第三百十一話枠にとらわれない
山口昌男(やまぐち・まさお)。
1970年代から、学問や文化の在り方を根底から変える思想論を展開。
浅田彰(あさだ・あきら)や中沢新一(なかざわ・しんいち)と共に、1980年代のニューアカデミズムを牽引しました。
山口の真骨頂は、ジャンルの垣根を越えたこと。
文化人類学、文学、演劇、哲学、美術など、あらゆる境界線を突破したのです。
その思想のフィールドは、地域、国にもおよび、あらゆる民族の多様性に、いち早く注目しました。
「学者っていうのは、そりゃあ、面白い学者のほうがいいに決まっている。いかがわしく世間をすねて、世間を恥じてこその学者。私たちが住んでいる世界は、目に映るものだけではなく、心に映る世界も大切なんですね。明るい部分だけではなく、心の底に沈殿している、もやもやしたものも含めての文化なんだと思います」
と、NHKのインタビューに答えています。
山口は、その言葉のとおり、世の中で光があたる人物や出来事よりも、負けていったもの、虐げられて消えていった文化に脚光をあてました。
特に、生涯のテーマにしたのが、道化。
文学や祭りに登場する道化、トリックスターの意味、意義についての考察は、今も全世界に影響を与えています。
カーニバルにおける道化は、この世とあの世の垣根を、唯一飛び越える存在。
世界に緊張が高まると登場する道化の姿に、ひとびとは、そのバカバカしさに笑い、心に余白が生まれます。
学者は、ある意味、道化として垣根を越える存在であるべきだ、そう唱えた山口は、漫画を描き、フルートを演奏し、さまざまな対談を受け、若者とも積極的に語りました。
今、我々に必要な道化とは何でしょうか?
文化人類学の父、山口昌男が人生でつかんだ明日へのyes!とは?
今年、生誕90年を迎える文化人類学者のレジェンド、山口昌男は、1931年8月、北海道美幌町に生まれた。
両親は、共に道外から移住し、菓子店を営んでいた。
美幌町のビホロとは、アイヌ語の「ピポロ」、「水の多い場所」という意味。
山口が幼い頃、すでにアイヌ文化との触れ合いがあった。
「ガンビの皮、いらんかい」
アイヌの女性が、ガンビと言われる白樺の皮を売りに来る。
白樺の皮は、油分が多い。
火がつきやすく、長持ちするので、風呂炊きなどに重宝された。
小学1年生のときには、隣の席にアイヌの女の子がいた。
いつの間にか学校に来なくなる。
「どうしてだろう…」山口の心に、疑念がわく。
山口も、学校に行くのが嫌だった。
外に出れば、近所のガキ大将にいじめられ、泣いて家に帰る。
ずっと家にこもり、本を読んだり、漫画を画いていたかった。
山口は、隣の席の女の子と、もっと話がしたいと思った。
もっと仲良くしておけばよかったと後悔した。
内と外。そこに暮らす人々。
幼いながらに、見えない境界線は、早くも彼の日常にしのびこんでいた。
菓子店で働く青年に、できたばかりの「網走市立郷土博物館」に連れていってもらったときのことは、忘れられない。
白い壁に赤い屋根がモダンな雰囲気を醸し出す。
中に入ると、モヨロ貝塚の遺跡、オホーツク文化やアイヌ文化の展示に目を輝かせた。
自分の知らない世界が、この世にあることを知り、好奇心が止まらない。
彼は思わず、言った。
「ボク、ここに住みたい。郷土博物館で暮らしたい」。
大江健三郎や坂本龍一にも影響を与えたと言われる、文化人類学者の山口昌男。
彼は幼少期、ある人物に多大な影響を受けた。
同年代の少年、中村康助(なかむら・こうすけ)。
康助は、山口と父親が違う兄弟。
母が山口の父と再婚したあとは、中村家の祖父母に養われていた。
康助は、飛びぬけて頭がよかった。
勉強ができるだけでなく、洞察力、観察力にすぐれ、絵を画くのもうまい。
山口に、漫画を画くことをすすめた。
「見たままをそのまま画くんじゃなく、いいかい、こうやって線をひいて」
ノートに線をひいて、コマ割りする。
物語をつくった。
絵が動く。絵が、生き生きと人の心をあぶりだす。
学校の美術の時間が退屈に思えてきた。
漫画は、すごい。
ストーリーを考えることで、自分の疑問や不安が解消されていくのを感じた。
さらに、康助の家には、膨大な蔵書があった。
古今東西の書物。
戦時下、子どもたちに本が制限される中、康助の家に行けば本が読めた。
本を読めば読むほど、感じる。
「なぜ、この世に境界線があるんだろう」
山口昌男は、幼い時からぼんやりとわかっていた。
境界線は、人間がつくるものだ。
枠も、自分で勝手に作ってしまうものだ。
ひとは、境目を決めるのが大好きなんだ。
もし、そこから自由に解き放たれるには、どうしたらいいか。
山口は、とにかくたくさんの本を読んだ。
ジャンルは問わない。
琴線に触れれば、なんでも読む。
やがて、ほんとうの世界を五感で感じたくなった。
中学、高校と進むうちに、外に出ることを覚える。
泣き虫で引っ込み思案だった少年は、フィールドに出た。
書物は、ひらめきを得るきっかけをくれる。
そのひらめきを実証していくのが、フィールドワークだった。
彼は思った。
「どうせ、学者になるなら、面白い学者になろう。自分が道化になって、あらゆる境界線を越えてみよう。枠を取っ払うことでしか、見えない風景がある」
【ON AIR LIST】
道化師の朝の歌 / ラヴェル(作曲)、パリ管弦楽団、ジャン・マルティノン(指揮)
イヨマンテ ウポポ(熊送りの時に歌うウポポ) / 安東ウメ子
sa oy / MAREWREW
FIELD WORK / 坂本龍一
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