第百六十七話自由を手放さない
滋賀県立芸術劇場びわ湖ホール。
そのロケーションの素晴らしさ、西日本初となる4面舞台を有する本格的な大ホールは、多くの演奏家、アーティストに愛されています。
イタリアのあるソプラノ歌手は、「このホールを、そのままイタリアに持って帰りたい!」と言ったそうです。
水辺の劇場は、ウィーンやベネチア、あるいはプラハを彷彿とさせるのかもしれません。
このホールで、今年没後100年を迎えた、ある作曲家のリサイタルが開催されました。
その作曲家の名前は、クロード・ドビュッシー。
19世紀後半から20世紀初頭にかけてクラシック界に君臨した、フランスの天才作曲家です。
交響詩『海』、『牧神の午後への前奏曲』など、絵画的、文学的な作品は、音楽のみならずあらゆる分野の芸術家に刺激を与えました。
その並外れた才能の一方で、生活は破天荒。
わがままで、頑固。女性に会うと、すぐに惚れてしまう。
相手が人妻だろうが恩師の娘だろうが少女でもかまわず口説く。
挙句の果て、二人の女性を自殺未遂に追いやってしまう始末です。
実生活では、ひとから嫌われ、ののしられ、憎まれることが多かったのですが、作る曲はまるで天使が奏でているような美しい旋律でした。
43歳のときに初めて子どもができてからは、ひとが変わったようになったと言われています。
溺愛する娘のために『子供の領分』という、ピアノのための組曲を作曲しました。
放蕩の果て、55年の生涯を終えたドビュッシーにとって、人生のすべての出来事が作曲につながっていたのです。
「音楽は、色彩とリズムを持つ時間で成り立っている」
そう名言したクロード・ドビュッシーが、人生でつかんだ明日へのyes!とは?
作曲家、クロード・ドビュッシーは、1862年、フランスのサン=ジェルマン=アン=レーのパン通りで生まれた。
気の弱い小柄な父は、陶器店を営んでいたが、経営がおもわしくなく、あちこちを転々とすることになる。
父とは対照的にドビュッシーの母は気が強く、頑固。
革命の闘士を家系に持つ彼女は、およそ子育てに不向きな性格だった。
ドビュッシーは、よく叩かれた。
気が短い母の顔色ばかりをうかがう。父と母の喧嘩も辛かった。
母に抱きしめられた記憶がない。母の笑顔を思い出せない。
そんな幼少期、唯一の心のよりどころは、父の姉、伯母・クレマンティーヌだった。
優しくて美しいクレマンティーヌは、ドビュッシーを我が子のように可愛がった。
自分が暮らすカンヌに呼び寄せ、そこで、ドビュッシーにピアノのレッスンを受けさせた。
初めてピアノを触ったとき、ドビュッシーは驚いた。
自分の思いのまま、音が、メロディが応えてくれる。
そこには何の気遣いもいらない。
ビクビクして小さく固まっていた彼の心が、自由に羽ばたいた。
「ピアノって…すごい!ボクは、翼をもらった」
フランスの作曲家・ドビュッシーは、8歳の時、カンヌで見た風景を生涯忘れなかった。
「南フランスのどこまでも高く、青い空。海はおだやかで、波間に陽の光が輝いてる。列車の音がする。やがて、まるで海の中から飛び出してくるように列車が近づき、やがて、海の中に入っていくように過ぎ去っていく。アンティーブ街道のバラは見事だ。一面のバラたちが放つ香りがボクを包む」
ピアノとカンヌの景色は、彼に自由と希望の素晴らしさを教えた。
ドビュッシーの音や色彩に対するずば抜けたセンスを伯母は見抜いた。
カンヌからパリに戻ったドビュッシー一家に悲劇が訪れる。
普仏戦争の波にのみこまれ、入隊した父は賊軍のひとりとして収容所に入れられた。
世間の冷たい目と、絶望的な貧しさ。
母の精神状態は極限に達していた。
そんな中、ドビュッシーはピアノにのめり込んだ。
さまざまなつてを頼り、彼の才能を認めたひとたちのおかげで、なんとかレッスンを続けさせてもらう。
やがて、10歳のとき、国立パリ高等音楽院に入学する。
ピアニストになるための重い扉が、大きな音とともに開いた。
ドビュッシーの性格は、幼い頃から一貫していた。
偏屈で頑固。
自分の興味のあることはどこまでも追及するが、気がのらないことには一切興味を示さない。
10歳で入った国立パリ高等音楽院。
ピアノの指導教授・マルモンテルは、驚いた。
品行方正な生徒ばかりのこの学校で、遅刻の常習犯はドビュッシーだけだった。
学校に来るまでの間、本屋で気に入った本があれば最後まで読み続ける。
美しい花を見れば、会話するように眺め続ける。
マルモンテルは、どれだけ待たされても、ピアノの前でこの天才少年を待ち続けた。
ひとたびピアノの前に座れば、とんでもない集中力で鍵盤と向き合うことを知っていたから。
両親は、ドビュッシーがピアニストになることだけを心の支えにした。
「あの子はきっと、我が家に大きな富をもたらせてくれるだろう!」
確かに、ドビュッシーはコンクールでいつも上位に入賞した。
ただ、基礎的な訓練を嫌がった。
自由さ。それこそが彼にとってのピアノだった。
枠にはめられて、「こうでなくてはいけない」と言われると、途端に興味を失う。
結局、ピアニストの道はあきらめざるを得なかった。
「なんで自由に弾いちゃダメなんですか?先生!」
マルモンテルは、答えに困る。
「譜面に書いてある旋律をいかに読み取れるか、それが大事なんだよ」
ドビュッシーは、こう返した。
「だったらボクは、譜面を書くほうで生きる!」
作曲家・ドビュッシーは、従来の方法やモチーフに固執することはなかった。
ヴェルレーヌ、ボードレール、マラルメ、詩人たちと語らい、彼らの詩の世界を音楽で表現しようと試みた。
幼い頃見たカンヌの風景を音で表現できたとき、彼の心に幸せが満ち溢れた。
【ON AIR LIST】
亜麻色の髪の乙女 / ドビュッシー(作曲)、清水和音(ピアノ)
月の光 / ドビュッシー(作曲)、ジャック・ルヴィエ(ピアノ)
「映像第1集」より 第1曲 水の反映 / ドビュッシー(作曲)、横山幸雄(ピアノ)
牧神の午後への前奏曲 / ドビュッシー(作曲)、サイモン・ラトル(指揮)、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
【撮影協力】
びわ湖ホール
https://www.biwako-hall.or.jp/
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