第三百六十五話人生に絶望しない
二葉亭四迷(ふたばてい・しめい)。
二葉亭四迷は、ペンネーム。
本名は、長谷川辰之助(はせがわ・たつのすけ)。
ペンネームの由来は、自分に対するダメ出し、「くたばってしまえ」だと言われています。
二葉亭は、小説家、翻訳家、政治家、ジャーナリストなど、さまざまな職にトライしますが、己への厳しさと不運が重なり、どのジャンルでも長続きしません。
自身、成功することはなかったと振り返っていますが、小説家として、当時の文壇やのちの作家たちに、多大な影響を与える作品を残しました。
近代小説の幕開きと評される『浮雲』。
この小説は、未完に終わっていますが、それまでの文学と一線を画する文体で書かれています。
すなわち、言文一致体。
たとえば、『浮雲』のこんな一節。
…文三には昨日お勢が「貴君もお出なさるか」ト尋ねた時、行かぬと答えたら、「ヘーそうですか」ト平気で澄まして落着払ッていたのが面白からぬ。
文三の心持では、成ろう事なら、行けと勧めて貰いたかッた。
それでも尚お強情を張ッて行かなければ、「貴君と御一所でなきゃア私も罷しましょう」とか何とか言て貰いたかッた…
言文一致とは、書き言葉ではなく、話し言葉で綴られる文体。
このまま読んでも、日常会話となんら変わらない話法なのです。
明治時代にあっては、小説とは、基本、文語体。
「へーそうですか」などというセリフが書かれることはありませんでした。
文壇には革命だと思われた挑戦も、二葉亭の中では完全なる失敗作。完成を待たず、筆を折ってしまったのです。
その後は、ロシア文学の学者や新聞の記者など、志をもって臨みますが、ことごとくうまくいきません。
ある程度まで突き進むと、飽きてしまったり、壁にぶち当たり、嫌になってしまうのです。
名前通りの、迷いの多い人生。
しかし、彼はどんなふうに転がっても、この不条理極まりない人生をどこかで笑っていたのです。
「まあ、どう生きようが、しょせん、一回きりの人生だ」
絶えず動き続け、もがき続けた明治の文豪・二葉亭四迷が人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
『浮雲』で近代小説の扉を開いた小説家・二葉亭四迷は、1864年、江戸市ヶ谷、尾張藩の藩邸で生まれた。
父は尾張藩の下級藩士だったが、殿様にひいきにされ、鷹狩のお供をおおせつかっていた。
江戸に詰めることが多く、江戸の御家人化。
夫婦そろって常磐津に興じる。
二葉亭の幼い記憶に、晩酌の際、母が三味線を奏で、父が浄瑠璃を語る姿が刻まれた。
楽しそうな父と母。
花街の遊びを模した江戸の風情が、生活の中にあった。
酔った父は言う。
「人間の一生なんて、何百年何千年もちっとも変わりはしないのさ。食って寝て、また食って寝る。笑って生きなきゃ損するだけだ」
一家がたまに尾張に帰ると、「あいつらはすっかり江戸風を気取るようになった」と揶揄されたが、父は気にしなかった。
やがて、時代は明治維新を迎える。
江戸に常駐する藩士たちの間では、さまざまな噂が飛び交い、特に幕府に近かった尾張藩は、今後の処され方が吉と出るか凶と出るか、深い霧の中にあった。
平和な日々が一夜にして崩れる動乱の空気を、四迷は感じた。
人生は、決して思うようには生きられない。
四迷は、5歳にして学んだ。
幼い二葉亭四迷は、父が大好きだった。
優しくて、面白い。
父の姿が見えないと、不安になって外に探しにいく。
明治維新の混乱の最中では、夕方になっても帰ってこないと、不安は増した。
家族がとめるのも聞かずに、松林の並木道で待つ。
夕暮れが空を赤く染めていき、哀しみに胸が押しつぶされそうになった。
それでも、通りをやってくる父の姿を待ち続けた。
生きるとは、あの夕暮れの時間と同じ。
寄る辺なく、せつなく、哀しい。
でも、だからこそ、父が帰ってきたときの喜びは、計り知れない。
明治維新後、二葉亭一家は、名古屋、島根の松江と移転する。
5歳から10歳の最も多感な時期を、名古屋で過ごしたことは、四迷にとって、のちの人生に大きな影響を与えた。
東京の緊張感から逃れたことで、四迷の心に明るさが宿る。
友だちと「ちゃんばらごっこ」で遊んだかと思うと、突然、口三味線で浄瑠璃をうなった。
豊かな自然がある一方で、名古屋は、教育に熱心な街でもあった。
名古屋藩学校で、英語、フランス語を学び、漢学、儒教の精神に触れる。
東洋の理念と西洋の哲学。
曖昧さを楽しむ心と、合理性。
相反する教えの調和に苦労する。
「矛盾」。それこそが、彼が人生に感じた最初の印象だった。
近所に、いじめっ子が二人いた。
四迷は臆病だったので、その二人に媚びへつらい、愛想笑いを繰り返す。
その反動で、家族には傍若無人にふるまった。
自分の中に棲む、もうひとりの自分とどう折り合いをつけるか。
四迷の心に、作家の火がともった。
二葉亭四迷は、同時代の作家・森鷗外と比較される。
ドイツ語を駆使し、西洋医学を我が物にした、鷗外。
ロシア語を習得し、ロシア文学の翻訳家としても名を成した、四迷。
しかし、決定的な差は、時には冷酷ともいえる合理性を徹底し、文学者と医者という二刀流を貫徹した鷗外に比べ、ロシア語も小説も中途半端。
いつも「自分なんか、くたばってしまえ」という抑うつから逃れられなかった四迷は、時にぶざまで、時にこっけいに見える。
壁にぶつかって、全て嫌になる四迷の脳裏に浮かぶのは、
幼い日に見た、父と母の常磐津。
夜中まで興じる両親の姿は、四迷にこう語りかけていた。
「人間の一生なんて、何百年何千年もちっとも変わりはしないのさ。食って寝て、また食って寝る。笑って生きなきゃ損するだけだ」
ペテルブルグで病にかかるが、帰国せず、そのまま洋行を続けた二葉亭四迷は、ベンガル湾を行く船の上で、46年の生涯を終えた。
彼は迷った、逃げた、そして思い通りにいかない人生を、笑った。
【ON AIR LIST】
そよ風の誘惑 / オリビア・ニュートン・ジョン
夕暮れほたる / 小坂忠
それが答えだ! / ウルフルズ
閉じる