第二百六十八話怒りをコントロールする
早稲田大学の創設者としても知られる、大隈重信(おおくま・しげのぶ)。
生誕の地、佐賀市水ヶ江にある大隈重信記念館には、彼の功績を知ることができる多くの収蔵物の他に、彼の人柄に触れられる二つの展示があります。
ひとつが、大隈の演説を吹き込んだレコード。
その一説を聴くことができます。
饒舌で演説の名手と言われた大隈の特徴は、語尾につける、「であるんである」、もしくは「あるんであるんである」。
演説の際、ほとんど原稿などなく、よどみなく話したと言われています。
圧倒的な記憶力は伝説となっていて、大蔵省時代は、予算案を全て暗記していたとまで伝えられています。
もうひとつの貴重な展示は、右足の義足です。
大隈は、外務大臣だった51歳のとき、爆弾による襲撃を受け、右足を失いました。
しかし彼は、そのテロリストに怒りをぶつけるどころか、「いやしくも外務大臣である我が輩に爆裂弾を食わせて世論を覆そうとした勇気は、蛮勇であろうと何であろうと感心する」と、語りました。
後にテロリストが亡くなったあとは、毎年命日に墓参りをして、花を手向けたと言われています。
近しいひとがみな一様に言うのは、「怒った顔を見たことがない」。
そこには、幼い頃の母の教えがありました。
「怒りは、何も生まない。怒りは、結局、自分を損なうだけだ」。
日本の近代化を推進した賢人・大隈重信が人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
大隈重信は、江戸時代末期の天保9年、1838年、佐賀藩士のもとに生まれた。
大隈家は、代々、砲術長を任される名士。
父は長崎港の警備を任され、大砲を発射する角度の計算や火薬の調合など、数学や物理に長けていた。
オランダ領事館にも出入りする国際派でもあった。
生活は豊かで、重信は、何不自由ない暮らしの中、幼年期を過ごす。
ときおり父に随行し、父を憧れの眼差しで観た。
母は、なかなか乳離れしない、甘えん坊の我が子の行く末を案じた。
7歳になって弘道館に入校すると、今度は喧嘩が絶えない。
すぐに苛立ち、相手に飛び掛かる。
いたるところで、問題を起こした。
あるとき母は、重信を呼んだ。
「ここに座りなさい。どうしておまえはすぐに怒ってしまうのでしょうか。腹が立ったら、いいですか、心の中で、南無阿弥陀仏を10回唱えなさい。10回唱えて、それでもまだ怒りが収まらないのであれば、そのときは、勝手にしなさい」
母の言葉を素直に実践してみると、不思議に怒りは収まった。
次に母が言ったのは、こうだった。
「いいですか、友だちはとても大切です。おまえが窮地に立ったとき、手を差し伸べてくれる友だちがいるかいないか、そこで人生の勝者になるか敗者になるかが決まります」
重信が友だちを家に連れてくると、母は、あらんかぎりの歓待で迎えた。
母は、いっさい手を抜かなかった。
「おまえたったひとりの存在なんて、ちっぽけなもの、まわりのひとに支えられて、なんとか生きていけるのです」
早稲田大学の創設者にして、明治維新後の日本を牽引した偉人、大隈重信は、喧嘩こそしなくなったが、頑固で負けず嫌いな性格は治しようがなかった。
弘道館で優秀な成績をおさめていた矢先、当時、主流派だった朱子学の儒教教育に反発。
対立の果てに、首謀者に仕立てられ、退学してしまう。
思い出すのは、12歳のときに亡くなった父の後ろ姿だった。
長崎港の警備。
蘭学を学び、外国人とも交流があった。
もっと広い世界を知りたい。
藩という狭い世界の中での抗争には、興味がない。
日本という国を良くしたい。
そのために何をしたらいいか…。
焦る。
弘道館をやめなければよかったのか…。
今更ながら、悔やんだ。
しかし、母は言った。
「過ぎてしまったことをくよくよしても仕方がありません。前に進みなさい。物事の良いほうだけを見ることも、時に必要です。おまえは今、自由なんですよ。どう生きてもあなたの好きにしなさい」
大隈は、蘭学をとことん学び、英語を話せるようになるために、そして、今は亡き父の背中を追いかけるために、長崎に渡った。
大隈重信には、大切にしている5つの教え、五訓があった。
「物事を楽観的に見よ」「怒るな、冷静にものを見よ」「むさぼるな」「愚痴をこぼすな」、そして、「世の中のために働け」。
44歳、立憲改進党の党首になった年に、東京専門学校、現在の早稲田大学を創設したのも、「むさぼるな」「世の中のために働け」という思いからだった。
ただ、怒りのコントロールだけは難しい。
政治に世界に足を踏み入れるほどに、ストレスはたまり、怒りと向き合う場面に出会う。
そんなとき大隈は風呂に入り、赤く腫れあがるほど、背中をごしごしと洗った。
洗いながら、南無阿弥陀仏を唱える。
おかげで、人前では「怒った顔を見たことがない」と言われた。
二度目の総理大臣になったとき、逓信参政官として内閣に入ったのが、木下謙次郎(きのした・けんじろう)だった。
木下は、反大隈派。
いきなり大隈に部屋に呼ばれ、ドキドキした。
怒られるか、嫌みを言われるか…。
大隈は、木下に会うなり、満面の笑み。
「おお、木下、来たかあ、いやあ、よう来た、よう来た。だいぶん太って、大きくなった、はははっは」
そこには、嘘も策略もなかった。
ただ、国のために生きたい、この国を良くしたいという思いだけがあった。
大隈重信は、若者にこんな言葉を残している。
「諸君は必ず失敗する。ずいぶん失敗する。成功があるかも知れませぬけれども、成功より失敗が多い。失敗に落胆しなさるな。失敗に打ち勝たなければならぬ。たびたび失敗すると、そこで大切な経験を得る。この経験によって、もって成功を期さなければならぬのである。」
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