第百九十五話悔しさを信念に変える
彼は、福島県若松市、現在の会津若松市の第九代市長として、上水道の敷設に尽力し、白虎隊の墓がある飯盛山の整備にも力を注ぎました。
いわば、会津若松市の土台を築いた偉人です。
しかし、彼を崇めてやまない、もうひとつの場所があります。松江が陸軍の軍人だった頃、俘虜収容所の所長を勤めた赴任先。徳島県鳴門市です。
鳴門市の坂東俘虜収容所には、千人にも及ぶドイツ人が収容されていました。
松江は、当時ではおよそ考えられないことをやり遂げました。
彼等ドイツ人に人道的な対応をしたのです。
彼はある収容所を見学した際、ひもでつながれ、同じ粗末な服を着せられた俘虜たちを見て、心を痛めました。
「いまは、ただ、このような立場であるが、いつなんどき、その立場が入れ替わるやもしれん。そのとき、どう思うか。常に相手の立場になって考え、己の義に背くようなことはしないこと。それこそ、会津藩の魂である」
彼が俘虜たちに自由を与えた結果、ベートーヴェンの交響曲第九番合唱付き、いわゆる『第九(だいく)』が、日本で初めてフル演奏されるという歴史をつくったのです。
昨年、その演奏会から、ちょうど100年でした。
その記念コンサート。『よみがえる「第九」演奏会』では、ドイツ人と日本人が一緒に『歓喜の歌』を歌いました。
その中には、当時俘虜だったドイツ人のお孫さんもいたのです。
俘虜たちは、松江のことを忘れませんでした。
100年の間、交流は途絶えることなく、続いたのです。
今、もし松江がその演奏会を見たら…。
涙を流し、『歓喜の歌』を歌うひとたちを見たら、どう思うでしょうか。
数々の悔しさを信念に変えた会津の偉人、松江豊寿が人生でつかんだ明日へのyes!とは?
日本で最初の『第九』演奏を鳴門市にもたらした松江豊寿は、1872年、明治5年、会津に生まれた。
戊辰戦争から、4年後。
会津藩は幕末、旧幕府軍につき、新政府軍と戦ったため、賊軍の汚名をきせられる。
会津藩の武士だった松江の父は、北へ送られた。
いわゆる「島流し」。
極寒の場所が、流刑地だった。
飢えと寒さ。
厳しい現実に耐え、父は戻った。
幼少の頃、ときどき、父が豹変することがあった。
夜中にうなされる。
ふだん穏やかな父が、何かにおびえるように、何かから逃げるように、暗闇に泣き叫んだ。
松江は、そんな父が怖かった。
ポツリと、母が言った。
「お父さんはね、地獄から帰ってきたから、仕方ないんだよ」
地獄という響きが、恐ろしい。
「そこは、どんなところなの?」
聞くと、母が答えた。
「ほんとうに恐ろしいのはね、場所でも施設でもない。人間なんだよ。人間はね、つつしみを忘れると、とんでもないケダモノになるんだよ。おまえにはまだ難しいかもしれないけれど、己を律するのは、己しかいない。人生にいちばん大切なのは、義。相手の立場に立てる、信念なんだよ」
うすぼんやりとした灯りに照らされた母の顔は、般若のようだった。
会津藩は、負けたかもしれない。
でも、人間性を辱められるほど、父が自分の人生に負けたわけではない。
父はよくつぶやいた。
「悔しい…悔しい」
松江豊寿は、仙台陸軍地方幼年学校に入校。
20歳のとき、陸軍士官学校に入隊した。
日清・日露戦争に出征。
軍人になる運命を信じて疑わなかった。
赴任先の植民地政策に反対。
しかし、民衆の蜂起を鎮圧する立場にいた。
彼らの声が聴こえるようだった。
「戦争に負けたら、人間ではなくなるのか? 我々に人権はないのか? 悔しい…悔しい」
父の影が重なる。
松江は、昇進を捨て去り、日本に戻った。
伊藤博文は、そんな彼を可愛がる。
自分の側近として重宝するが、松江は、やはり昇進より自らの信念に生きる道を選んだ。
俘虜収容所の所長の任を受け、徳島の鳴門におもむく。
坂東俘虜収容所。
そこには、第一次世界大戦のチンタオで敗れたドイツ兵たちがいた。
初めてみる彼らは、おびえていた。
「ここで、どんな仕打ちを受けるのだろう。生きて、ドイツに帰れるだろうか」
その瞳は青かったけれど、不安げな陰影は、どこか父に似ていた。
松江は言った。
「私の考えは、博愛と人道の精神、武士道の心です。みなさん、どうか心配しないでください。みなさんの悔しさ、少しだけ、理解できると思います。どうか、私のことを信じてください」
松江豊寿は、有言実行。
朝晩の点呼の時以外は、俘虜たちが敷地内で自由にふるまうことを許した。
外出も許可したので、当初、近隣の住民は怖がった。
でも、松江は粘り強く説得。
やがてドイツ人たちは、パン作りや機械修理の技術を住民に教えるようになった。
俘虜の中に、演奏ができるものが多いと見るや、楽器を手配。
当時では考えられないことだが、収容所にクラシックが流れた。
ドイツ人が通訳を通じて、恐縮しつつ提案した。
「私たちにとって、第九は特別な音楽です。みんなで集まって、練習してもいいでしょうか?」
松江は、もちろん許可した。
ある日、こっそりと練習を見に行く。
初めて聴く、第九。
感動した。
異国の音楽であるにも関わらず、そこには、悔しさがあり、信念があった。
夜中にうなだれる父の背中を思い出した。
この音楽をちゃんと演奏できるようにしてあげたい。
心から思った。
松江豊寿は、高邁な思想のもと、行動したのではない。
父の、そして自らの悔しさを信念に変えることで、全うに生きようとしただけだった。
今も鳴門の街には、常に、第九が鳴り響いている。
【ON AIR LIST】
JOYFUL JOYFUL / 尾崎亜美
THIS NIGHT / Billy Joel
EVERYTHING'S GONNA BE ALRIGHT / Sweetbox
交響曲第9番ニ短調作品125(合唱)第4楽章 / ベートーヴェン(作曲)、サイトウ・キネン・オーケストラ、小澤征爾(指揮)
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