第三百十八話自分を哀れむことをやめる
しかし、人類はいつまでもそのゆりかごに留まってはいないだろう」
こんな名言を残した、「宇宙旅行の父」と謳われるロシアの偉人がいます。
コンスタンチン・ツィオルコフスキー。
彼は、今から130年あまり前、『反作用利用装置による宇宙探検』という論文を発表。
空気中の揚力を利用する飛行機と違い、真空を飛ぶロケットは、爆発による反動、反作用こそが動力になりうるという理論は、独創的で画期的なものでした。
その理論は継承され、のちにソ連が打ち上げた人工衛星スプートニクや、ロケットによる宇宙飛行、宇宙エレベーターやスペース・コロニーなど、現代の宇宙工学の礎になりました。
ツィオルコフスキーは、幼い頃、猩紅熱(しょうこうねつ)によりほとんど耳が聴こえなくなり、小学校も卒業できず、独学で高等数学や自然科学を学びました。
さらに母親を早くに亡くし、孤独と貧困の中、自らの好奇心だけを頼りに、前に進み続けたのです。
モスクワの図書館に、たったひとつの黒パンを片手に通う日々。
勉強に疲れると、草原の高台に座り、夜空を見上げました。
キラキラと瞬く星たちを眺めながら、思いは果てしなく拡がっていきます。
「いつか人類が宇宙に飛び立つ日が、きっと来る」。
わずかな仕送りのお金は、黒パン、実験材料や書籍代に消えました。
ボロボロの服、伸び放題の髭。
子どもたちからバカにされ、周りの人たちに奇人と思われても、彼は幸せでした。
「生きていくのに、夢があれば十分だ」。
彼はひとつだけ、前に進むための長所を持っていました。
それは、「自分を必要以上に哀れまないこと」「意味もなく、自らを卑下しないこと」。
耳が聴こえない、孤独、貧乏。
それらを当たり前のように受け入れ、今、自分にできることを真摯に全うしたのです。
宇宙時代の先駆者、ロシアの賢人・ツィオルコフスキーが人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
現代宇宙科学の基礎を築いた物理学者・ツィオルコフスキーは、1857年9月17日、モスクワの南に位置する小さな村で生まれた。
ロシア帝国ロマノフ王朝の時代。
父はペテルブルクで森林測量学を学んだのち、営林署に勤めていた。
気難しい性格で、めったに笑わない。
反対に母は、陽気で楽天的。
大地主の娘で、当時の女性としては最高の教育を受けた才女だった。
世の中には、革命の嵐が吹き荒れ、父は暴動弾圧勢力とトラブルを起こし、度々、職を失う。
貧しかった。
でも、家族は母の笑顔に助けられた。
幼いツィオルコフスキーは、不思議な子どもだった。
道端にできた水たまりを、一日中見ている。
何が面白いのかと母が尋ねると、鏡のようにいろいろなものを映し出すのが面白いという。
青い空、流れる雲、虹。
少年は、路上に、すでに宇宙を見ていた。
末っ子のツィオルコフスキーは、家族や親戚から可愛がられ、彼もまた屈託のない笑顔で周りのひとを幸せな気持ちにした。
お金はなかったが、穏やかな日々が続く。
やがて、彼の人生を決定づける出来事が起きた。
10歳のツィオルコフスキーは、ある日、高熱と発疹に苦しむ。
猩紅熱(しょうこうねつ)。
母は眠らず看病する。
幸い命はとりとめたが、聴力を失った。
長い沈黙のトンネルが、彼を待っていた。
「宇宙飛行の父」ツィオルコフスキーは、10歳で耳が聴こえなくなった。
かろうじて、左耳だけがかすかな音をとらえる。
道の向こうからやってくる同級生。
何を言っているのかわからず、素通りしようとすると、ドン!と体当たりをくらう。
「挨拶なしか!?」
別に無視したわけではない。聴こえないだけだ。
喧嘩は好まない。
ひたすら殴られた。
以来、小学校もやめてしまい、家に閉じこもるようになる。
幸い、父が読書家で、家には、たくさんの本があった。
次から次へと読んでいく。
最初のうち、父は適当に読み飛ばしているのだと思った。
試しに学術書について質問すると、瞬時に答えが返ってくる。
驚いた。ちゃんと理解している。
父は、褒めてくれなかったが、母は、大げさなくらい褒めてくれた。
「すごいねえ、すごいわねえ、あなたはきっと偉くなるわよ」
そのうち、家じゅうの本を読破。
あまった時間は、モノづくりに熱中した。
振り子時計、人形やクルマのおもちゃ。
細かく設計図を書き、古い部品をかき集めて作った。
13歳のとき、二度目の苦しみがやってくる。
母が、38歳の若さでこの世を去った。
いつも、どんなときも自分を励ましてくれた最愛の母。
亡くなる直前も、ツィオルコフスキーの手を握り、言った。
「いい? あなたは、きっと偉くなるから、ね、偉くなるから」
宇宙物理学の先駆者・ツィオルコフスキーは、16歳の時、ひとり、大都会・モスクワに出た。
小学校も中学校も出ていない我が息子の将来を案じた父は、せめて、自由に本を読める環境を与えようと思った。
息子の非凡な才能は感じていたとはいえ、モスクワでの一人暮らしを支えるにはあまりに貧しかった。
仕送りは、ごくわずか。
でも、ツィオルコフスキーは、天にものぼる思いがした。
黒パンをひとつ持ち、開館から閉館まで、ずっと図書館にいる。
数学、物理学、自然科学に興味を持つ。
身なりの貧しさや愛想のなさで、周りから疎んじられたが、ひとりの高齢な司書が、ツィオルコフスキーの味方になってくれた。
明るい窓際の席を用意してくれる。
貸出できない本を特別に貸してくれる。
ときには、柔らかいパンを差し入れてくれた。
懸命に頑張るひとには、必ず、それを見てくれているひとがいる。
「ボク、みみが、聴こえないんです」
ある日、ツィオルコフスキーがその司書に言うと、彼は、真っ白な髭を触りながら言った。
「わかっていたよ、わたしもね、片方、耳が聴こえない。でもね、くじけちゃいけないよ。自分を哀れんだら、自分が可哀相だから」
ツィオルコフスキーは、やがて、数学の教師の資格を取得。
中学校の教師になる。
その後も研究を続け、やがて偉業を達成。
世界にその名が知られるようになった。
道端の水たまり、図書館の近くの草原、彼はいつも宇宙を感じ、宇宙に守られ、天空に飛び立った。
【ON AIR LIST】
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ただ憧れを知る者のみが / チャイコフスキー(作曲)、東京佼成ウインドオーケストラ
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