yes!~明日への便り~presented by ホクトプレミアム 霜降りひらたけ

第十五話  幸せの谷 -オノ・ヨーコ-

yesとは?

  • 語り:長塚圭史
  • 脚本:北阪 昌人

『自分にyes!と言えるのは、自分だけです』
今週あなたは、自分を褒めてあげましたか?
古今東西の先人が「明日へのyes!」を勝ち取った命の闘いを知る事で、週末のひとときをプレミアムな時間に変えてください。
あなたの「yes!」のために。

―放送時間―
TOKYO FM…SAT 18:00-18:30 / FM大阪…SAT 18:30-19:00
FM長野…SAT 18:30-19:00 / FM軽井沢…SAT 18:00-18:29

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第十五話 幸せの谷

ここに一本の道があります。
軽井沢万平ホテルの裏に伸びる、石畳の小道。
苔むした石垣や何処までも続く木々たちは、時代を越え、ここを歩くひとを見てきました。
外国からやってきた宣教師は、ここを、こんなふうに呼びました。
『ハッピー・バレー』。幸福の谷。
1977年から79年の夏、この幸せの谷を何度も往復した、ある家族がいます。
ジョン・レノン、オノ・ヨーコ、そして息子、ショーン。

三人は、あるときは万平ホテルを、あるときは、離山房というカフェを訪れるために、この道を歩きました。
彼らは、緑の香りを胸いっぱいに吸い込んで、鳥の声に、耳を傾けました。
オノ・ヨーコの別荘があった、幸せの谷は、彼らを優しく包み込み、まるで世界はひとつだと言わんばかりに、キラキラと輝いていました。
オノ・ヨーコは、隣を歩くジョンに、どんな言葉をなげかけたのでしょうか?
そう、オノ・ヨーコが初めてジョン・レノンに会ったとき、彼女は一枚の名刺を差し出したそうです。
その名刺には、たったひとこと、こう書かれていました。
「呼吸、しなさい」。

オノ・ヨーコは、1933年2月18日、銀行家の小野英輔の家に生まれた。
父英輔は、銀行家になる前はピアニストだった。
ヨーコもピアノを習う。父に気に入られたかった。
ベートーヴェンやバッハを練習した。
一時、サンフランシスコに移り住むが、戦争の足音がひたひたと聴こえてきた。
日米間の緊張を感じ、ヨーコだけ鎌倉にある母方の実家にあずけられた。
両親はいないが、おつきのものはたくさんいた。
でも、さみしかった。暗闇が怖い。
古い屋敷のそこかしこに恐怖を覚えた。
12歳のとき、東京大空襲を経験。空腹をまぎらわすために、弟と架空のメニューを言いあった。
地方での疎開暮らしはなじめなかった。いつもひとりで空を眺めた。古い家屋の天井に開いた穴から、空を見ていた。
終戦後しばらく経ってから、父の仕事でニューヨークに住む。
サラ・ローレンス大学で文学や音楽に触れる。
前衛芸術を始めた。
人種差別、女性蔑視、さまざまな苦難の中、彼女はひたすら前だけを見つめた。
1966年11月9日。運命の出会いが彼女を待っていた。

ロンドンでのオノ・ヨーコの個展。タイトルは『未完成の絵画とオブジェ』。
ジョン・レノンが、やってきた。
天井に書かれた『YES』の文字を見た彼は、オノ・ヨーコに言った。
「もし、『NO』とか『インチキ』みたいな言葉が書かれていたら、すぐにギャラリーを出ていったと思う」

二人は握手をして、やがて恋に落ちた。
YESを言ってもらったのは、ジョン・レノンだけではなかった。
オノ・ヨーコもまた、ジョンにYESを言ってもらえた。
自分がやるパフォーマンスを支えてくれる。
自分がこれまで感じた恐怖や辛い体験も、優しく包み込んでくれた。
ショーンが生まれ、夫婦の在り方に悩んだ。
二人とも、アーティスト。どう日常と向き合えばいいのか。
ヨーコの頭には、これまでの身をすり減らした経験がよみがえる。
ジョンは、言った。
「僕が、ハウスハズバンドになるよ」。
夏の軽井沢が、彼らの背中を押した。
高原を吹き抜ける風が、彼らの歩く道を幸せへといざなった。

