第百二十九話存在証明は、己で成し遂げる
現在行われている展示は、「文学の宝庫アイルランド:ハーンと同時代を生きたアイルランドの作家たち」。
これは、日本・アイルランドの外交樹立60周年と小泉八雲記念館リニューアル一周年記念の企画展です。
小泉八雲、本名パトリック・ラフカディオ・ハーンは、アイルランド人の父とギリシャ人の母のもとに生まれました。
縁あって日本の島根県に住むことになった彼は、日本を愛し、日本人を愛し、日本文化を愛しました。
記念館に飾られている彼の写真は、羽織袴。
体は左側を向き、右半分の顔しか見せていません。
八雲は、幼いとき左目を失明しています。しかも、右眼もかなりの近視。
それでも彼の眼光は鋭く、まるで彼の生き様を具現化しているかのように思えます。
松江の尋常中学校で英語教師をしながら、翻訳や紀行文、怪談話の執筆にいそしんだ小泉八雲。
『雪女』や『耳なし芳一』も、彼が掘り起こさなければ、どこかに埋もれてしまっていた物語なのかもしれません。
八雲にとって、書くことは生きること。
自らの存在証明に欠かせないものでした。
幼くして両親に捨てられた経験は、彼にこんな試練を与えたのです。
「自分がここにいてもいいという存在証明は、自分でするべきだ」
1904年9月26日。心臓発作で54歳の生涯を閉じるまで、彼の自己肯定への闘いは続きました。
小説家にして稀代のジャーナリスト、小泉八雲が、我々に教えてくれる明日へのyes!とは?
小泉八雲、ラフカディオ・ハーンは、1850年6月27日、ギリシャのレフカダ島で生まれた。
レフカダ島は、ギリシャの西、イタリアに近いイオニア海に浮かぶ小さな島。
父、チャールズは、アイルランド生まれのイギリス人で、軍医としてこの島に赴任してきた。
母、ローザは、島の娘。島でも有名な黒髪の美人だった。
チャールズはローザにひと目ぼれ。二人はまわりに反対されたが、それを押し切り、結婚した。
チャールズ、30歳。ローザは、25歳だった。
やがて男の子を授かった。
八雲の名前、ラフカディオは、このレフカダ島の名前に由来している。
八雲が2歳のとき、父は故郷アイルランドに転勤。
このダブリンでの暮らしが家族に破綻をうながす。
ほどなく父はクリミア戦争に従軍。家にはいない。
陽光あふれる島で育った母は、常に曇った鉛色の空のアイルランドの暮らしになじめない。
しかも…圧倒的に、寒い。
八雲が6歳のとき、心を病んだ母は、子どもを置いて故郷の島にひとり帰ってしまう。
戦地から戻った父も新しい女性に恋をして、新しく家族を築き、インドに行ってしまった。
八雲は、ひとりぼっち。母に捨てられ、父に捨てられ、誰も自分を大切にしてはくれない。
「ボクは、この世に生まれてきてよかったんだろうか」
そんな疑念が、幼い彼の心に宿る。
両親への憎しみも芽生えた。特に父への憎悪は生涯消えることはなかった。
身寄りのなくなった八雲は、大金持ちの父方の叔母に育てられる。
叔母は厳しかった。お仕置に牢屋のような暗い部屋に閉じ込められた。
そこで彼は初めて、幽霊を見た。
小泉八雲は、叔母に育てられた。
彼女は八雲を聖職者にしようと、神学校に入学させる。
彼はそれに応えようと頑張る。
「生きていていいかどうかもわからぬ自分に、叔母さんはよくしてくれる。その期待に応えることこそ、ボクの生きる意味だ」。
成績は優秀。
教会の司祭になる、真っ直ぐな道が用意されているように感じた。
しかし、相続争いに巻き込まれ、叔母の家を追い出される。
さらに追い打ちをかけるように、16歳のとき、アクシデントが起こる。
友達と回転ブランコで遊んでいた。
大きなロープの結び目が、八雲の左目を直撃。失明した。
もともと視力は弱く、右眼もかなりの近視だった。
両親に捨てられ、叔母のもとも追われ、視力も奪われた。
しかも背は低く、ぶかっこう。コンプレックスのかたまりだった。
やがて、叔母は破産。学校も辞めざるを得ない。
八雲はまるっきりの孤児になった。
躾や教養がかえってきつかった。
自らをおとしめることができない。
貧民街でその日暮らしの生活をおくりながら、書物をむさぼるように読み、明日への希望を失わなかった。
彼にとって希望とは、両親、特に父への復讐だった。
「いつか、見返してやる。いつか、ボクがここにいてもいいことを証明してみせる」
小泉八雲は、再生を期して、新天地アメリカに渡った。
本を読むこと、感じたことを文章にすることは、どんな生活の中でも日課だった。
「いつか、文章で食べていけるようになりたい」
そんな思いは、彼の中でどんどん大きくなっていった。
シンシナティに流れ着いて、ようやく新聞社の下働きの口を得た。
それは、入社して2年目のある夜のことだった。
記者たちは、放火事件で奔走。社には八雲しかいなかった。
そこへ、凄惨な殺人事件のニュース。
彼は思った。これは、勝負だ。丁寧に書けば、新聞は売れる。そうすれば、ボクの地位もあがるかもしれない。
編集長の不在をいいことに、自ら取材し、記事にして新聞に載せてしまった。
ただ、取材にはこだわった。見えない両目を死体に近づける。
匂いもする、気持ちが悪い。でも、彼にはなんていうことはなかった。
「どうせ、ボクは捨てられた人間だ。フツウにやっていたんでは、生きていけない。ひとと違うことをして、初めて自分の存在価値を証明できるんだ」
彼が書いた記事は大反響を呼んだ。その細部の描写は伝説になった。
八雲は昇格し、給料もあがった。
「ボクはこれから、世界を回ろう。世界を回って、このよく見えない目で、見てやろう。見えないからこそ、一生懸命見る。そこにボクの存在価値はあるはずだ。ああ、ようやくわかったよ。誰かに存在を認めてもらうなんて、甘かった。ボクはボク自身で、証明しなくちゃいけなかったんだ」
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