第二百三十三話自分だけの道を歩む
同美術館所蔵の藤田の『黙示録』は、彼がカトリックの洗礼を受ける前後に書かれた貴重な作品です。
特に、洗礼後に画かれた『天国と地獄』は圧巻。
仔細(しさい)に描かれる、救済と破壊、平和と殺戮は、見るものを釘づけにします。
『黙示録』は、間違いなく藤田嗣治という稀代の画家の宗教観をひもとく重要な作品群です。
ピカソ、モディリアニ、マチスらと、1920年代のパリに暮らした藤田は、エコール・ド・パリ、唯一の日本人。
独特な感性で賞賛を浴び、時代の寵児になりました。
彼が描く「乳白色の肌」と呼ばれた裸婦像は、西洋画壇にその名をとどめる強烈なインパクトを持っていたのです。
しかし、日本では、異端児。
特に戦争の渦が彼を巻き込み、翻弄します。
第二次世界大戦がはじまると、日本に帰国を余儀なくされましたが、戦後は「戦争協力者」のレッテルを貼られ、日本から逃げるように再びパリに戻り、フランスに帰化。
名前も、レオナール・フジタとします。
しかし今度はフランスからも「亡霊」と呼ばれ、自らのアイデンティティを喪失してしまうのです。
彼は日本を去るとき、「私が日本を捨てるのではない。日本が私を棄てたのである」という言葉を残しています。
それでも藤田は亡くなるまで、日本を愛し、日本人としての誇りを胸に生きていました。
日本から疎まれ、フランスからはじかれても、彼は愚痴や言い訳を口にしませんでした。
それはまるで彼の画法のように、訂正や書き直しをしない、直感を信じた揺るぎない一本の線のようです。
おかっぱ頭に丸メガネ、口ひげの画家、藤田嗣治が人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
孤高の画家、藤田嗣治は、1886年11月27日、東京・牛込に生まれた。
自らの出自を、こんなふうに記している。
「生まれは、東京、江戸川、大曲りのほとり。大曲り生まれのせいか、生来のつむじ曲がり。ただし意地の悪い気持ちではなく、他の人の真似をしたくないだけ」。
藤田家は名門の家柄。
父は森鴎外のあとを継いだ陸軍の名医で、家は裕福だった。
広い屋敷に、厳な門。
末っ子の嗣治は、家族に可愛がられ、守られて育つ。
怖がりで人見知り。
鳥屋の前を通ったとき、七面鳥が鳴いただけで号泣して姉の胸に飛び込んだ。
正月。藤田家には、先祖代々から受け継いだ、鎧兜や刀を飾り付ける習わしがあった。
朝の光に輝く、甲冑(かっちゅう)。
幼心に、綺麗だと思った。
それらを厳粛に飾り付ける父が、誇らしかった。
穏やかでありながら、時に厳しく、医学の知識のみならず、古今東西の古典にも造詣が深い父を、嗣治は心から尊敬した。
それはある年の、夏の一日。
蝉の合唱が響く中、一家総出で蔵の虫干しをした。
外に運び出される、たくさんの蔵書。
嗣治は、その中の一冊に目を奪われる。
葛飾北斎の版画。
美しくて、大胆。ドキドキした。
それが、藤田嗣治が絵に目覚めた瞬間だった。
幼い藤田嗣治には、もうひとつ、忘れられない夏があった。
父の赴任で移り住んだ、熊本。
姉たちと近くの池で水遊びをしていた。
キラキラ光る、水の飛沫。姉たちの笑い声。
まるで天国のような幸せに包まれていた。
「た、たいへんです、おじょうちゃま、ぼっちゃま!」
女中が駆け寄ってくる。顔は真っ青だった。
「お母さまが、お亡くなりになりました」
家に戻ると、白装束の母が寝ていた。
艶やかで、しっとりとした肌。
死んでいるとは思えなかった。
このときの深い喪失感は、藤田の心に永遠に残り続けることになる。
父の転勤で再び東京に戻った藤田は、表面上は、明るいやんちゃな小学生に成長していた。
ある日、図画の先生に呼び出される。
いたずらがバレて、叱られるのだろうと思った。
おそるおそる職員室の戸を開ける。
「まあ、座れ」と先生は言いながら、舶来のドロップをくれた。
「藤田の絵は、いいな、うまい。いや、それだけじゃない。味がある。ドロップは、そのご褒美だ」
初めて先生に褒められた。
有頂天になった。
職員室の窓から、風に舞う桜の花びらが見えた。
藤田嗣治は、小学校を卒業する頃、父にある決断を話そうと思った。
自分は、画家になる。そう決めた。
父は反対するに違いない。
いつか、言われたことがある。
「嗣治は器用だから、内科ではなく、眼科か歯科はどうかな」
なかなか話せないでいるうちに、パリでの万国博覧会に、中学生の藤田の作品が出展されることになった。
もう迷っている時間はない。
でも、大好きな父を落胆させるのは辛かった。
考えた末に、父に手紙を書くことにした。
いかに自分が画家になりたいかを懇々と訴えた。
切手を貼って投函する。
数日後、夕闇迫る座敷で、父が自分の手紙を読んでいるのを見た。
きっと、反対されるだろう。叱られるかもしれない。
父の顔が半分、影で暗くなる。ドキドキした。
手紙を読み終わった父は、静かに手紙を畳み、懐からお金を取り出し、こう言った。
「これで、画材を買いなさい」。
五十円を受け取る手が震えた。
父は、藤田の目をじっと見て、付け加えた。
「ただし、世界でただひとりの画家になりなさい」
東京美術学校に学んだ藤田嗣治は、失望した。
当時の流行にのった自然主義的な作風ばかりがもてはやされていた。
特にパリから戻った黒田清輝(くろだ・せいき)が画壇を席巻。
展覧会の合否を決めていた。
藤田は、黒田に媚びなかった。
ゆえに、落選続き。
まるで挑戦状を叩きつけるように、黒田が嫌った黒い絵の具ばかりを使った。
ついに、27歳のとき、パリに渡る。
同じ異邦人として、自らの独自性に悩んでいたモディリアニと親友になった。
自分だけの絵の世界を手に入れたい。もがく日々。
やがて、日本画の手法を油彩に取り入れることに行き着いた。
絵の具にベビーパウダーを混ぜ、キャンバスも全て自分で作り、ついにあの「乳白色の肌」を描くことに成功する。
自分にしか出せない色を出す。
藤田は、誰にも媚びず、自分を見失わないことで、父との約束を守った。
「世界でただひとりの画家になりなさい」
【ON AIR LIST】
ハワイの島へ / ジョセフィン・ベイカー
弦楽四重奏曲 ヘ長調 / ラヴェル(作曲)、ヌォーヴォ・カルテット
STOMPIN' AT DECCA / THE QUINTET OF HOT CLUB OF FRANCE
PAINTER SONG / Norah Jones
【撮影協力】
山梨県立美術館
https://www.art-museum.pref.yamanashi.jp/
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