第二百七十三話日常に喜劇を探す
岡本喜八(おかもと・きはち)。
『新世紀エヴァンゲリオン』で知られる庵野秀明(あんの・ひであき)は、映画『シン・ゴジラ』で岡本喜八へのオマージュを捧げ、今年4月に亡くなった大林宣彦は、亡くなる直前まで、戦争映画を撮り続けた岡本への思いを語っていました。
大林が初めて東宝でメガフォンをとったとき、撮影所の製作現場では反対の声が多かったと言います。
「あいつに撮れるのか?」「大丈夫なのか?」「助監督の経験もないのに…」
そんなとき、岡本は、ひとりひとりのもとに赴き、「新しい風を迎えようじゃありませんか。彼ならきっと大丈夫」と説得してまわったと言われています。
大林はこのエピソードを後年知って、胸を熱くしました。
恩送りをするように、大林もまた、新人監督を励まし、彼等が世に出るために密かに尽力したのです。
『日本のいちばん長い日』、『肉弾』、『大誘拐』。
岡本喜八の真骨頂は、破天荒、躍動感、そして、喜劇性。
表の黒澤明、裏の岡本喜八と言われたように、芸術作品とは一線を画し、岡本は、大衆娯楽作品にこだわりました。
「映画は、面白くなくちゃ意味がない」
特に、喜劇には強い思い入れがありました。
著書『マジメとフマジメの間』にこんな一節があります。
「刻々と近づく死への恐怖をマジメに考えると、日一日と、やりきれなくなって行く。そんなある日、はたと思いついたのが、自分を取りまくあらゆる状況をコトゴトく喜劇的に見るクセをつけちまおう、ということであった」。
戦争を体験し、たくさんの命が奪われる現場に遭遇した、映画界のレジェンド・岡本喜八が人生でつかんだ明日へのyes!とは?
今もなお、その作品がどこかで上映され続けている、映画監督・岡本喜八は、1924年2月17日、鳥取県米子市に生まれた。
家は代々、大工を生業としていた。
棟梁の祖父に可愛がられる。
5歳か6歳のとき、祖父に連れられていった、チャンバラ映画。
真っ暗な館内。
画面いっぱいに刀が光り、切りつけられる。
泣いた。
怖くて、号泣。
祖父にしがみついたが、その興奮が忘れられなかった。
祖父の袂(たもと)の隙間から見た、活劇。
ワクワクした。
大人たちも笑ったり、泣いたりしていて、不思議だった。
大泣きしたくせに、また映画が観たいという孫を、祖父は可愛いと思った。
以来、映画は、岡本のすぐそばにある娯楽になった。
映画館の暗闇を一歩外に出ても、男たちはサムライの剣術を真似、笑い、肩を叩きあう。
明るい日常に戻りながら、どこか大人たちの背中はさみしげだった。
映画監督・岡本喜八が生まれ育ったのは、鳥取県米子市。
お城はすでになかったが、城下町。
お堀があり、家は通りに面した表は狭く、うなぎの寝床と評されるように、奥に細長く延びていた。
小学3年生のとき、母が亡くなった。
母はよく二階の窓から、イチジクの樹越しに、水に浮かぶ小舟を見ていた。
小学校を卒業するころ、今度は姉がこの世を去る。
二人とも、当時の不治の病、肺病だった。
哀しさの果てに岡本は、世を捨てるわけでもグレるわけでもなく、放浪するようになる。
下駄をつっかけて、とにかく歩きまわった。
何十分、何時間。
町中を歩き、川を渡り、市外に出た。
そのうち、ガキ大将のある男の子も一緒に歩くようになる。
二人でリュックを背負う。
中には鍋やヤカン。
メリケン粉袋を縫い合わせたテントを張って夜露をしのいだ。
農家のひとにジャガイモを分けてもらい、カレーライスを作った。
美味しかった。
見上げれば、満天の星。
ガキ大将と笑った。
とにかく、くだらないことを言っては、笑った。
笑うことで少しずつ、母や姉の死が、優しく心の中に降りてきた。
岡本喜八が17歳の時、戦争が始まった。
学徒動員、繰り上げ卒業、学徒出陣。
おそらく、23まで生きられないだろうと思った。
助監督になってすぐ、戦局の悪化に伴い、招集された。
松戸の陸軍工兵学校に入隊。
「花と散れ」と寄せ書きにあったが、どうして誰かに「散れ」と言われるのか、わからなかった。
豊橋の予備士官学校で終戦を迎える。
目の前で多くのひとの命が消えていくのを見たが、復員して中学時代の同級生の半分が亡くなったことを知る。
「なんだ…この世の中は…。なんだこの世界は…。バラ色でも、豊かでもない。ただそこには、争いがあり、膨れ上がった欲がある。こんな世の中に、何の希望があるのか」
映画を撮ることに、戸惑う。
何を撮ればいいのか…やりきれない。
ふと…母と姉の笑顔が浮かんだ。
岡本は…笑いたいと思った。
このしみったれた世界を、大いに笑いたいと願った。
彼は著書にしたためた。
「私が喜劇を撮りたい理由は、喜劇精神とやらを持ち続ける限り、ちぢこまった世界から次元をどんどん広げて行けると思うからである。喜劇の中では非常識をムチ打たれることもあるまい。所謂(いわゆる)、常識にガンジガラメにしばられている以上、島国の紙と木で作られた四畳半の中に幽閉されて、やがては、オノレの吐いた炭酸ガスで気分を悪くするのがオチだ」。
岡本喜八は、そうして、こう続けた。
「現在が一等喜劇が欲しい時ではなかろうか? 笑うのは、人間だけである」
【ON AIR LIST】
独立愚連隊(独立愚連隊マーチ)
肉弾 / 佐藤勝(作曲)、松井慶太(指揮)、オーケストラ・トリプティーク
スマイル / ナット・キング・コール
コメディアンズ / ロイ・オービソン
閉じる