第百二十二話探し続ける
1982年に松田優作も演じたこの作品は、51歳で亡くなった彼女の絶筆と言われています。
飛行機事故で突然この世を去った向田邦子。
彼女の遺品は、かごしま近代文学館に寄贈されました。
寄贈を決めた時、彼女の母はこう言いました。
「鹿児島に、嫁入りさせよう」
保険会社に勤める父の転勤で全国を転々としましたが、向田にとって、小学3年生から小学5年生までの多感な時期を過ごした鹿児島は、特別な場所になりました。
45歳で乳がんを患い、術後の合併症などで右手が思うように動かず、死を覚悟したときも、思い出すのは、鹿児島での日々でした。
「万一、再発して、長く生きられないと判ったら、鹿児島へ帰りたい」
そう、綴りました。
温暖な気候と美味しい地元の食材。父は栄転で支店長。
大きな社宅に住み、給料もあがり、一家の雰囲気もなごやかだったと言います。
このころ、母親が最も笑い上戸だったと回想するほどです。
40年近く経ってから、亡くなる直前に再び訪れたときの思いを、彼女は『鹿児島感傷旅行』というエッセイで、こう書き記しています。
「変わらないのは、ただひとつ、桜島だけであった。形も、色も、大きさも、右肩から吐く煙まで昔のままである。なつかしいような、かなしいような、おかしいような、奇妙なものがこみあげてきた。私は、桜島を母に見せたいと思った」。
直木賞作家にして脚本家だった彼女は、絶えず各地をさまよい、探し続けるひとでした。
その最期も、取材に向かう空の上だった、向田邦子がつかんだ人生のyes!とは?
脚本家で直木賞作家の向田邦子は、1929年11月28日、東京に生まれた。
父は保険会社に勤めていた。典型的な明治の男。
子どもの躾に厳しく、厨房に立つことはない。
母は従順で働き者。いつも白い割烹着を来ていた。
4人兄弟の長女として生まれた邦子は、父の顔色を敏感に察知し、母を手伝い、弟や妹の面倒をみるという役割を担っていた。
さらに父の仕事の都合で転勤が多い。東京、宇都宮、鹿児島、高松。
新しいクラスになじむため、彼女の観察眼はますます長けていく。
勉強がよくできて、文書がうまく、かけっこが速くて、面倒見がいい。
同級生はみな一様に、彼女の印象をそう振り返る。
でも、邦子の心のうちは、いつも穏やかではなかったようだ。
「もっと面白いものはないか、もっと自分にふさわしい場所はないか、もっと、もっと…」
あくなき欲求は、自らの器からあふれだし、自分でも戸惑うほどだったのかもしれない。
目黒の女学校時代、家族が仙台に引っ越したので、ひとり麻布の母方の祖父母の家に下宿する。
アルバイトに明け暮れる。デパートの佃煮売り場、アイスクリーム売り。
稼いだお金は、映画代。そして、仙台にいる弟や妹へのお土産代に消えた。
このときの、父の重圧から放たれてエネルギッシュに動いたときの充実感を、彼女は生涯忘れなかった。
一度、思う存分、自分を解き放ってみること。
そうしないと、見えない自分がある。
動けばぶつかり、転び、何かを学ぶ。
向田邦子は、大学を出てからさまざまな仕事についたけれど、ひとつだけ一貫して大切にしていたものがあった。
それは、言葉。
彼女は、思った。
自分に似合う、自分を引き立てるセーターや口紅を選ぶように、ことばも選んでみたらどうだろう。
ことばのお洒落は、ファッションのように遠目で人を引きつけはしない。
無料で手に入る最高のアクセサリーである。
流行もなく、一生使えるお得な「品」である。
ただし、どこのブティックをのぞいても売ってはいないから、身につけるには努力がいる。
本を読む、流行語を使わない、人真似をしない。
何でもいいから手近なところから始めたらどうだろう。
22歳のとき、大きな転機がやってくる。
教育映画をつくる会社で働いていた彼女は、その冬、手袋をしないで過ごした。
今よりも暖房事情もよくなければ、冬もずっと寒かった。
手袋なしで、ついには風邪をひいてしまう。
なぜ、手袋をしなかったのか。それは気にいったものがなかったから。
もっといいものがあるんじゃないか、もっと自分にふさわしいものがあるんじゃないか、もっと、もっと…。
中途半端なものを買っても、結局、後悔するだけではないか。
そう思って買わなかった。
ある夜、その会社の上司が、忠告した。
「君の今やっていることは、ひょっとしたら手袋だけの問題ではないかもしれないねえ。男ならいい。だが女はいけない。そんなことでは女の幸せを取り逃がすよ」。
向田邦子は、上司に忠告され、自分を変えるなら、今、このときしかないと思い、四谷から自宅まで結論が出るまでとことん歩こうと思った。
名文の誉れ高いエッセイ『手袋をさがす』に書かれたこのエピソードでは、結局、彼女は、そこそこで手をうつのをやめようという結論に至るまでが描かれている。
「ないものねだりの高のぞみが私のイヤな性格なら、とことん、そのイヤなところとつきあってみよう。そう決めたのです。今、ここで妥協をして、手頃な手袋で我慢したところで、結局は気に入らなければはめないのです」。
彼女は、反省することをやめた。
その場その場でお手軽に反省することを禁じた。
よく朝から新聞の就職欄に目を通し、さっそく「編集部員求む」の広告に応募。見事合格した。
映画雑誌の編集をやりながら、ラジオの脚本を書き、フリーランスのライターもやった。
忙しくて目がまわる。
それでも、彼女は探し続けた。
もっと面白いことはないか。もっと、もっと。
探し続けることで見つけた、テレビドラマの脚本家という道。
人気作家になったにもかかわらずまだ探す。
小説を書き、直木賞までもらった。
彼女の生き方を、そういう性格だったからと片づけるのは簡単だ。
自分の悪いところばかりに目がいき、それを直すことばかり考えていると、それだけで人生は終わってしまう。
向田邦子の生き方は、教えてくれる。
自分の枝ぶりを愛しなさい。少々、飛び跳ねていても、曲がっていても、決して、切ってしまわぬように。
自分の枝ぶりが生かせる場所を、探しなさい。
【ON AIR LIST】
Weep For The Boy / Millie Vernon
The Circle Game / Joni Mitchell
人生は夢だらけ / 椎名林檎
Imagine / John Lennon
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