第百八十七話異端であることを怖れない
澁澤龍彦。
フランス文学者としても知られ、マルキ・ド・サドの翻訳では、わいせつ文書か否かの裁判になり、世間を騒がせました。
親友だった三島由紀夫は、このとき、澁澤にこんな葉書を送りました。
「今度の事件の結果、もし貴下が前科者におなりになれば、小生は前科者の友人を持つわけで、これ以上の光栄はありません」
澁澤は、特に晩年、エロスや倒錯の世界、教科書には載っていない歴史の隠れた影の部分を描きました。
さらに彼は、もっと生産せよ!と背中を押され続ける昭和の激動期にあって、著書『快楽主義の哲学』の中で、曖昧な幸福を求めるより、快楽こそを求めるべきだと語り、物議をかもしたのです。
「人生に目的があると思うから、しんどくなるんだ。人生に目的なんかない、みんなそこから始めればいい。曖昧な幸福に期待をつないで、本来の自分をごまかしてないか? 求めるべきは、一瞬の快楽。それでいいじゃないか。流行? そんなものを追ってどうする? 一匹狼、けっこうじゃないか。どんなに誤解されたっていい。精神の貴族たれ! 人並の凡庸ではなく、孤高の異端たれ!」
彼のそんな言葉に反論をしながらも、どこかホッとするひとが多かったのでしょう。
彼のまわりには、いつも友人知人が集い、彼との時間を楽しみました。
そのひとりに、三島由紀夫もいたのです。
澁澤は、自分の「好き」を大切にしました。
ホラー、人形、鉱物採集に、旅。
さまざまなコレクターとして、信者を集めました。
生涯、常識を笑い飛ばし、異端を貫き通した作家、澁澤龍彦が人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
フランス文学者で小説家の澁澤龍彦は、1928年5月8日、東京の高輪に生まれた。
幼少期を埼玉県川越市で過ごす。
澁澤家は、かの渋沢栄一の血筋を引く、埼玉県深谷市血洗島を本拠とする名家。
父は銀行員で、母は実業家で政治家の娘だった。
澁澤はわずか3歳の頃の記憶を忘れない。
川越の、城下町の雰囲気。
江戸の風情を残した花柳界のたたずまい。
隣の家の板塀に貼ってあったポスターが怖かった。
黒い顔、白いシルクハットに蝶ネクタイのキャラクターが真っ赤な唇でカルピスを飲んでいる。
三日月のような目が笑っているようで笑っていない。
不気味だった。でも、目を引かれる。
なぜだろう…。
奇妙だけれど、目が離せないもの。
その存在は、生涯、彼の心を支配した。
川越で三度の引っ越しをしたが、三番目の家は、崖の下にあった。
崖の上から我が家を眺めるのが好きだった。
庭が見え、棕櫚の木が見える。
記憶に強烈に残っているのは、ツツジの花。
赤紫の鮮やかな花たちが、まるで崖を這いあがるように庭から迫ってくる。
綺麗というより、恐かった。
花の香りが立ちのぼり、やがて、薫風とともにどこかへ消えていった。
いまもなお多くのファンを魅了する作家、澁澤龍彦。
彼は『私の少年時代』というエッセイの中で、忘れられない幼少期の記憶について触れている。
そのひとつに、オモチャのバイオリンを弾くおばあさんの話がある。
畳の部屋の真ん中で、澁澤が「ばあや」と呼んでいたおばあさんが、バイオリンを弾いている。
歯の抜けた口で流行歌を口ずさみながら、ギーコーギーコーとでたらめに弾く。
それが面白くて、澁澤と妹は、音楽に合わせ、ふざけて踊る。
ギーコー、ギーコー。
「ばあや」は演奏をやめない。
次から次へと、歌を続ける。
そのときの様子は、彼が子どもの頃夢中で読んだ、江戸川乱歩の世界に通じていた。
不気味さ、哀しさ、そして、不条理な空気。
いつ泣き出してもおかしくないギリギリのところで、澁澤と妹は飛び跳ねていた。
澁澤家は、ほどなくして、川越から東京北区の滝野川に転居。
澁澤は、病弱。
外に出かけるより、家で本を読むのを好んだ。
5歳のとき、なぜか父親の金のカフスボタンが大好きになる。
小さな空飛ぶ円盤。
いつも手でもてあそび、日にかざして眺めた。
ある日、寝っ転がって見ていたら、手からすべり落ち、口の中に入ってしまった。
「お母さん、た、大変だ、僕、カクスボタン、飲み込んだ!」
カフスを、カクスと言い間違う。
慌てた母親は、すぐに病院に連れて行く。
ちょび髭をはやした医者はレントゲンをとった。
生まれて初めてのレントゲン体験。
機械の何から何まで珍しい。
冷たい装置の感触。
映し出された金色の物体。
「ほうら、胃の中にちゃんとあるよ」
自慢気に話す医者に、「飲み込んだんだ、あるのは当たり前じゃないか」と心で思う。
カフスボタンは、のちに排便に混じり放出されるが、このときの体験を、澁澤は鮮明に覚えていた。
異物を飲み込む、あのざらっとした感覚と、不思議な高揚感。
彼の感性は、奇妙な違和感によって研ぎ澄まされていった。
作家・澁澤龍彦は、幼い頃から、冷静に客観的に風景を眺める、もうひとつの視線を持っていた。
その風景には自分さえも溶け込み、全てを俯瞰した。
さめた目で眺めることで、異端を心に育む。
人生は、不条理で虚しい。
実体があるようで、ない。
だからこそ、人生は、自分の視点次第でいかようにも変わる。
昭和19年の冬。
太平洋戦争が激化し、たびたびの空襲が東京を焦土に変えた。
小石川の中学で避難のため夜を明かした澁澤は、旧制高校のマントをひるがえし、歩いて自宅に帰った。
いつも見る風景は一変。
家は破壊され、火災で黒焦げになっていた。
そんな残酷で無慈悲な残骸の上に、雪が積もっている。
思わず目を細めた。
雪が、朝の光にキラキラ輝いている。
澁澤は、その光景を「美しい」と感じた。
それを美しいと感じる自分の心から目をそむけなかった。
異端であるには、自分の感性を信じなくてはいけない。
簡単にひとにゆだねたり、迎合してばかりいると、やがて感性は鈍化し、ぼろぼろに朽ち果てていく。
ひとと違う生き方は困難で孤独だ。
ひとと違う感性を持つものは疎外感から逃れられない。
それでも、自らの感性を信じ、異端であることを喜ぶことができたら、ひとがたどり着けない崖の上に立つことができる。
そこには、見たことがないほど色鮮やかなツツジが咲いているに違いない。
【ON AIR LIST】
SLAVE TO LOVE / Bryan Ferry
ドミノ / パターシュ
19th NERVOUS BREAKDOWN / The Rolling Stones
AGAINST THE WIND / Victory
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