第二百八話寄り添う心を持つ
彼と同じ兵庫県出身の心理学者、河合隼雄(かわい・はやお)です。
日本にいち早くユング心理学を紹介した臨床心理学の権威。
京都大学名誉教授で元文化庁長官、数々のエッセイや学術書でひとびとの心の悩みに寄り添い、晩年には、自伝的小説『泣き虫ハァちゃん』を書きました。
河合はその小説の中で、自ら生まれ育った兵庫県丹波篠山への郷愁を描きました。
丹波篠山、かつての丹波国は、京都への交通の要として栄え、街並みや祭りにその名残をとどめています。
千年以上の歴史を持つ「丹波黒大豆」は有名で、朝廷にも献上し、年貢を黒大豆で納めたという記録も残っています。
河合は、この地で生まれたことを生涯誇りに思い、懐かしみました。
小学校は篠山城の城内にあり、お堀も残っていました。
不思議な洞窟を秘密基地にして遊んだり、竹藪に忍び込み、虫に刺されて泣いたり、赤い鳥居で日が暮れるまで鬼ごっこをしたり…。
そこで目にしたこと、経験した出会いと別れ、それらは幼い河合に人生についてのさまざまなことを教えてくれました。
人一倍、感受性が鋭かった河合は、泣き虫でした。
幼稚園の先生が辞めると聞いては泣き、童謡に出てくる「どんぐり」の未来を案じては泣き、捨てられた子犬の背中を見ては泣くような子どもだったと言います。
彼は幼い頃から、哀しみに寄り添うことを知っていました。
寄り添うことで、ほっとできるひとがいることを知ったとき、それを仕事にしようと思いました。
彼は、こう語っています。
「今のひとはみんな、何かしなければ、と思いすぎています。人生の主人公は、自分です。人間はひとりひとり違うのですから、それぞれが自由に物語をつくっていいんですよ」
心理学者・河合隼雄が人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
臨床心理学の第一人者、河合隼雄は、1928年、兵庫県篠山町、現在の丹波篠山市に生まれた。
男ばかりの六人兄弟の五男。
兄たちはみな、わんぱくでガキ大将タイプだったが、河合は違った。
いつも「なぜだろう」と考えてしまう。
なぜ日は暮れるんだろう、なぜみんな顔が違うんだろう、なぜボクだけ泣き虫なんだろう…。
河合は、すぐ泣いた。
大好きだった幼稚園の女の先生が辞めるとわかったとき、男の子でひとりだけ泣いた。
家に帰って、そのことを隠そうとすると、母は言った。
「隼雄、ほんとうに哀しいときは、男の子だって泣いていいんですよ」
「なんでボクだけ泣き虫なんだろう」
「お母さんはね、隼雄が泣き虫なおかげで、ずいぶん助かったんだよ」
母はこんな話をしてくれた。
「おまえの弟が2歳で亡くなったとき、お母さんはつらくて哀しくて涙があふれて仕方なかった。私の隣で、いつも隼雄が泣いていた。一緒に泣いてくれたんだよ。ただ一緒に泣いてくれるだけで、お母さん、どれだけ救われたかわからない、ありがとうねえ、隼雄」
そのときはまだ、なぜ母が自分に感謝しているのかわからなかった。
心理学者・河合隼雄は、幼い頃から感受性の鋭い子どもだった。
「死ぬ」とはどういうことだろう、そんな思いに憑りつかれる。
目を閉じ、耳をふさぐ。
でも、そもそも、そうしている自分自身もいなくなってしまうことではないか…。
いっさいが、なくなってしまう…。
恐怖というより、驚きだった。
この世には、わからないことがたくさんある。
勉強した。
本を読んだ。
誰彼かまわず、ひとに訊いた。
自分だけが知らないようで、焦る。
その一方で、ひとの心が見抜ける自分に気がついた。
「あのひとは、あんなふうに言っているけど、ほんとうはそうは思っていない」
指摘すると、大人もドギマギした。
周りから、怖いと言われることもあった。
自分は他のひとと全然違う。
泣いた。メソメソ泣いた。
そんなとき、母はいつも言ってくれた。
「隼雄、おまえはおまえなんだから、そのままでいいんだよ」
心理学者・河合隼雄は、小学3年生のとき、秘密基地を作った。
お堀に降りる崖の途中に洞窟があり、そこを基地に変えた。
ある日の朝礼で、校長先生が言った。
「運動場の堀端で小学生が遊んでいました。あそこは危険な場所です。お堀に落ちたら大変なことになる。決して危険なことはしないように!」
学級会のとき、担任の男の先生はこう言った。
「校長先生がおっしゃった危険なことをする生徒が、この学級にいると、私は思います」
河合はすぐに、「先生、ボクです」と手をあげる。
「じゃあ、一緒に校長先生のところに行こう」
担任の先生が付き添ってくれた。
校長先生は、怒るでもなく「確かに、秘密基地はいいですねえ」と笑った。
「でも、危ないことはいけません」
河合は、秘密基地をやめることを約束した。
教室に帰るとき、クラスのみんなが不安そうに待っていてくれた。
それを見て、河合は泣いた。
「みんな、待っていてくれた。こんなボクのために、ただ、待っていてくれた」
心理学者・河合隼雄は、寄り添うことを大切にした。
ただ、一緒に泣く。
ただ、帰りを待つ。
そこに言葉は必要ない。
寄り添う心さえあれば、ひとは誰かとつながることができる。
寄り添って一緒に泣けば、癒せる哀しみがある。
【ON AIR LIST】
言葉はさんかく こころは四角 / くるり
I'LL BE AROUND / The Spinners
TEACH ME (IT'S SOMETHING ABOUT LOVE) / Blue Magic
THE NEARNESS OF YOU / Michael Brecker Feat.James Taylor
閉じる