第百七十四話結末を決めずに進む
『おかしな二人』『裸足で散歩』『サンシャイン・ボーイズ』など、数々のヒット作を生み、トニー賞、ゴールデングローブ賞、ピューリッツァー賞など、多くの賞にも輝きました。
彼の作品は日本でも人気を博し、今もなお、ファンを魅了してやみません。
自身の体験を織り交ぜた、独特のユーモアと自虐的なウィット。
そして何より人間に対する深い洞察と優しい視線。
彼は、芝居の台本を書くとき、構成を最後まで決めたことはなかったと言います。
「人生で1ヶ月後に何が起こるか、正確に予測できるひと、いるかい?いないだろ?芝居だって一緒なんだよ。芝居の結末も、人生の結末も、とにかく時がくれば全てが明らかになるんだ。書いていれば…つまりは生きていれば、だんだんわかってくるよ、結末のつけかたが。それまでは、ただひたすら前に進めばいい」。
彼はひとよりも、楽天的だったのでしょうか?
いや、むしろ、悲観的で内省的だったようです。
劇作家の批評に、つい一喜一憂してしまう自分。
友人や家族の何気ないふるまいに、傷ついてしまう自分。
そんな弱い一面を振り払うかのように、彼は書き続けました。
結末を決めずに。
『人生には計画が必要だ。人生設計をちゃんとしないとリスク回避できない』。
そんな風潮が強くなっていく昨今。
あらためて彼の言葉に耳を傾けてみると、人生の懐の深さが見えてきます。
「書いては書き直し。人生は原稿と一緒さ。いいんだ、間違えても、書き直せばいいんだ」
劇作家 ニール・サイモンが人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
アメリカ屈指の喜劇作家 ニール・サイモンは、1927年7月4日、ニューヨーク州ブロンクスに生まれた。
両親は、ユダヤ系アメリカ人。
決して裕福な暮らしではなかった。
生後8ヶ月のとき、ベビーチェアから落ちないように、ロープで縛りつけられた記憶がある。
そのときの恐怖と緊張で、彼は閉所恐怖症になってしまう。
大人になってからも症状は消えず、発作に見舞われ、離陸寸前の飛行機を停めたり、ジョージ・ワシントン・ブリッジの真ん中でタクシーから降りたこともあった。
ニール・サイモンの父は、ときどきいなくなった。
1ヶ月、長ければ1年、帰ってこない。
その間、ずっと母と二人だけ。
8歳以上離れた兄は学校やアルバイトで忙しかった。
母は、優しかった。
風通しの悪い、狭い部屋。
蒸し暑い夜は、ひっきりなしに水を絞ったタオルを額にあててくれた。
満足に暖房がない夜は、毛布で体をくるんでくれた。
おひとよしで、働き者。
ふだんは穏やかだった。
ただ、幼いニール・サイモンが高熱を出してブルブルと震えると、抑えていた何かがはずれたように、蒸発した父をののしり、近所のドアを叩いた。
「誰か!誰か!助けておくれよ!息子が死んじまうよ!どうしようもない亭主のせいで、息子がどっかにいっちまうよ!」
ニール・サイモンは、そんな母の姿を見るのが何よりも耐え難かった。
ニール・サイモンの母は、若い頃、ドレスに火がついてやけどを負った。
胸の上から喉のあたりまで。
不測の事態に直面するとパニック状態になるのは、そのときのトラウマではないかとニール・サイモンは思った。
彼が病気になると、泣き叫び、近所中のドアを叩いた。
夜中だろうが早朝だろうが、関係ない。
「救っておくれよ、誰か、この子を助けておくれよ!」
その声を聴くのがつらくて、ニール・サイモンは、なんでも我慢する子どもになった。
自分のことはなんでも自分でやろう。
自分がつらくても我慢すれば、ママはパニックにならない。
以来、ひとに甘えることができなくなっていった。
のちに成人し、結婚しても、妻に「お茶をいれてほしい」が言えない。
飲みたければ自分でやる。
友達に相談も頼み事もしない。
病気になっても、ひとり静かに病院に行った。
プレゼントも、あげるのはいいが、もらうのは苦手だった。
どうリアクションをとっていいか、わからない。
ひとに優しくされると、どう対処していいか、判断できない。
ひとを愛することはできるが、愛されることが苦手だった。
いつも、もうひとりの自分が言う。
「そんなことは、ひとりでやっちまえよ、ニール!」
その一方で、思う。
「僕はどうして、こんなにも孤独なんだろう…」
ニール・サイモンは、ある日、物語を書いて驚いた。
「なんだ、これは、この世界は!全部、自分で決めていいんだ。あるいは、全部、決めなくていいんだ!ああ、僕は自由だ。心底、自由だ」
たったひとり、狭い部屋にこもり、何時間座っていても飽きなかった。
自己完結。
全て自分で始め、自分で終わらせることができる。
どんなに物語が中途半端でも、『end』と文字を打ち込めば、そこで終わる。
こんな世界があったなんて…。
劇作家は、宿命だと思った。
宿命は変えられる。
一歩ずつ、同じ道を歩いていけば、やがてその道は宿命になる。
ニール・サイモンは、書いた。
自分のこと、家族のこと、自分に起きた嫌なこと、いいこと、みんな書いた。
書いているうちに、わかってきた。
「なんだ、人生ってやつは、書き直せるじゃないか。僕のちっぽけな人生が、思いもかけぬ花を咲かす。やがてその花が他の誰かを笑わせたり、泣かせたりする。書き直せばいい。そして、人生に結末なんかつけなくていい。この道をただひたすら歩いていけば、遅かれ早かれ、結末は訪れるんだから…」
母の泣き叫ぶ声は、もう聴こえない。
【ON AIR LIST】
PROMISES, PROMISES / Dionne Warwick
LOVES ME LIKE A ROCK / Paul Simon
WHAT ARE YOU DOING NEW YEAR'S EVE / Nancy Wilson
GOODBYE GIRL / David Gates
閉じる