yes!~明日への便り~presented by ホクトプレミアム 霜降りひらたけ

第百四話 自分にできることを追い求めて -【盛岡篇】宮沢賢治-

yesとは?

  • 語り:長塚圭史
  • 脚本:北阪 昌人

『自分にyes!と言えるのは、自分だけです』
今週あなたは、自分を褒めてあげましたか?
古今東西の先人が「明日へのyes!」を勝ち取った命の闘いを知る事で、週末のひとときをプレミアムな時間に変えてください。
あなたの「yes!」のために。

―放送時間―
TOKYO FM…SAT 18:00-18:30 / FM大阪…SAT 18:30-19:00
FM長野…SAT 18:30-19:00 / FM軽井沢…SAT 18:00-18:29

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第百四話自分にできることを追い求めて

岩手県盛岡市を流れる北上川。
その向こうにそびえる岩手山の美しい稜線は、観るひとの心にやすらぎを与えます。
北上川に架かる旭橋を渡ると、「いーはとーぶアベニュー」があります。
イーハトーブ。岩手に存在すると考えられた理想郷。
それを考えたのが、明日8月27日が誕生日の、宮沢賢治です。
この通りは、詩人、童話作家、教師、農業指導者、地質学者、音楽家、さまざまな肩書を持つ、岩手が生んだ唯一無二の存在、宮沢賢治へのオマージュからできました。
宮沢賢治は岩手県花巻市に生まれ、岩手県立盛岡中学校、現在の岩手県立盛岡第一高等学校に通い、全国初の高等農林学校、現在の岩手大学農学部に学びました。
13歳から24歳までの最も多感な時期を、盛岡で過ごしたのです。
「いーはとーぶアベニュー」には、花崗岩に座る賢治の彫像があります。
何かを思うような、うつむき加減の賢治の姿。
彼は、わずか37年という短い生涯で、およそ800もの詩や、100篇もの童話など、厖大な作品を残しました。
児童文学という枠をも超える彼の作品世界は、今も変わらず、多くのひとの心の中に生き続けています。
彼の作品は、決してわかりやすいものばかりではありません。
むしろ、どのように解釈していいのか、戸惑うものも多いのです。
それでも、その創造物はひとびとの想像力をかきたて、忘れ得ない読書体験を残します。
童話集『注文の多い料理店』の冒頭の言葉。
「これらのわたくしのおはなしは、みんな林や野はらや鉄道線路やらで、虹や月あかりからもらってきたのです。ほんとうに、かしわばやしの青い夕方を、ひとりで通りかかったり、十一月の山の風のなかに、ふるえながら立ったりしますと、もうどうしてもこんな気がしてしかたないのです。ほんとうにもう、どうしてもこんなことがあるようでしかたないということを、わたくしはそのとおり書いたまでです。」
生涯を自然とともに生きた宮沢賢治が、人生でつかんだ明日へのyes!とは?

宮沢賢治は、1896年、明治29年8月27日に、現在の岩手県花巻市に生まれた。
賢治が生まれた年は、自然災害が多かった。
6月の三陸沖、大地震。
津波を引き起こし、およそ2万2千人もの命が奪われた。
7月には盛岡も大雨や洪水に見舞われ、北上川も増水。
稲も実らず、腸チフスや赤痢が蔓延して、多くの人が亡くなった。
さらに8月の花巻での地震でも、甚大な被害があった。
賢治の実家は、花巻でも有名な財産家。質や古着商を営んでいた。
父は実業家として敏腕で、一代で財を築いた。
自分にも厳しいが、ひとにも厳しい父。
性格は偏屈で悲観的。しつけにも、うるさかった。
実業こそ、男が生きる道、そう信じて疑わない父に、賢治はいつも違和感を覚えていた。
反対に母、イチは、当時にしては珍しく英語や洋裁を習う、進歩的な女性で、明るい性格で楽天的、ユーモアのセンスがあり、芸術や自然の美しさを解する心を持つ、ロマンティストだった。
父のペシミズムと、母のオプティミズム。
相反する性質が、賢治の中で、どちらも育っていった。
どんな道も足を踏み入れたら、とことん究めようとする神経質な性癖と、大らかに万物を愛する人間愛。
そのある意味矛盾する性格こそが、賢治を苦しめた。
経済的に恵まれたことでさえ、彼にとっては苦痛だった。
「どうして僕は、他のひとと違うんだろう…」
宮沢賢治は、小学3年生のときには、画用紙に仏像を画き、粘土で仏像をつくる子どもになっていた。
「ひとは、なんのために生まれ、死んでいくんだろう。僕はそれが知りたい」

