第三百五話ひとりを楽しむ
永井荷風(ながい・かふう)。
荷風は、その日記『断腸亭日乗』を亡くなる前日まで書き続けました。
激動の世相をとらえ、戦時中は、防空壕の中でも筆を走らせたと言われています。
独特のユーモアとペーソス。
何より自由な荷風のものの見方、文体は、今も多くの読者を魅了しています。
文京区春日に生まれた彼の筆塚が、荒川区南千住の寺にあります。
通称、三ノ輪の投げ込み寺「浄閑寺」。
吉原の遊女が眠るこの寺に、荷風の詩碑があるのは、彼が花柳界を愛したことに起因しています。
『断腸亭日乗』を書き始めた37歳のときから、彼は、独身を謳歌し、自由であることを最大のテーマに掲げました。
「この世で最も強い人間とは、孤独であるところのひとである」
というイプセンの言葉を実践するように、荷風は、弟子に「ひとりぼっちで寂しくないですか?」と問われると、こんなふうに答えました。
「あなたは、老人のひとりぐらしを見て気の毒がるかも知れないが、ぼくはひとりで暮らしていても、自由という無二の親友と一緒にいるということを見抜いてくれなきゃ困りますぜ」
広津柳浪や森鴎外に師事し、文学を学び、アメリカやフランスで遊学。
慶應義塾大学文学部の主任教授になり、『三田文学』を創刊。
谷崎潤一郎や泉鏡花のデビューの後押しをした稀代の知識人は、世間に軽蔑されることを厭わず、とにかく自由であることを守り続けたのです。
「ひとの顔色ばかりうかがって、大切なものを見失うなよ」
荷風は、ひとりを楽しむことを、己の生涯を賭けて推奨したのかもしれません。
作家・永井荷風が人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
小説家、劇作家、随筆家であり、翻訳家でもある、明治、大正、昭和を生き抜いた文豪、永井荷風は、1879年12月3日、東京市小石川区、現在の東京都文京区春日に生まれた。
父は、プリンストン大学やボストン大学に留学したことのある、内務省に勤めるエリート官僚だった。
厳格な父の監視下、小学校初等科、高等科、尋常中学校と、優秀な成績で進む。
また母の影響で、歌舞伎や邦楽を知る。
漢学、書、日本画など、文化にも触れ、教養も身につけ、荷風自身も、父のようにエリートの道を歩くのだと信じて疑わなかった。
ところが…彼の人生を大きく変える出来事が起こる。
15歳のとき、リンパ節が結核菌におかされ、1年間の休学を余儀なくされた。
一日中、床に臥す。
天井の模様を眺め、窓の向こうの雨の音に耳を傾ける。
荷風は、読書を許された。
『水滸伝』、『南総里見八犬伝』、そして『東海道中膝栗毛』を夢中になって読む。
そこで彼は、あることに気が付いた。
「さみしくない…いやそれどころか、ぼくは、布団から動けないでいるのに、自由だ! 想像の世界は、誰にも邪魔されない!」
物語を創る小説家という存在を、初めて意識した。
森鴎外を先生と仰ぎ、谷崎潤一郎や泉鏡花を世に送り出した文豪、永井荷風は、1年間の休学中にすっかり文学の虜になった。
後に、彼は述懐している。
「私にこの1年間がなかったら、私は一家の主人になり、親となり、人並みの一生涯を送ったことであろう」
中学に復学するが、同級生とはなじめなかった。
1年、年長であるがゆえに、精神的な距離を感じる。
向こうも、妙に気をつかう。
誰とも遊ぶことなく、運動場の片隅でひとり漢詩や俳句を詠んだ。
孤独だった。先生でさえ、荷風を持て余す。
頭はいいが、誰かと交わることがない。
口を開けば、同級生を論破してしまう。
荷風は、「ひとり時間」を大切にして、ますます文学にのめり込んでいった。
中学を卒業後、エリートの登竜門、第一高等学校の受験に失敗。
父をたいそう落胆させる。
このとき、荷風は舵を切った。
「ぼくは、全うに生きることより、ひとりであることを楽しみたい」
せっかく入った外国語学校も2年で中退してしまう。
「ボクは、小説が書きたい」
永井荷風は20歳で、小説家・広津柳浪の門をたたき、弟子になる。
さらに江戸文学研究のため、落語家にも弟子入り。
歌舞伎座の座付き作家としても活動し、夜間学校に通い、フランス語も学ぶ。
その全てが、小説のためだった。
文学という底なし沼にのめり込んでいく息子を心配した父は、荷風をアメリカに送る。
実業を知ってもらうためだったが、もはや荷風の文学への傾倒を止めることはできなかった。
アメリカでもフランスでも、仕事そっちのけで、オペラや演奏会に通う。
ドビュッシーなど、ヨーロッパの近代音楽家をいち早く日本に紹介した功績ものちに讃えられた。
「ぼくは、若いときにねえ、自分の好きなことをやって生きようと思ったんですよ。
好きなことをやって生きられるほど、世の中、甘くない、百人に会えば、百人ともそう言いました。
でもね、じゃあ、あなたは試したんですか?って尋ねると、何も言い返せない。
好きなことをやれば、家族はつくれない、誰ともうまくいかない、そう言われますが…だったら、家族なんかいらない。誰ともうまくいかなくていい。
好きなときに、好きなように、東京を散歩したいですよ。
雨も降らないのに、こうもり傘持ってね」
確かに、褒められた人生ではなかった。
ただ、彼は、楽しみと引き換えに孤独も請け負った。
だからこそ、遊郭に生きるしかない遊女の哀しみや、どんなに働いても生活が苦しい庶民に、寄り添うことができた。
今日も、永井荷風は下町を歩く。
ひとびとの営み、草木のうつろい、世の中の変化を感じながら…。
「人間は、ひとりで生まれ、ひとりで死んでいく。どうか、ひとりを楽しんでください」
【ON AIR LIST】
ヴァロッテ / ジュリアン・レノン
月の光 / ドビュッシー(作曲)、ジャック・ルヴィエ(ピアノ)
ひとりで生きてゆければ / オフコース
オンリー・ザ・ロンリー / ロイ・オービソン
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