第四百七話できない、と言わない
オオタニの偉業が報じられることで、再び、その伝説がクローズアップされているメジャーリーガーがいます。
ベーブ・ルース。
今年、没後75年を迎える彼の本名は、ジョージ・ハーマン・ルース・ジュニア。
ベーブは、ベイビーから来たニックネーム。
童顔、子どものように邪気がない笑顔、子どものようにやんちゃで、常識知らず。
ぷっくり太った体型も、ベーブという愛称にピッタリでした。
「子ども」というのは、ある意味、彼のキーワードかもしれません。
無類の子ども好き。
ベーブ・ルースは、デビューした当時から、球場に来た子どもたちにホットドッグをご馳走するなど、特別に、大切にしてきました。
子どもたちもまた、いつも彼のまわりに集まり、背中を叩いたり、お腹の肉をつまんだりして、ふざけあい、でも、試合になると、いきなりホームランをかっとばしてスタジアムから賞賛を浴びるベーブを、特別な大人として尊敬したのです。
メジャーリーグを代表する超有名選手になり、多忙になっても、ベーブは、養護施設や孤児院を足しげく訪れ、靴をプレゼントしたり、サインをしたり、抱き上げ、ハグを繰り返しました。
それは売名行為ではないかと揶揄されたこともありましたが、すぐに見当違いであるとわかりました。
どんな有名新聞やカリスマ雑誌のインタビューより、彼が子どもとの時間を優先したからです。
その姿は、球場で子どもたちが差し出すボールに丁寧にサインする、大谷翔平にかぶります。
ベーブ・ルースは、親の愛をほとんど知らずに育ちました。
7歳から、まるで捨てられるように全寮制の矯正学校に入れられ、家族の団欒を経験することがなかったのです。
そんな彼が、子どもたちに、常に言い続けたこと。
それは「できないと最初に言うな。なんでもできる、まずは、そこから始めるんだ」という言葉でした。
貧しさと孤独の淵からスポーツ界のレジェンドになったメジャーリーガー、ベーブ・ルースが人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
二刀流のレジェンド、ベーブ・ルースは、1895年2月6日、アメリカ、メリーランド州ボルチモアに生まれた。
ドイツ系移民の両親。母は病弱。父は酒場の店主。
一家は、酒場の2階で暮らした。
父は、昼から朝方まで、1日20時間以上働いたが、貧しかった。
ほとんど寝たきりの母と、ほとんど家にいない父。
ベーブ・ルースは、満足な躾や教育を受けることなく、幼少期を過ごす。
学校には行かず、路上をうろつく。
近所の不良仲間と悪事にふけった。
手がつけられない、やんちゃな子ども。
ただ、野球に興じているときだけ、笑顔になれた。
大きな打球を、裏の店の陳列棚に打ち込んだことがあった。
卵は、ぐちゃぐちゃ。
店主は、怒ってベーブ・ルースの家に怒鳴りこんだが、一家のあまりの貧しさと、ベーブ・ルースのボロボロな服を見て、何も言わずに帰ったという。
父は、ついに我が子の面倒は見きれないと判断。
7歳のとき、親がいない子や貧乏な子、犯罪に手を染めた不良少年が入る、全寮制の矯正学校に入れることにする。
ベーブ・ルースは、泣いて叫んだ。
「お父さん、ボクを捨てないで、お父さん、ボクは行きたくない!」
でも、父は彼を引きずるようにして連れていった。
そのセント・メアリー少年工業学校で、ベーブ・ルースに運命的な出会いが待っていた。
ベーブ・ルースが7歳で入った学校では、敬虔な修道士が教師を務めていた。
緑豊かな環境に、800人あまりの生徒が暮らす。
6時に起床し、勉強と裁縫などの作業。
自由時間は、夕食前のほんの1時間だけだった。
ベーブ・ルースは、勉強はさっぱりわからない。
洋服の仕立てなどの細かい手作業も苦手だった。
同級生にからかわれ、喧嘩になる。
人一倍体格がよかった彼は、常に標的にされ、心がすさんだ少年たちが襲いかかる。
いつも目立ってしまうので、不器用な彼が、神父に叱られ、罰を受けた。
学校を抜け出す計画を立てていたベーブの前に、ひとりの教師が現れた。マティアス神父。
背は高く、顔はムービースターのように整っている。
地底から湧き上がるような低い声は、他の神父とは違う説得力があった。
ある日、運動場で野球をしているベーブに、マティアスが尋ねた。
「打ったボールが、ホームランになる場合と、うまく飛ばない場合、何が違うか、わかりますか?」
ベーブがわからないと答えると、マティアスは、彼の頭に優しく手を置き、言った。
「バットを振るとき、ホームランになると信じているか、どうかです。
いいですか、ルース、できないと思ったら、できない。
反対に、やれると思ったことは、やれるんです」
ベーブ・ルースは、心からマティアス神父を尊敬した。
彼に褒められたくて、ホームランを打つ。
彼に認められたくて、投手としても頑張った。
貧しさや孤独、容姿や不器用さへのコンプレックスでこじれた心を、神父は本来の姿に戻してくれた。
ベーブ・ルースに、笑顔や優しさ、無邪気で明るい心が戻った。
セント・メアリー少年工業学校で過ごした12年間。
彼は、マティアスを、実の父のように慕った。
18歳のとき、野球部のエースだったベーブの試合を、偶然観ていたメジャーリーガーの口利きがきっかけで、いきなり契約が決まる。
ベーブ・ルースは、ある事実を知った。
自分がホームランを打つと、みんなが喜んでくれる。
自分が三振をとると、たくさんのひとが笑顔になる。
初めて、生きる意味に出会った。
東北・仙台の八木山動物公園に、ベーブ・ルースの銅像がある。
1934年、昭和9年に、アメリカ大リーグのオールスターチームが来日。
かつて野球場だったこの地に、ベーブ・ルースもやってきた。
その八木山球場で、ベーブ・ルースは、来日初ホームランを打った。
野球場はなくなってしまったが、銅像は残り、動物公園には、子どもたちの歓声が響き渡る。
二刀流の天才、ベーブ・ルースは、今も子どもたちの笑い声を聴いている。
子どもたちの輝く未来を願いながら。
【ON AIR LIST】
野球場に連れてって / ドクター・ジョン
パウンド・ケーキ / レスター・ヤング&カウント・ベイシー楽団
ストレイトン・アップ・アンド・フライ・ライト / ダイアナ・クラール
ユー・キャン・ドゥ・イット / クール&ザ・ギャング
★今回の撮影は、「八木山動物公園フジサキの杜(仙台市八木山動物公園)」様にご協力いただきました。ありがとうございました。
アクセスなど、詳しくは公式HPにてご確認ください。
八木山動物公園フジサキの杜(仙台市八木山動物公園) HP
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