宮沢賢治は、成長するにつれ、父への反抗心が芽生えていった。
「お父さんは、弱い立場のひとを相手に商売をしている。飢饉で困った農民を助けるどころか、お金を巻き上げている。そんな父を許せない」。
そこには、青年期特有の理想主義もあっただろう。
フツウはその後、大人になる。
「まあ、そうは言っても、世の中そんなもんだろう」。
しかし、賢治は違った。
農家が苦しいとき、儲けているウチは、おかしい。何かが間違っている。
小学3年生のとき、運命的な出会いがあった。
担任の八木先生。
当時19歳だった八木先生は、熱意にあふれ、子どもたちと真正面から向き合った。
雨で体育ができないとき、教室で童話を読んだ。
賢治は思い出した。幼い頃、養母の背中で聞かせてもらった民話や昔話。
八木先生が聞かせてくれた外国の童話、エクトール・アンリ・マロの『家なき子』は、鮮烈だった。
「世の中に、こんなに面白い話があるんだ!」感動した。
先生はときどき、生徒を川べりに連れて行き、石について話した。
「どれか好きな石を探してごらん。その石を主人公に物語をつくってみよう。石にも、心があるんだぞ。その声に耳を傾けてみるんだ」。
体が弱く、内向的だった賢治は、たちまち物語づくりに没頭した。
「おう、宮沢、おまえ、面白い話を思いついたなあ」
先生に初めてほめられた。うれしかった。自分の居場所を感じた。

宮沢賢治は、父の仕事のやり方を嫌いながら、将来の夢という作文で、
「ボクは、大きくなったら、質屋の主人になります!」
と書いた。
先生への、父への、世辞だった。
農民が、いちばん偉い。
自分は、父のようにはならない。
賢治は、心根の優しい子どもだった。
クラスの友達が、ある日、荷馬車に指をひかれてしまった。
泣きじゃくるクラスメート。
賢治はとっさに、その男の子の指を口にあて、血を吸った。
「いたかべ、いたかべ」
必死に励ます賢治。
また、ある生徒が悪ふざけをして、廊下に立たされ、水を並々入れたヤカンを両手に持たされたときは、そのヤカンの水を飲んで楽にしてあげた。
他人の痛みを、自分の痛みに感じること。
それこそ、宮沢賢治が生涯、心に決めたことだった。
それは、自然界を見ればわかる。
たったひとつだけで生きている植物も動物もいない。
みんなが共存、共生し合い、生きている。
彼は自然に触れれば触れるほど、自分の居場所に近づいていった。
賢治の童話や詩が、ときにわかりづらくても、ひとがその作品で癒されるのは、彼の根底に万物への愛があるからだ。
石に物語を托した少年は、時代を越えるお話をつくった。
その話は、相反する自分を全て包み込む、優しいストーリーだった。
自分にできることを追い求めて、彼は短い生涯を生き抜いた。

【ON AIR LIST】
星めぐりの歌 / 坂本美雨 with CANTUS
Love You Too / CORNERSHOP
はじまりの唄 / 大橋トリオ
銀河鉄道 / BUMP OF CHICKEN

