを切り捨てたように、インドで学んだ10年間あまりも、彼は捨て去る。
新しい場所で、常に前だけを向いて歩く。
ロンドンに移り住み、インド系だと差別を受けても、気にしなかった。
自分で自分を壊し、自分を越えられる場所を見つけたから、もう怖くはない。
歌は、フレディ・マーキュリーにとって、ライの国。
そこで彼は、王様だった。
たとえ、痛ましいくらい、孤独だったとしても…。
【ON AIR LIST】
KILLER QUEEN / QUEEN
SEVEN SEAS OF RHYE(輝ける七つの海) / QUEEN
LOVE OF MY LIFE / QUEEN
DON'T STOP ME NOW / QUEEN
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