第百七十二話逆境と仲良くつきあう
アレサ・フランクリン。
ミシガン州デトロイトの自宅で、静かに息をひきとりました。
1967年、オーティス・レディングのカバー曲『リスペクト』が全米チャートの1位を飾り、一躍、時の人になります。
ゴスペルのフィーリング、力強い歌声。
肌の色や性別で不当な差別を受けていたひとに、ひとすじの灯りを見せてくれました。
一度そのボーカルを聴いたら忘れられない、強烈な迫力。
1987年には、女性として初めて「ロックの殿堂」入りを果たし、1994年には、グラミー賞の「ライフタイム・アチーブメント・アワード(功労賞)」が贈られました。
ジミー・カーター、ビル・クリントン、バラク・オバマ、3人の大統領の就任式で歌を披露。
映画『ブルース・ブラザーズ』での演技や歌も忘れられません。
名実ともに、成功を手に入れたのです。
彼女の葬儀は、8月31日にデトロイトで行われ、弔辞は5時間におよびました。
そして、アメリカ中が1週間にわたり、彼女の人生と楽曲を称えました。
一方で、その生涯は波乱に満ちていました。
10代で、父親のちがう2人の子どもを産み、学校も中退。
結婚しても、夫の暴力で離婚。
歌手として成功しても、満たされない生活。
やがて、歌が売れない不遇の時代を迎え、最愛の父が銃弾に倒れ、亡くなります。
彼女の歌声は圧倒的で、その存在は、公民権運動やフェミニスト運動と相まって、社会的にも影響を及ぼすようになりました。
アレサ個人とアーティスト・アレサとの乖離(かいり)はますます溝を深め、彼女は心のバランスを崩すこともありました。
それでも彼女は歌い続けました。
どんな逆境にもめげず、ひとびとを励ます歌を大切にしたアレサ・フランクリンが、人生でつかんだ明日へのyes!とは?
ソウルの女王、アレサ・フランクリンは、1942年3月25日、テネシー州メンフィスで生まれた。
父は、バプティスト教会の説教師。歌がうまかった。
母も、シンガーで、教会でその美しい歌声を披露していた。
しかし、アレサが6歳のとき、母は子どもを置いて家を去る。
やがて、アレサが10歳のとき、この世を去った。
母の愛を知らないことは、生涯、アレサを苦しめた。
「自分は、誰かにしっかり抱きしめてもらった記憶がない」。
一家はデトロイトに移り住み、父はニュー・ベテル・バプティスト教会の牧師になった。
父の説教は、すごかった。
その声、話し方、聴衆は魅了され、やがてラジオでも放送されるほどだった。
しかも、歌がうまく、牧師の領域を超えていた。
アレサは10歳にして、父の教会でゴスペルを歌い始める。
ピアノも独学でマスター。
歌声は美しく、教会中に響き渡った。
父は娘の才能に気づく。
「この子は、すごい。もしかしたら、大きく化けてくれるかもしれない」
全米の自分の説教に同行させ、各地で歌わせた。
12歳と14歳のとき子どもを産み、学校にも行けなくなった娘を、父はゴスペルシンガーとして育んでいった。
アレサにとって、父はもはや家族ではなく、厳しいプロデューサー。
寂しさを感じる暇もなく、今日も明日も、教会で歌った。
10代のアレサ・フランクリンは、各地の教会を回りながら、さまざまなゴスペルシンガーや音楽プロデューサーに出会う。
その都度、父は「あいつはダメだ」「こいつは、信用できる」とジャッジし、アレサに指示した。
18歳で、アレサはニューヨークに移り住む。
そこからの5年間、21枚のシングルと8枚のオリジナルアルバムを発表するが、パッとしない。
シングルチャートも、80位から120位をさまよった。
やがてレコード会社から契約を打ち切られてしまう。
自信をなくす。
自分は歌手として、終わりだ。
絶望感で息もできなくなる。
そのころのアレサは、ジャズやポピュラー路線の歌を歌っていた。
彼女が本来得意とするゴスペルではない。
スタジオにも入ることができなくなっていたアレサに注目したのが、アトランティック・レコードの副社長、ジェリー・ウェクスラーだった。
かつての教会でのレコーディングを聴いた彼は、アレサの真骨頂はゴスペルであることを見抜いていた。
1967年1月の第一弾シングル『I Never Loved A Man』は、いきなりR&Bチャート1位に、7週連続で輝く。
ここからの快進撃は、1968年の『Respect』でグラミー賞をとるまで続いた。
アレサ・フランクリンは、その後も、ヒット曲を連発。
ゴスペルにアレンジされた、サイモンとガーファンクルの『明日に架ける橋』は、当時アパルトヘイトで苦しんでいた南アフリカのひとたちを励まし、教会で賛美歌として歌われるまでになった。
彼女が歌うと、あらゆる歌が彼女の歌になる。
うれしかった。
自分も、多くの差別を経験してきた。
悔しい思いを胸に、涙ながらに教会で歌った日々を思い出す。
そんな自分の歌が、いま、見知らぬ地の教会で歌われている。
自らの苦しみが癒える思いがした。
しかし、1970年代に入り、急に彼女は輝きを失う。
時代に合わせようとするあまり、自分の歌がわからなくなった。
父はかつて言った。
「いいか、アレサ、おまえがどんなに歌がうまく、大成功をおさめても、喝采はやがて消える。拍手すらなくなる。ついにはハレルヤもアーメンも聞こえなくなる。ファンなんてもんは、あっという間にいなくなる」
アレサは、時にアルコールにおぼれた。
体調不良で、自分を見失いそうにもなった。離婚や父の死。
それでも、歌うことに戻る。
自分を支えてくれるのも、自分を苦しめるのも、歌。
でも、そこにしか自分の幸せはない。
どんな逆境でも、彼女は忘れなかった。
教会で歌って、父に褒められたときのことを。
「アレサ、すごいよ、おまえは天才だ!」
あのときの天にも昇る気持ちを胸に、彼女は歌い続けた。
【ON AIR LIST】
Respect / Aretha Franklin
How I Got Over (Live at New Temple Missionary Baptist Church, Los Angeles, January 13, 1972) / Aretha Franklin
I Never Loved A Man (The Way I Love You) / Aretha Franklin
Bridge Over Troubled Water / Aretha Franklin
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