第百三十四話哀しみの目線を失わない
そこをさらに行けば、長谷川町子美術館。
国民栄誉賞を受けた漫画家・長谷川町子が生涯を通して集めたコレクションの数々が展示されています。
彼女がかつて暮らしていた当時の桜新町は、畑が拡がるのどかな街でした。
砂利道に、木の電信柱。木造平屋の家からは隣の家族の笑い声が聴こえてきます。
1952年、昭和27年4月11日の朝日新聞に、印象的な4コマ漫画が掲載されました。
ムシロを背負い、ヤカンをぶらさげたみすぼらしい髭面の男が、磯野家の前にやってきます。
幼いワカメが門の影からその様子をじっと見ています。
男は、塀の上からこぼれるように咲き誇る桜を見つけ、地べたにムシロを敷き始めます。
どっかりと座った彼は粗末な日の丸弁当を拡げ、散りゆく桜を眺めながら満面の笑みを浮かべるのです。
その様子をじっと見ていたワカメも、笑顔になります。
セリフはありません。1コマ目と4コマ目のワカメの表情の違いに、長谷川の優しい心が見えてきます。
漫画家・長谷川町子は、弱い者を好んで描きました。
戦争で傷ついたひと、いじめられる動物、貧しい家族。
決して声高なヒューマニズムを歌うことはしませんでした。
あの4コマ漫画のワカメのように、ただ、静かに見守る。
何も言いません。何もしません。
でも、その目線の低さ、あったかさは『サザエさん』の根幹にありました。
ひとは、強く生きなくていい。ひとは、全部持っていなくていい。
弱いから、足りないから、ささやかに助け合い、強調しあい、共に生きていく。
そんなメッセージは、今も私たちの心をつかんで放さないのです。
70年以上もの間、愛され続けている国民的漫画『サザエさん』を世に送り出した、漫画家・長谷川町子がつかんだ明日へのyes!とは?
漫画家・長谷川町子は、1920年、佐賀県に生まれた。
父は三池炭鉱の技師。短気だが、ダンディで、小鳥を愛した。
母もオシャレにはうるさく、町子にベレー帽を被せた。
家は貧しさとは無縁で、子どもたちはピアノや絵を習った。
幼い頃の町子は、おてんば。
クラスメートで彼女に叩かれなかった生徒はいないほどで、後年、町子は小学校の同窓会に出るのをおそれた。
報復が怖かったのである。
町子が8歳の時、大好きだった父が病に倒れる。
母はキリスト教に入信。家族全員、洗礼を受けた。
5年の闘病もむなしく、町子13歳のとき、父が他界。
ひとまえで泣いたことのない町子も、ひと目をはばからず、号泣した。
母も途方にくれる。ほぼ1年を泣き暮らした。
母と三姉妹。まわりの目もやがて変化していく。
同情がやがて「このひとたち、どうするつもりだろう」という疑念や不安に変わった。
ある朝、母は突然言った。
「東京に、行こう」
姉は福岡の女学校を出たばかり、妹は8歳。町子は14歳だった。
「あなたたちは、東京で教育を受けるの。それがいい」
こうと決めたらテコでも引き下がらない性格。行動力も見事だった。
親戚関係、キリスト教の信者を頼り、上京が実現した。
博多駅には、見送り客が殺到。汽車が出るまで、ホームに賛美歌の大合唱が続く。
町子は、早く出発しないかとハラハラしたという。
この母の決断が、結果、漫画家・長谷川町子を生むことになるが、同時にそれは、町子にとって試練の道でもあった。
おてんばで快活だった少女は、都会の洗練された世界になじめず、激しいコンプレックスの渦に飲み込まれた。
母と三姉妹は、麻布霞町の粗末な家に間借りした。町子は女学校に編入するが、まわりとなじめない。
いわゆるお嬢さま学校。方言が恥ずかしい。
着ている制服が似合っているとは思えなかった。
家に引きこもりがちになる。友達もできなかった。
家の中で、漫画を画いた。もともと福岡時代から絵が好きで、先生の似顔絵を画いて、まわりを笑わせていた。
雑誌の賞に応募すれば必ず入賞した。大人気漫画『のらくろ』をよく真似ていた。
ある日、町子はつぶやく。
「あ~あ、田河水泡先生の、お弟子になれたらなあ~」
それを聞いた母は、パンと膝を叩いた。
「いいわね、それ。そうしましょう」
さっそく姉に付き添わせ、いきなり『のらくろ』の作者・田河のもとに出向いた。
母は、いつも賑やかで家族みんなを笑わせる明るい娘を、もう一度見たかった。
「あの子が興味を持つことなら、なんでもやらせてあげる。どこへだって連れていってあげる」。
当時、弟子になりたいひとが多すぎて、その全てを断っていた田河だったが、町子が持参したスケッチブックを見て、驚いた。
「これ、全部、君が画いたのかい?」
「はい、そうです」
絵がうまいだけではなかった。
そこには、女性ならではの日常に根付いた視点が生き生きと描かれていた。
「いいだろう。明日からウチに来なさい」
長谷川町子は、その場で弟子入りを許された。
長谷川町子は、女学校を卒業すると、荻窪の田河水泡の自宅に住みこむことになった。
玄関わきの四畳半の部屋。掃除や炊事を手伝いながら漫画を画いた。無口で、誰とも心を開かなかった。
そろそろ1年が経とうとしていたころ、ついに町子のホームシックは限界を超えた。
「先生、すみません、私、家に帰りたい…」
しぼりだすように言った。
以来、田河と町子はほとんど顔を合わすこともなくなったが、田河はことあるごとに、編集者に町子を推薦した。
「いい子がいるんだよ、すごいんだ、これからはもっともっと女性が画く、女性の漫画が必要になる。いいよ、長谷川町子は。一度、採用してみてくれないか、損はさせないよ」
町子もまた、新刊が出るたびに田河に送った。
町子は、自分の家族が大好きだった。
居心地がよくて、そこでは自分が自分らしくいられた。
もっと外の世界へ、と思っていた母も、やがて、娘が生き生きとできるのであればと、共に暮らす生活を楽しんだ。
戦争の間、一家は、故郷・福岡に疎開。
ようやく終戦を迎え、新聞の連載漫画の話が舞い込む。
町子は、妹と家の裏の海岸を散歩した。
打ち寄せる、おだやかな波。
「お姉ちゃん、どんな連載にするの?」
「そうだなあ…明るい家族の話がいいな」
「お父さんの名前は?」
「そうねえ…波平。お母さんは、みんなを引っ張るから…舟、がいいかな。カツオに、ワカメも出てくる」
「ねえ、じゃあ主人公は?」
「そうだなあ…サザエ…頭がね、こんな髪型で…。そう、名前は…サザエさん。私ね、とっても不器用で、漫画を画くしかできないけれど、日本中のひとに笑顔になってほしいんだ」
【ON AIR LIST】
パンと蜜をめしあがれ / クラムボン
春の手紙 / 大貫妙子
HALFWAY / Salyu
Boom! / Maia Hirasawa
【撮影地】
©長谷川町子美術館
http://www.hasegawamachiko.jp/
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