第二百八十七話言葉を大切にする
宇野重吉(うの・じゅうきち)。
彼は、生まれ育ったふるさとのことがとにかく自慢で、「ふくいでは、雪と佛(ほとけ)とおらがそば」と書にしたためました。
「越前おろし蕎麦」。
大根おろしが入ったつけ汁で、薬味をかけた蕎麦をすするひとときを至福のときと、豪語してはばかりませんでした。
そんな宇野には、幼心に鮮明に刻まれた記憶があります。
旅役者の芝居小屋。
風にはためく色とりどりの無数ののぼりは、少年の心をとらえて離しませんでした。
舞台を真剣に見ている村人たち。
役者がひとこと言うたびに、笑ったり泣いたりしている、まるで魔法にでもかかったように。
異世界への入り口はいつも、言葉でした。
晩年、宇野は、肺ガンに侵されましたが、満身創痍の中、亡くなる数か月前まで舞台に立ち続けました。
舞台袖で酸素吸入を受けても、セリフをしっかりと、言葉をちゃんと届ける演技は、健在でした。
俳優座や文学座と並ぶ、劇団民藝を立ち上げ、俳優が演劇だけで生活ができるようにという経営者の側面を持ち、一方で、演出家としては、全く妥協を許さない鬼になりました。
ただ、ふだんは気さくなひと。
宇野の優しさを物語る、こんなエピソードがあります。
民藝の劇団員だった吉行和子が、民藝を辞め、他の舞台で芝居をやりたいと申し出たときのこと。
総会が開かれ、皆、吉行を怒り、反対したのですが、宇野は、「役者が本当にやりたいことを見つけることは、とても大切なことだから、みんなで送りだしてあげようじゃないか」と、幹部を説得したと言います。
人間味あふれる芝居の神様、宇野重吉が人生でつかんだ明日へのyes!とは?
劇団民藝をつくった昭和の名優、宇野重吉は、1914年9月27日、福井県足羽郡下文殊村に生まれた。
家は、裕福な農家。
父は、まわりのひとから、東の旦那と呼ばれていた。
宇野は、わんぱくだった。
野山をかけまわり、近所の子どもと一緒に、あたりが暗くなるまで遊んだ。
しかし、何不自由ない生活は、長く続かなかった。
4歳のとき、父が39歳の若さで亡くなる。
9人の子どもを抱えた母は、途方に暮れた。
彼女はお嬢様育ちで、稼ぐ術を知らなかった。
宇野が小学3年生のとき、家計は逼迫し、実家や所有していた田畑を売ることしか生きていく道はないという状況に追い込まれる。
引っ越したのは、福井市の裏長屋。
鳥小屋を改築した家だった。
狭い二間に、家族は体を寄せ合い、暮らした。
村から都会に出てきた宇野は、洋服を持っておらず、着物のまま小学校に登校し、からかわれる。
でも、気にしない。こうしているのは、自分のせいではない。
自分のせいでないのであれば、うつむく必要などない。
ただ、同級生や先生の言葉には、傷ついた。
何気ないひとことが、切れ味鋭い包丁になる。
悪意ある言葉を聞くたびに、自分はそういう言葉を使いたくないと思った。
舞台、映画、テレビドラマで観るひとの心をとらえた名優、宇野重吉。
彼が小学校を卒業する頃には、家の貯金がゼロになった。
それでも宇野は、中学校に進学したく、母に内緒で名門・福井中学を受験した。
結果は、見事合格。うれしかった。
結果を知らせるために、家に走った。
何度も下駄が脱げそうになる。
母に報告したい気持ちが先走る。
きっと喜んでくれるはずだ、すごいねと褒めてくれるに違いない。
勢いよく、引き戸を開ける。
「お母さん、僕ね、受かったよ、福井中学に受かったんだよ!」
しかし、母の目は冷たかった。
さらに、こんな言葉が飛んできた。
「誰が授業料、払うの?」
ショックだった。
せめて最初の言葉は、「よかったね!」であってほしかった。
そのとき以来、母への不信感が生まれた。
言葉は、怖い。
瞬時に発した言葉で、大きな亀裂が生まれてしまう。
宇野は、旅芸人に言葉の素晴らしさを教えてもらったが、言葉の怖さも心に刻んだ。
宇野重吉が生涯、福井を愛し続けたのは、もしかしたら、母に褒めてほしかった思いの裏返しかもしれない。
宇野重吉は、兄弟の援助で一度は福井中学に入学するが、学費が続かず、辞めてしまう。
どうするあてもない中、彼は東京に旅立った。
東京なら、仕事が豊富にある。
稼いで、また学校に通えばいい。
上京して、まず彼が魅かれたのが、演劇だった。
不況で、労働者が虐げられている社会。
労働者を守り、資本家を糾弾する、プロレタリア演劇が盛んだった。のめりこむ。
幼い日に見た旅公演ののぼりが、脳裏に浮かんだ。
小林多喜二に傾倒。
劇作家になりたいと思い、日本大学芸術学部演劇科に進学する。
住み込みで新聞配達をして、学費を稼ぐ。
きつかった。
朝まだ早くに自転車を走らせ、新聞を配る。
雨の日も雪の日も、風の日も。
やがて、「左翼劇場」に入団。仲間と寝食を共にした。
劇団という形態に、思いをはせる。
紆余曲折を経て、どうせなら自分でやりたい劇団をつくろうと、朋友、滝沢修(たきざわ・おさむ)と民藝を立ち上げる。
演じる側で、自らの居場所を見つけたと思いつつ、どこか満ち足りない日々を送っていた。
言葉…言葉…言葉。
いい脚本に出会いたい。
かねてから、木下順二という劇作家の言葉が好きだった。
心に響く。
彼の戯曲を演じたい。
『婦人公論』という雑誌に彼の新作が掲載されると知り、なけなしのお金を出して、発売日に新橋駅で買った。
横須賀線に乗り、立ったまま読む。
体が震えた。すごかった。
このときの感動を宇野は、生涯忘れなかった。
電車の窓は割れっぱなし、お腹はすいてぐうぐういっている。
寒々しい戦後の風景の中で、言葉だけが生きていた。
戯曲『夕鶴』。
この本は、宇野重吉のライフワークになる作品になった。
たったひとつの言葉で母に裏切られたからこそ、名優、宇野重吉は、たったひとことを終生大切にした。
【ON AIR LIST】
THE WORD / The Beatles
PRETEND / Nat King Cole
SOMETIMES I FEEL LIKE A MOTHERLESS CHILD / Harry Belafonte
オペラ『夕鶴』第一部 前奏―子供たち、与ひょう「じやんにきせるふとぬうの…」 / 木下順二(原作・脚本)、團伊玖磨(作曲)、東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団、小林一男(テノール)、鹿児島市立少年合唱団
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