第二百六十七話歩みをとめない
一ノ瀬泰造(いちのせ・たいぞう)。
その最後の言葉をタイトルにした本が出版され、映画にもなりました。
時は、1972年から73年。
カンボジアは内戦と、北ベトナムからの攻撃で、大混乱の最中にありました。
その戦地に潜入したのが、一ノ瀬泰造です。
始めは、UPIに高く写真を買ってもらうためにスクープを狙っていた一ノ瀬でしたが、戦地を巡り、悲惨さを目の当たりにするうちに、撮る対象が変わっていきます。
「いつだって、最も被害をこうむるのは、ごくごくフツウに生きている家族、子どもたちなんだ…」
休暇で故郷に帰った兵士を迎える、家族の笑顔。
戦地の息子からだろうか、一通の手紙を熱心に読む夫婦。
残虐で凄惨な写真も撮りましたが、気がつけば、彼の周りにはベトナムやカンボジアの子どもたちが集まってきました。
「タイゾー! ねえ、タイゾー! 遊ぼうよ!」
誰に対しても分け隔てしない彼の人柄は、言語や人種を越えて愛されたのです。
一ノ瀬は、最も危険な聖地、クメールルージュ支配下のアンコールワットを目指しました。
日本人として最初に潜入し、写真におさめたい、有名になりたい。
そんな野心はいつしか、ただ単に、アンコールワットの写真が撮りたい!に変わっていきます。
誰が止めても、歩みをやめない。
地雷を越えて、突き進む。
ただ一枚の写真を撮りたいがために。
人生の最期に、彼はジャングルの中の遺跡を見ることができたのでしょうか?
戦場カメラマン・一ノ瀬泰造が人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
26歳で戦地に消えた報道写真家、一ノ瀬泰造は、1947年11月1日、佐賀県武雄市に生まれた。
武雄温泉近くにある桜山公園には、奇妙な形をした岩山がそびえ、一ノ瀬は幼い頃から、そこで遊ぶのが大好きだった。
ガキ大将で、手がつけられないワンパクぶりに、両親も先生も手を焼いた。
父は、戦時中、陸軍飛行学校の写真班の教官。
終戦後、ふるさとの武雄に戻ってきたが、一ノ瀬は、カメラをいじる父の後ろ姿を見て育つ。
戦争、そして写真。
二つの人生のキーワードはすでに用意された。
高校時代は、野球部に所属。
1年生の夏、甲子園に行った。
武雄高校は初出場、一回戦で敗れたが、武雄の名が全国に知れ渡った。
高校を卒業すると、日大芸術学部写真学科に入学。
サークルも、フォトポエムという写真クラブに入る。
とにかく、いつもカメラを首からぶら下げて歩いた。
浅草、日本橋、同期の友人、赤津孝夫(あかつ・たかお)と路地を歩き、シャッターを押した。
写真を撮れば撮るほど、その奥深さ、難しさを知る。
大学卒業後、UPI通信社の東京支社に勤務するが、試用期間後、不採用になってしまう。
一ノ瀬の心にこんな思いがやってくる。
「僕は、写真が下手くそだ…下手くそな自分がそれでも写真をやりたいなら…体をはるしかない…」
一ノ瀬泰造は、UPIを不採用になると、フリーランスの戦争カメラマンになることを決意する。
たった一枚のスクープ写真で、みんなを見返してやる!
そんな気持ちがあったのかもしれない。
戦場への最初のステップ、バングラデシュに旅立つ前の日の夜、友人の赤津が偶然、アパートに訪ねてきた。
荷造りをしている一ノ瀬に赤津が言う。
「行くのか?」
「ああ、明日行くよ」
赤津は、米軍払い下げの軍用ブーツをたまたま買ってきた帰りだったので、それを餞別に渡した。
「ありがとう。ひとつ、お願いがあるんだ、赤津。戦地からフィルムを送るから、それを現像してこっちの新聞社や出版社に売り込んでくれないか」
「ああ、いいよ、わかった」
そのとき一ノ瀬は、うれしそうに、ニッコリ笑った。
バングラデシュで、早くもフリーランスの現実を知る。
命がけで撮った写真。
フィルムを買い上げられ、しかも自分の名前はでない。
よりセンセーショナルなもの、よりショッキングな写真を求められる。
1972年3月、一ノ瀬は、激戦の場所を求め、インドシナに渡った。
内戦が激化するカンボジアのプノンペンに着いた一ノ瀬泰造は、屋台で売っていた一枚の絵ハガキに心奪われた。
アンコールワット。
ただ綺麗なだけではない。
密林で人々の目に触れずに風化を耐えた、神秘の遺跡。
「これを、撮りたい…写真におさめたい」
今まで味わったことのない衝動が彼を襲った。
ベトナム戦争、カンボジア内戦は、激しさを増し、多くの難民を生んだ。
さっきまで一緒に遊んでいた子どもが砲撃に命を落とす。
理不尽と無常。
それでも一ノ瀬は、シャッターを押し続けた。
自分にできることは、これしかない。
自らも、手りゅう弾にカメラを吹き飛ばされたり、ヘルメットに砲弾があたったりした。
戦地から心配する母に手紙を送った。
「好きな仕事に命を賭けるシアワセな息子が死んでも、悲しむことないヨ、母さん」
アンコールワットは、解放軍の支配下にあった。
それを奪還しようと進軍する政府軍。
遥か遠くに、その遺跡の突端を見た一ノ瀬は、懐かしさに涙が出そうだった。
幼い頃遊んだ、桜山に似ていた。
「アンコールワットを撮りたい…」
心から思った。
そこには功名心も自己顕示欲もなかった。
ただ純粋に、カメラを首からぶら下げていた頃の少年の心があった。
あと、1.5キロ地点まで近づいたが、そこで一ノ瀬は解放軍、クメールルージュに捕らえられ、消息を絶った。
8年後、カンボジアに渡った一ノ瀬の両親が、掘り起こされた我が子の遺体を確認した。
アンコールワットを撮ることはかなわなかったが、その憧れの全景は、写真家・一ノ瀬泰造の瞳に、しっかり焼きつけられたにちがいない。
【ON AIR LIST】
HAVE YOU EVER SEEN THE RAIN? / Creedence Clearwater Revival
FIND THE COST OF FREEDOM / Crosby,Stills,Nash & Young
アンコール・ワット / ザ・ギル・エヴァンス・オーケストラ
WHAT'S GOING ON / Marvin Gaye
閉じる