第百四十九話人生を笑う
芥川賞の名前の由来は、芥川龍之介。
そして直木賞は、直木三十五(なおき・さんじゅうご)という作家の名前によるものです。
直木の没後、昭和10年に、友人だった菊池寛が彼の名前を文学賞につけたのです。
直木は晩年、作家仲間でいち早く鎌倉に住んでいた里見弴(さとみ・とん)に誘われて、稲村ヶ崎に住みました。
映画製作にのめり込み、里見とともに大船の撮影所にも通っていましたが、やがてつくった映画が赤字に終わり、映画製作から手を引くことになります。
砂浜に腰を下ろし、水平線を眺めながら、大衆小説家として生きていく決心をしたのでしょうか。
彼は突然、旺盛な創作欲で小説を書き、たとえば『黄門廻国記(こうもんかいこくき)』は、映画『水戸黄門』の原作となり、大ヒットを飛ばすことになるのです。
直木三十五というのは、ペンネーム。
本名の植村の植えるという字を分解して、苗字を直木、として、文章の連載が始まったころ、31歳だったので、まずは、直木三十一。
そこからスタートして、歳をとるごとに、直木三十二、直木三十三と変えていきました。
次は三十四。でも三十四は、惨く死す、ザンシということで縁起が悪いと思い、しばらく直木三十三のまま、小説を書いていました。
しかし、一向に貧乏から抜け出すことができません。
姓名判断でも、最悪ですと言われる始末。
思い切って、四を抜いて、直木三十五でやっていこうと決めた、そんな名前なのです。
直木の43年間の人生は、失敗や挫折の連続でした。
早稲田に入るが、学費が払えず除籍。出版社を興せば、つぶれる。映画製作はうまくいかない。
いつも貧乏神が傍らにいるような人生でした。
おまけに稼げば使う浪費癖。
でも彼はいつも周囲を笑いで包み込んでいました。底抜けに明るい彼の心の秘密はどこにあったのでしょうか?
作家・直木三十五がその短い生涯でつかんだ、明日へのyes!とは?
作家・直木三十五は、1891年、大阪府大阪市に生まれた。
父が40歳のときにできた初めての子ども。
両親は喜び、大切にされた。
体が弱く、生死の境をさまようことが多かった。
いつも家の中にいて、天井を見ながら過ごした。
幼稚園に入ったときは、あまりの人見知りで動けない。誰とも口をきけない。
先生も困ったが、母はそんな直木の姿を見て、泣いた。
家は古物商を営んでいたが、貧しかった。
でも両親は、直木に教育だけはちゃんと受けさせたいと願う。
お菓子や小遣いを与えることはしなかったが、本だけは読ませた。
貸本で、フィクションの楽しみを知った。
店番をしながら、いろんなひとが出入りするのを観察する。
大衆文学の素養は着々と磨かれていった。
小学校に入る頃には他人にも慣れた。
慣れるどころか、先生も手を焼く子どもに成長していった。
ある日、担任の教師に「答案用紙のおまえの字は、小さくて読めない」と言われた直木は、翌日、教室にわら半紙を大量に持ち込み、一枚につき一文字ずつ書いて先生に提出した。
「先生、これなら読めますか?」
教師は圧倒され、言葉が出なかった。
直木三十五は、中学に入ると図書館に通うようになった。
古今東西の名作を片っ端から読む。小説だけではない。
哲学、社会学、数学や物理の本も読んだ。彼は言う。
「私は、記憶力の点において、ほとんどゼロに近い。自分でもあきれてしまうくらい、忘れてしまう。読んでも読んでも忘れていく。なにひとつ覚えていないものもある。じゃあ、読むことは無意味かというと、そうでもない。多く読み、ことごとく忘れると、物の見方、考え方が公平になっていくんだよ」。
作文は決してうまくなかったが、いつしか、文学で身を立てたいと思うようになった。
父に話すが、猛反対を受ける。
「文士では金が儲からん。政治家か、弁護士になれ!」
ガッカリした。少しは賛成してくれてもいいものなのに…。
東京に出ることにした。働いてお金をためる。
なんとか早稲田に入ったものの、お金が続かず、除籍。
ただ父を失望させたくなかったので、卒業式にちゃっかり出かけていって、友人と写真を撮った。
それを郷里に送り、父はたいそう喜んだ。
直木が文学と日々の生活から学んだこと。
それは、人生は一度きり。
だったら、枠にとらわれず、やりたいようにやるしかない。
あの世に金が持っていけぬなら、使い切るしかない。
直木三十五は、奈良の山間の小学校の代用教員をしたことがある。
授業では自分自身が主人公の一人芝居を、延々聴かせた。
試験の問題は、たった二問。
「幽霊はいるか、いないか?」
「あの世に地獄はあるか、極楽はあるか」
クラスで勉強ができないことを悩んでいる女子生徒が、答案用紙に二問とも「わかりません!」と書くと、赤で大きな丸を何重にも画いて、満点をつけた。
「それでいいんだ。わかんないものがあるから、人生は楽しい。答えがないことを、だらだら考える。そんな時間が、必要なんだ」。
生徒たちを、名前ではなく、あだ名で呼んだ。
直木は、大人気。校庭にある大きな樹によじのぼり、大きな声でデカンショ節を歌った。
「今日は天気がいいから、みんな、机を持って校庭に行こう」
樹の下で、授業をした。
直木三十五は、自分が面白いということには何でも首を突っ込んだ。
たとえ失敗してもかまわない。やらないより、やったほうが断然いい。人生は一度きりだから。
お金には、一生、縁がなかった。
あればあっただけ使う。ひとにも平気で貸した。
彼の文学碑の言葉は、こうだ。
「芸術は短く、貧乏は長し」
石碑の向こうに、彼の笑顔が見える。
【ON AIR LIST】
笑ってみ / トータス松本
Hard To Handle / オーティス・レディング
I Really Love You / ザ・デリリアンズ
Don't You Worry 'Bout A Thing / ジョン・レジェンド
閉じる