第二百三十六話何気ない日常こそ尊い
藤沢周平。
彼が生まれた鶴岡市にある「鶴岡市立藤沢周平記念館」は、庄内藩 酒井家の居城、鶴ヶ岡城址にあります。
敷地内には、東京で暮らしていた家の庭木や屋根瓦なども移築され、作家としての生涯を、作品世界と共に味わうことができます。
記念館の近くにある公園は、桜の名所。
そこはまるで、藤沢周平が書いた「海坂藩」の世界です。
江戸時代にタイムスリップしたような感覚が味わえるかもしれません。
下級武士や庶民を多く描いた藤沢は、ことあるごとに、家族に次の六か条を話しました。
1. 普通が一番。
2. 挨拶は基本。
3. いつも謙虚に、感謝の気持ちを忘れない。
4. 謝るときは、素直に非を認めて潔く謝る。
5. 派手なことは嫌い、目立つことはしない。
6. 自慢はしない。
この中で、いつも口にしていたのが「普通が一番」という言葉だったと言います。
彼は作品の中でも、登場人物の日常を丁寧に描き、普通を大切にしました。
ささやかな日々の暮らしにこそ幸せがある、そんなメッセージが聴こえてきます。
藤沢が「普通が一番」という境地に辿り着いたのは、彼の生涯と無縁ではありません。
度重なる苦難の末に手にした言葉だったのです。
名作『蝉しぐれ』で、父との今生の別れをする男は、たいした言葉も口にできません。
外で待っていた友人は、悔やむ彼に、こんな言葉を言いました。
「人間は後悔するようにできておる」
人間を愛し、日常を愛した、時代小説の旗手・藤沢周平が人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
映画化された『たそがれ清兵衛』や『蝉しぐれ』の作者、藤沢周平は、1927年12月26日、現在の山形県鶴岡市に生まれた。
農家の次男。
食べるものに苦労するほどではないが、家は狭く、貧しかった。
幼い頃から畑に出て手伝う。
感受性の鋭さは両親も驚くほどだった。
母と二人で農作業から帰るとき、陽が傾き、大地が黄金色に輝くのを見て、泣いた。
母は我が子がなぜ泣くか、わからない。
藤沢はそのときの光景を、生涯忘れなかった。
対人関係でも、小さなことに心を痛める。
藤沢がまだ3歳になったばかりの頃、奉公に出ていた二人の姉が家に帰ってきた。
居間に三人で寝ることになる。
ふっくら丸顔の上の姉。色黒で筋肉質の下の姉。
二人から「一緒に寝ようよ!」と腕をつかまれる。
迷った末、彼は上の姉の布団にもぐりこんだ。
そのとき、下の姉のさみしそうな顔を見てしまう。
心が痛んだ。後悔した。
藤沢は、下の姉が七十を越えても、その小さな罪悪感を抱え続けた。
庄内平野の大自然は彼に無常を教え、農家での暮らしは、彼の心に色濃い人間関係の功罪を刻んだ。
「ボクは、どうしてひとより多く、涙を流すんだろう…」
時代小説の名手、藤沢周平は、小学5年生のときの授業中、突然声が出なくなった。
同級生の反応は、驚きからひやかしに変わっていく。
彼等は声をしのばせて笑い、やがて無視するようになる。
孤独だったが、平気だった。
藤沢には、本があった。
もともと読書が好きで、片っ端からなんでも読んでいた。
うまくしゃべれないことで、読書量がさらに増える。
ときどき「ヒマサエアレバ、ヒマサエアレバ」とバカにされた。
暇さえあれば本を読んでいるということらしい。
本から目を離し、彼等の方を見ると、さっと散っていく。
勉強もそこそこできたし、運動も負けなかった。
別に卑下することはないと思っていた。
担任の宮崎先生は、そんな藤沢に根気よく接した。
他の児童と同じように指名して、本を読ませようとした。
何度、声が出なくても、とばすことはなかった。
1時間かけて、ヴィクトル・ユーゴーの『レ・ミゼラブル』を読んでくれるような先生だった。
藤沢の作文を褒めたたえ、読書に道筋を示した。
毎日毎日、通学の30分間、歩きながら本を読んでいる時がいちばん幸せだった。
ふと視線を大地に向けると、相変わらずの夕陽が、自分を迎え入れてくれた。
藤沢周平が幼い頃、家にひとりの男がやってきた。
がらがらと引き戸を開けたその男は、面長で眼光が鋭く、「水を飲ませてくれ」という。
鳥を撃つ猟師だった。
藤沢が差し出すひしゃくから、ごくごくと水を飲んだあと、彼の顔をまじまじと見て、こう言った。
「坊主、おまえはあれだな、大人になったら、ひとにものを教えるひとか、物書きになるといい」
藤沢は、印刷会社や役場で働きながら、夜間学校に通った。
やがて先生になる夢をいだき、師範学校に進む。
念願だった中学校の教師になる。
体格がよく、スポーツマンで色白。
二枚目の先生として生徒の評判もよかった。
天職だと思った矢先、順調に見えた人生は、あっという間に崩れ去る。
肺結核。
当時はまだ不治の病だった。
大手術の結果、命をつなぐ。
でも、教師には戻れなかった。
郷里を出て、東京の業界新聞に就職。
普通に働けること、お金を稼げることが、うれしかった。
コツコツと小説を書き始める。
結婚をして、子どもも授かる。
今度こそ全てがうまくいく、そう思ったのもつかの間、妻が28歳の若さで病死。
虚無感を抱えながら、小説を書くことで心のバランスを保った。
涙を流しながら、庶民の日常を描いた。
下級武士のささやかな幸福を書いた。
書くことで、救われる。
やがて彼の小説は認められ、直木賞を受賞。
藤沢周平の苦しみは昇華され、彼は読者に、どんなに苦しくても人生は生きるに値することを伝え続けた。
ささやかな日常にこそ、ほんとうの幸福がある。
彼の口癖は、普通がいちばん。
【ON AIR LIST】
かざぐるま / 一青窈(映画『蝉しぐれ』主題歌)
夕焼けのトランペット / ニニ・ロッソ
決められたリズム / 井上陽水(映画『たそがれ清兵衛』主題歌)
ORDINARY GUY / Joe Bataan
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