第百五十三話変化を恐れない
いまだに日本人のみならず、世界中のひとを魅了するその作品たちは、斬新な構図や一瞬を切り取る精緻(せいち)な筆づかいに支えられています。
当時としては珍しく長生きをした北斎は、さまざまな画風、様式に挑戦し続け、ひとつの流派に留まることを嫌いました。
彼は、自分の雅号を30回も替えたと言われています。北斎という名前ですら、あっさり弟子に譲ってしまいました。
また、引っ越しの回数も尋常ではなく、その数、90回以上だったと文献に記されています。
彼が最晩年に選んだ場所。
それが、長野県小布施町でした。
長野県の北東部に位置する、栗で有名なこの町には、今も北斎の足跡をたどることができる重要な遺産が残っています。
岩松院の天井絵、八方睨みの鳳凰図。
北斎館や高井鴻山記念館にも、多くの作品が展示されています。
「私は6歳から絵を画いているが、70歳より前のものは、とるにたる作品はなかった。73歳でようやく、少しだけ、鳥や獣、虫や魚の骨格がわかり、草や木の生態を理解できるようになってきた。このまま精進すれば、80歳でますます成長し、90歳でいろんなことの本当の意味に気づき、100歳で技をつかみ、110歳では、一筆ごとが生きているようになるだろう」
北斎は、そう言い残しました。
73歳と、そこだけ刻んだのにはわけがあります。
彼の代表作『冨嶽三十六景』を発表した歳だったのです。
その年、他にも自信作と思われる作品を生み出しましたが、自分を戒めるように、こんな言葉を記したのです。
たとえひとつの仕事が成功に終わろうとも、慢心することなく、あっさりと過去を捨て去り、次のステージを目指した男、変化を恐れぬ葛飾北斎が、人生でつかんだ明日へのyes!とは?
葛飾北斎は、1760年、下総の国、本所割下水、現在の墨田区に生まれた。
生まれてすぐに養子に出される。
6歳のときには、絵を画いた。
12歳の頃には、貸本屋で働く。
自分の背丈より高く積まれた貸本を背負い、街中、配達した。
ときどき、配達中に貸本をひろげ、その挿絵に見惚れた。
「物語を読まなくても、たった一枚の絵で全てが見える、すごい、絵っていうのは、すごい!」
どうやったら、ひとの感情を一枚の絵に刻みこむことができるのか。
どんなふうに描いたら、この自然界を立体的にとらえることができるのか。
寝ても覚めても、絵を画くことだけを考えた。
同じ年頃の子どもが好むことに関心を示さない。
駄菓子も遊びも、興味はない。
そこに画きたいものがあるのに、画けないもどかしさ。
その気持ちだけが彼の背中を押した。
木版彫刻、肉筆、なんでも試す。
気がつくと、地面に棒きれで似顔絵を画いている。
行きかうひとがそのうまさに、思わず足をとめた。
「坊、うまいな」
そう言われて、幼い北斎は言った。
「こんなの、全然ダメだ。魂が入ってない絵は、ただの落書きだ」
葛飾北斎は19歳の時、当時、役者の似顔絵を画かせたら右に出るものはいないと言われた、勝川春章(かつかわ・しゅんしょう)に弟子入りする。
春章は、北斎の絵を見て驚いた。
「独学でここまで画けるようになるには、どれほど努力したんだろうか」
自分の絵を差し出し、「真似てみろ」と言うと、ものの数分で画いてしまう。
「役者の表情をつかみ、最もふさわしい個性を描き出すことが肝要だ」。
講釈をたれるそばから画いていく。
春章は、すぐに自分の後継者になる逸材だと思った。
弟子入りした翌年には、春朗(しゅんろう)という雅号をもらい、デビュー。
師匠の名前を授かり、周りからは羨望の眼差し。
しかし、北斎は、名前より仕事として画けることのほうが嬉しかった。
ほぼ15年、春章のもとで浮世絵を画き続けた。
繊細なタッチ、役者の表情を大胆に描き出すテクニック。
どれもが他を寄せ付けない作品で、生活は安定し、順風満帆な日々だった。
でも、ある日、北斎はあっさり春朗という雅号を捨ててしまう。
「このままでは、オレはこれ以上成長できない。ここを出ない限り、オレは…自分が画きたい本当の絵が画けない」
北斎は、荒海に飛びだす覚悟を決める。
葛飾北斎は役者の似顔絵師としての地位も雅号もあっさり捨て去った。
狂歌絵本や挿絵、肉筆画という全く新しいジャンルに挑戦する。
かつての師匠の画法とはまるで違うタッチ。
肖像画ばかりを描いていた画家が、風景画や映画のワンシーンのような叙情的な作品を紡ぎ出すように、日々、過去の実績を消し去る努力をした。
海外の絵にも興味をいだき、積極的に取り入れる。
画家仲間からは、こんなふうに言われた。
「春章先生のもとでいれば、生涯安泰だったのに、馬鹿なやつだ」
でも北斎は、そんな言葉には耳を貸さなかった。
「ひとは勝手気ままにいい加減なことを無責任に言うもんだ。オレはただ、後悔しない人生がおくりたいだけなんだ。この場所にいたら腐る、と思えば、そこを出る。それだけのことだ」
こうして北斎は、流派に属することをやめた。
「オレの師匠は、たったひとつ。この世界だ。森羅万象、海、森、そして人。今、目に見えているもの全てが、オレの師匠なんだ」
北斎に、常識や通例は関係なかった。
たった一枚で、どれだけ人を感動させられるか。
そのためには、地位も名誉もお金も意味がなかった。
画いて画いて、画き続ける。
自分が納得するものが画けるようになるまで。
葛飾北斎の絵は、彼の戦歴。
戦いの歴史が、そこに刻まれている。
変化することを厭(いと)わず、自分の技に向き合った男の、我々に対する挑戦状。
「おまえは、そこに留まって後悔しないか」
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