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今週のRECIPE

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霜降りひらたけのつぶマヨ炒め

今回は、宮沢賢治の故郷、岩手県花巻市で多く栽培されている、きゅうりとトマトを使った料理をご紹介します。

霜降りひらたけのつぶマヨ炒め
カロリー
252kcal (1人分)
調理時間
10分
使用したきのこ
霜降りひらたけ
材料
【2人分】
  • 霜降りひらたけ
  • 100g
  • アスパラガス
  • 2本
  • きゅうり
  • 1本
  • トマト(飾り用スライス1/2:炒め用乱切り1/2)
  • 1個
  • 海老
  • 4尾(殻をむいておく)
  • サラダ油
  • 大さじ1
  • 【A】
  • マヨネーズ
  • 大さじ3強
  • 粒マスタード
  • 大さじ1
  • 練りがらし
  • 小さじ1(5g)
作り方
  • 1.
  • 霜降りひらたけは小房にほぐし、アスパラガスときゅうりは一口大に切る。
  • 2.
  • 海老は茹でて殻をむいておく。
  • 3.
  • 油をひいた中火のフライパンで乱切りにしたトマトと(1)(2)を炒め、合わせた【A】で和える。
  • 4.
  • 器に盛り、スライストマトを添える。
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PROFILE

  • 長塚 圭史

    語り:長塚 圭史

    1975年生まれ。東京都出身。96年、演劇プロデュースユニット「阿佐ヶ谷スパイダース」を旗揚げ、作・演出・出演の三役を担う。08年、文化庁新進芸術家海外研修制度にて1年間ロンドンに留学。帰国後の11年、ソロプロジェクト「葛河思潮社」を始動、三好十郎作『浮標(ぶい)』を上演する。近年の舞台作品に、『鼬(いたち)』、『背信』、『マクベス』、『冒した者』、『あかいくらやみ~天狗党幻譚~』、『音のいない世界で』など。読売演劇大賞優秀演出家賞など受賞歴多数。
    また、俳優としても、NHK『植物男子ベランダー』、WOWOW『グーグーだって猫である』、WOWOW『ヒトリシズカ』、CMナレーション『SUBARUフォレスター』など積極的に活動。

  • 北阪 昌人

    脚本:北阪 昌人

    1963年、大阪生まれ。学習院大独文卒。
    TOKYO FMやNHK-FMなどでラジオドラマ脚本多数。
    『NISSAN あ、安部礼司』(TOKYO FMなど全国FM37局ネット)、『ゆうちょ LETTER fo LINKS』(TOKYO FMなど全国FM38局ネット)、『世界にひとつだけの本』(JFN)、『AKB48の私たちの物語』(NHK-FM)、『FMシアター』(NHK-FM)、『青春アドベンチャー』(NHK-FM)などの脚本・構成を担当。『プラットフォーム』(東北放送)でギャラクシー賞選奨、文化庁芸術祭優秀賞受賞。『月刊ドラマ』にて、『ラジオドラマ脚本入門』連載中。
    主な著書に『世界にひとつだけの本』(PHP研究所)、『えいたとハラマキ』(小学館)がある。

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NEWS

特別版『オードリー・ヘップバーンが教えてくれる、明日へのyes!』
常盤貴子さん長塚圭史さん
風も、雨も、自ら鳴っているのではありません。 何かに当たり、何かにはじかれ、音を奏でているのです。
誰かに出会い、誰かと別れ、私たちは日常という音を、共鳴させあっています。
YESとNOの狭間で。
あなたは、自分に言っていますか?
YES!ささやかに、小文字で、yes!
毎週土曜日、明日(あした)への希望の風に吹かれながら、自分にyes!と言ったひとたちの物語を朗読でお届けしている番組『yes!明日への便り』。 1月8日は、その特別版「オードリー・ヘップバーンが教えてくれる、明日へのyes!」をお送りいたします。
2018年に没後25年を迎える稀代の大女優オードリー・ヘップバーンの波乱万丈な人生―女優になるまでの波乱に満ちた半生、輝かしい女優時代、ユニセフ親善大使として世界中の子どもたちに尽くした晩年までを、 女優の常盤貴子さんが演じます。
長塚圭史は「語り」の部分やオードリーの夫、また彼女の人生に影響を与えた映画監督の役を担当します。女優、オードリー・ヘップバーンが、私たちに教えてくれる、明日へのyes!とは?

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