第八十八話未来を語れ!
彼が生まれた清滝という村は、東照宮がある中心地から、中禅寺湖に向かう奥日光に位置する山里です。
父は古河鉱業 日光電気精銅所に勤務していて、一家は社宅で暮らしていました。
井深が生涯大切にしていた、1枚の写真があります。
口ひげをたくわえた父は堂々としていて、生後9か月の大を抱く着物姿の母は、驚くほど美しい。
父と同じ紋付き袴姿の大は、目を見開いてこちらを見ています。
この写真のわずか1年後、父は、病に倒れ、亡くなってしまいます。
東京高等工業、現在の東京工業大学の電気化学科を出たエリート技術者だった父。
学生時代に、静岡の御殿場に、日本で最も古いと言われている水力発電所をつくったという功績もあり、将来を嘱望されていました。
志、半ば。さぞ無念だったろうと、井深は述懐しています。
4歳のとき見たある光景を、井深は覚えていました。
それは母と身を寄せた祖父の家に初めて電気がきたときのこと。
「大人も子どもも、工事の現場をワクワクして見ていた。はっぴを着た工夫がなんと、いなせに見えたことか。天井に二本の黒い線をバリバリと、とめていく。ああ、今日の夜、電気がくる、電燈が灯る。夜が待ち遠しい。まだか、もうすぐか。そうしてついに電気が来る瞬間がやってくる。しかし、私は電気のついたそのときを覚えていない。おそらく待ちくたびれて眠ってしまったんだろう。しかし、その工夫たちの手際のよい仕事ぶりだけは、目にやきついていた」。
その原風景こそが、井深の後の人生を決めたのかもしれません。
電気は、今を照らし、未来を映します。
天才的な発明家であり、日本経済界が誇る経営者、井深大が、その生涯でつかんだ明日へのyes!とは?
ソニーを創った男、井深大は、1908年4月11日、栃木県の日光に生まれた。
優秀な技術者だった父が亡くなったのは、井深が2歳2か月のとき。
母とともに、祖父の家に身を寄せる。
祖父は会津藩の出身で、愛知県の安城では、町の名士。郡長を務めていた。
幼い頃の井深は、孤独だった。
地元の子どもたちと打ち解けて遊べない。
郡長という「偉いひとの孫」というレッテルは、幼心にも気おくれを感じさせた。
まわりが遠慮しているのがわかる。
遊び相手は、もっぱらお手伝いさんだった。
5歳のとき、母と2人で上京。目白に住んだ。
日本女子大学を出ていた母は、教育に熱心だった。
日本女子大の付属幼稚園の先生をしながら、井深を育てた。
休みの日は必ず、上野の博物館や、湯島にあった科学博物館に井深を連れていく。
特に井深にとって忘れられないのが、1914年、大正3年に開催された『東京大正博覧会』。
説明員が解説する。
「ええ、これはですね、階段がある仕掛けで、そのまま上下するんです。その上に立つだけで、自然に体が運ばれていきます。西洋では慣れているので、階段にじっとせずに飛び歩いたりします」
初めて見る、エスカレーターだった。
「すごい!なんだかわからないけど、科学ってすごい!」
純粋な驚きこそが、未来を輝かす種になる。
上野の森に、光が降った。
実業家にして電子技術者、ソニーの創業者、井深大は、小学校に入学してから、ますます機械にのめり込んだ。
ねじ回しで、時計を解体する。
組み立てようと思うが、うまくいかない。
家には、壊れた時計が散乱するようになった。
法事などで実家に帰ると、祖父や親戚は、家中の時計を隠したという。
井深の機械好き、電気好きの背中をさらに押したのは、母のこんなひとことだった。
「大、あなたのお父さんはね、それはそれは立派な電気技術者だったのよ」。
写真でしか知らない父。
偉大で、堂々として、とても追いつけない存在に思えた。
いつか、父に追いつきたい。いや、父を越えたい。
そんな思いが、大きくなっていった。
早稲田大学に在籍していたとき、「走るネオン」を発明。
マスコミにも、「天才発明家」として取材された。
彼のモットーは、こうだった。
「他のひとが既にやってしまったことは、絶対にやらない」
井深大は、戦後、欧米との技術力の差に、愕然となった。
「最先端のテクノロジー開発に着手しなければ、明日の日本はない」
テープレコーダーの開発に続き、トランジスタにのめりこむ。
実用化は難しいと言われた。でも、やらねばならない。苦しい。
まわりも反対する。でも、ここで立ち止まってはいけない。
未来は、黙っていても、輝かないから。
今を生きるということは、これから先に続く道を照らす灯りをつくるということ。
みんな勘違いしている。
温故知新は、大事だ。
過去、歴史は、学ぶべきことがたくさんある。
でも、『今』に光を当てるのは、過去じゃない。未来だ。
夢を語ろう、これから先の日本を、世界を語ろう、そうすれば、今、何をすべきかが見えてくる。
苦労して開発したトランジスタのシェアがライバルメーカーに抜かれたとき、マスコミに「ソニーがモルモット的な役割を果たした」と、揶揄(やゆ)された。
それも井深は、恥じなかった。
「私たちの電子工業というのは、常に新しいことをどう製品に結び付けていくかが大事。常に変化するものを追いかけていくのは当たり前だ。モルモット精神、大いに結構ではないか。ゼロから出発して、産業をつくる。ひとつできれば、また次に向かえばいいだけの話じゃないか。今日のことばっかり考えてるから、人間が小さくなるんだ。10年、いや30年、50年先を想像してごらんなさい。今、悩んでいることが、とるに足らないことに見えるから」。
井深大は、生涯、創造者だった。
科学を具現化して、製品化すること。その先に豊かさがある。
その流儀はまるで、村人たちのために小さな水力発電所を、骨身をけずってつくった父親に似ていた。
もしかしたら井深は、写真の中の父に、褒めてほしかったのかもしれない。
「おお、大、おまえよく頑張ったな。えらいぞ」。
【ON AIR LIST】
A Sky Full of Stars / Coldplay
Seven Seas Of Rhye / QUEEN
君の住む街 / 関取花
エソラ / Mr.Children
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