第六十一話転がり続ける
石川五右衛門を小説に書いて直木賞を獲った作家がいます。
檀一雄。彼は『真説 石川五右衛門』と『長恨歌』という二つの作品で第24回直木賞に選ばれました。
檀一雄は、福岡にゆかりのある作家です。
父の実家は、柳川市。祖父は久留米市に住んでいました。
幼い頃から住居を転々としてきた檀にとって、福岡の地は、原風景であり、さまざまな思い出に彩られた場所でした。
晩年、自宅にしたのが、能古島。博多湾に浮かぶ、小さな島です。
わずか10分ほどフェリーに乗るだけで、福岡の喧騒から逃れることができる憩いの島。
秋には、丘一面にコスモスが咲き誇ります。
ここに檀一雄は居を構えました。
別荘ではありません。彼は生涯、別荘を持ちませんでした。
能古島は、休息の場所ではありませんでした。
ここは、再び立ち上がるための場所。
彼には一生でどうしてもやり遂げねばならぬ仕事がありました。
満身創痍。体は病にむしばまれ、悲鳴をあげていましたが、彼はこの地を再起の地に選んだのです。
彼がどうしてもやりとげたかったもの。
それは自らのことを包み隠さず書いた小説『火宅の人』を完成させることです。
昭和50年8月、着稿以来20年かけて、『火宅の人』はできあがりました。
最後は床に伏したままの口述筆記でした。
翌年の1月、63歳の生涯を終えた、檀一雄。
壮絶な人生の果てに、彼がつかんだ明日へのyes!とは?
作家・檀一雄は、幼い頃から、住居を転々とした。
1912年山梨に生まれるも、2歳で福岡県柳川市へ、すぐに東京 谷中に暮らしたが、またあっという間に福岡に戻り、7歳には栃木の足利に移る。
父は蔵前の高等工業学校の図案科を出て、技師として工業試験場に就職していたが職を失い、日本画を習い再就職をはかるが、うまくいかなかった。
生活は困窮。職あらばすぐに転地する父。幼い一雄をひとり残してそれについていく母。
一雄は落ち着かず、絶対的な孤独を心に宿した。
檀一雄の、のちの放浪癖は、この幼児体験によるものだと論ずる評論家もいる。
さらに一雄の人格形成に大きく影響する出来事が起きる。
彼がもうすぐ10歳を迎えようとする頃。
母トミは、家族を捨て、男のもとに走った。
『男のもとに』という部分は、多分に一雄の推測も入っている。
だが、母が自分を置いて、東京の医学生の家に身を寄せた事実はあった。
彼は思った。
「母も、女だった。母の中の燃えたぎる異形のモノ。この女のあやしい根源の力を封じ込めることはとうていできない」
ひとは、絶対的な港を失うと、どうなるだろう。
あてもなく、さまようしかない。どの港に寄っても、いつか離れることしか、頭にない。
どうしても、安心がほしいなら、外に求めず、自らの心に港を創るしか、ない。
幼い一雄は、足利で父と二人で暮らした。
誰にも束縛されないが、誰にも愛されている実感がなかった。
山野をかけめぐる。自然だけが、友であり、話し相手だった。
岩場で雨をしのぎ、草木で体を温めた。鳥や獣に見守られながら、幾度も野宿した。
星が語りかけてくれる。風がささやいてくれる。
足利での生活、最も気持ちが高揚したのは、正月、祖父の家がある福岡の柳川に帰省するときだった。
そこには幼い妹たちが預けられていた。
足利から柳川まで、汽車で二昼夜かかった。
西に行けば行くほど、風景や言葉が変わっていく。それが面白かった。
柳川駅に着くと、車ひきが、自分を見つけ、「おう、一雄ボッチ、帰りもうしたばい」と笑った。
両親は離婚。母はまもなく貿易商を営む金持ちと再婚する。
一雄は福岡に戻り、旧制福岡高等学校に入る。
ここで、彼は一年の休学を余儀なくされる。
反戦運動に関わったからだ。
この一年が、彼を変えた。学校にいかずに済んだ一年。
読書にふけった。
ニーチェ、ショーペンハウエル、小林秀雄に佐藤春夫。
彼はのちに語った。
「この一年間の空白はひょっとしたら私の生涯を決定したかもわからない。まぎらわしいものからようやく離脱して、私はちゅうちょなく、自分自身に帰り着いたのだ」。
復学した檀一雄は、小説を書き、詩を発表した。
それは、文芸部の懸賞で一等賞になった。
空白の一年こそ、人生の転機。
何もできないときこそ、何かが生まれる発酵の時間。
檀一雄が、初めて尊敬した作家。それが太宰治だった。
『魚服記』と『思ひ出』を読んで、「作為された肉感が明滅するふうのやるせない抒情人生だ。
文体に肉感がのめりこんでしまっている」と語った。
「あとを追いかけたい」そう思った。
杉並の自宅を訪ねる。
「キミ、名前は?」
「檀、一雄と言います」
「そうかい、檀くんか、キミは小説を書くのかい?」
「はい。あの」
「なに?」
「あ、あ、あなたは天才です!たくさん、書いてほしい!」
その後、太宰のために東奔西走した。
同人誌に太宰の小説を掲載するために頭を下げた。
自分の時間のほとんどを、彼を世に出すことに使った。
それは彼いわく、「溺れる者同士がつかみあうような」交友だった。
檀一雄は、孤独を愛し、孤独にあこがれる一方で、人恋しくて、誰かの役に立ちたいと動き回った。
太宰が入水自殺をはかったとき、彼は葬儀にも出ず、お墓にも顔を出さなかった。
彼の中で、太宰は永遠に死んではいない。
作家・檀一雄は、純文学を書き、芥川賞の候補になったが賞はとれない。
反対に大衆文学は評価され、やがて直木賞をもらった。
最愛の妻を病気で亡くし、再婚。
でも、他の女性と恋に落ちて、自ら安らぎを壊した。
どうして、そこにじっとしていられないのか。
どうしてひとつの場所に安穏としていられないのか。
彼は抗いがたい衝動に背中を押され、走り続けた。
でも、走り続けることでしか、見えなかった風景がある。
転がり続けることでしか、行けなかった場所がある。
作家・檀一雄は、彼にしか生きられない人生を生きた。
『火宅の人』は、彼の代表作になり、今も読み継がれている。
【ON AIR LIST】
Body And Soul / Amy Winehouse
Downtown Train / Tom Waits
Mother / John Lennon
Tumbling Dice / The Rolling Stones
Burning Down The House / Talking Heads
閉じる