オノ・ヨーコは、どんなに苦境に立たされても、こう思っていた。
「ひとのことを批判するエネルギーがあるなら、それを自分の生活をよくするために使いたい」。
そしてショーンを自転車に乗せて、離山房に向かうジョン・レノンの背中を見て、気づいた。
「相手の価値観を認めて、許すことができれば、それこそが人を理解し、愛することにつながる。自分の健康にとって、いちばん大事なことは、許すこと。そして、愛すること」
たくさん傷ついた彼女だからこそ、そこに辿り着いた。
離山房には、ジョンとショーンが一緒に写る
セピア色の写真が飾られている。
ショーンの身長を測る、ジョン・レノン。
その姿を見つめるオノ・ヨーコは、どんな表情だったのか。
おそらく、笑顔だったに違いない。
オノ・ヨーコは、あるインタビューにこんな言葉を残した。

「私たちはみんな、それぞれの川から流れてきた水、だから簡単に会うことができる、私たちはみんな、この広い広い海の水、いつか、一緒に蒸発する」
オノ・ヨーコは、ジョンを失っても、許すことをやめなかった。
許すこと、愛すること、彼女の想いは、今も、空に昇華し、地球をかけめぐる。
そして彼女は、明日を生きる全てのひとに、こんなメッセージを届ける。
「空の雲を眺めるような気持ちで、夢を胸に秘めてください。
自分を大事にして、美しい夢を持って、ください」

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PROFILE

  • 長塚 圭史

    語り:長塚 圭史

    1975年生まれ。東京都出身。96年、演劇プロデュースユニット「阿佐ヶ谷スパイダース」を旗揚げ、作・演出・出演の三役を担う。08年、文化庁新進芸術家海外研修制度にて1年間ロンドンに留学。帰国後の11年、ソロプロジェクト「葛河思潮社」を始動、三好十郎作『浮標(ぶい)』を上演する。近年の舞台作品に、『鼬(いたち)』、『背信』、『マクベス』、『冒した者』、『あかいくらやみ~天狗党幻譚~』、『音のいない世界で』など。読売演劇大賞優秀演出家賞など受賞歴多数。
    また、俳優としても、NHK『植物男子ベランダー』、WOWOW『グーグーだって猫である』、WOWOW『ヒトリシズカ』、CMナレーション『SUBARUフォレスター』など積極的に活動。

  • 北阪 昌人

    脚本:北阪 昌人

    1963年、大阪生まれ。学習院大独文卒。
    TOKYO FMやNHK-FMなどでラジオドラマ脚本多数。
    『NISSAN あ、安部礼司』(TOKYO FMなど全国FM37局ネット)、『ゆうちょ LETTER fo LINKS』(TOKYO FMなど全国FM38局ネット)、『世界にひとつだけの本』(JFN)、『AKB48の私たちの物語』(NHK-FM)、『FMシアター』(NHK-FM)、『青春アドベンチャー』(NHK-FM)などの脚本・構成を担当。『プラットフォーム』(東北放送)でギャラクシー賞選奨、文化庁芸術祭優秀賞受賞。『月刊ドラマ』にて、『ラジオドラマ脚本入門』連載中。
    主な著書に『世界にひとつだけの本』(PHP研究所)、『えいたとハラマキ』(小学館)がある。

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NEWS

特別版『オードリー・ヘップバーンが教えてくれる、明日へのyes!』
常盤貴子さん長塚圭史さん
風も、雨も、自ら鳴っているのではありません。 何かに当たり、何かにはじかれ、音を奏でているのです。
誰かに出会い、誰かと別れ、私たちは日常という音を、共鳴させあっています。
YESとNOの狭間で。
あなたは、自分に言っていますか?
YES!ささやかに、小文字で、yes!
毎週土曜日、明日(あした)への希望の風に吹かれながら、自分にyes!と言ったひとたちの物語を朗読でお届けしている番組『yes!明日への便り』。 1月8日は、その特別版「オードリー・ヘップバーンが教えてくれる、明日へのyes!」をお送りいたします。
2018年に没後25年を迎える稀代の大女優オードリー・ヘップバーンの波乱万丈な人生―女優になるまでの波乱に満ちた半生、輝かしい女優時代、ユニセフ親善大使として世界中の子どもたちに尽くした晩年までを、 女優の常盤貴子さんが演じます。
長塚圭史は「語り」の部分やオードリーの夫、また彼女の人生に影響を与えた映画監督の役を担当します。女優、オードリー・ヘップバーンが、私たちに教えてくれる、明日へのyes!とは?

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