第三百四十話決して諦めない
支倉常長(はせくら・つねなが)。
仙台藩藩主・伊達政宗公の命を受けた常長は、大使として、エスパーニャ、現在のスペインとの貿易を独自に開くため、海を渡りました。
いわゆる「伊達の黒船」、慶長遣欧使節団です。
当時は、満足な地図もなく、海流に乗るだけの船旅は危険極まりないものでした。
それでも伊達政宗公は、どうしてもヨーロッパとの交易を望み、常長はその願いを実現させるべく、およそ7年にも及ぶ航海を果たしたのです。
なぜ、仙台藩にとって、海外との貿易が必要だったか。
徳川家康を滅ぼす討幕のための戦略、という説もありますが、数々の文書や手紙から、これが真実ではないかと継承されている説が存在します。
1611年、慶長16年、12月2日、大きな地震が東北地方を襲いました。
その地震によって、大津波が発生。
「慶長の大津波」は、沿岸部の村々をのみこみ、5000人ともいわれる犠牲者を出しました。
壊滅的となった、仙台藩。
そのとき、伊達政宗公は、海外との貿易で我が藩に富をもたらすことを考えたのです。
「徳川も頼れない、自力で復興するには時間がかかりすぎる。エスパーニャとの貿易は、きっと多大な富を約束してくれるに違いない」
政宗公は、自分の城に天守閣を築くことをやめ、全てのお金を船づくりに注いだといわれています。
では、その大事な使命を誰に託すか…。
支倉常長の実の父は、罪を犯し、死罪になりました。
フツウであれば、常長を登用することはないのかもしれません。
でも、政宗公は、常長の「諦めない心」に賭けてみようと思ったのです。
慶長遣欧使節団を率いた伝説の男・支倉常長が人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
仙台藩伊達家の家臣・支倉常長は、1570年ごろ、山形県米沢の、桓武天皇の流れをくむ家系に生まれた。
7歳のとき、父の兄に子どもがなかったことから、養子に出される。
移り住んだのが、現在の宮城県南西部の柴田郡川崎町。
蔵王連峰のふもとに位置する丘陵地帯で、自然と戯れながら、のびのびと育つ。
野山を駆け回る一方で、ひとの顔色をうかがう、繊細な一面もあった。
幼くして二人の父を持ったこと、物心ついてすぐに見知らぬ土地にひとり置かれたこと、それが常長の心に世の中との齟齬(そご)を植え付けた。
誰かの役に立たなければ、自分がこの世にいる意味など、簡単になくなってしまう。
そんな恐怖にも似た感情が、彼の剣術や心を成長させた。
常長が12歳のころ、織田信長が本能寺で敗れ、5年後に豊臣秀吉が西日本を制覇。戦乱は、激化していく。
伊達家に仕えた常長は、18歳で初陣。
20歳のとき、伊達政宗公の小田原参陣に従った。
5歳年上の政宗公は、常長の情報収集能力に目をつけ、偵察を任せる。
その活躍は素晴らしく、若き主君の心に常長の名前が刻まれた。
一方、常長も伊達政宗という人物の圧倒的な存在感に呑み込まれる。
「このお方はきっと、天下をとるに違いない」
常長の前に広がる大海原に、日の光がひとすじの航路をつくった。
支倉常長の活躍は目覚ましかった。
伊達政宗公の使いのものとして、戦場にはなくてはならない存在。
特に、秀吉の朝鮮出兵の際の従軍では、特別な任務を遂行する20人に選ばれた。
常長の特性に、細やかで冷静な観察眼があったが、最も主君の信頼を得ていたのは、「諦めない心」だった。
どんなに戦局が不利でも、決して後ろを振りかえったり、後悔したりしない。
前を向き、次の手を考えた。
政宗公は、常長を手厚く扱い、領地を与えた。
すべては、順調だった。
「ようやく、自分の居場所が見つかった」
喜んでいた矢先、思わぬ落とし穴があった。
実の父が、領地争いの件で咎めに会い、切腹を余儀なくされた。
一族に罪びとがいれば、藩を追われることは必至だった。
息子である常長は、命こそ免れたが、追放。
目の前は、真っ暗になった。
支倉常長が、40歳を過ぎた頃、政宗公から呼び出される。
何事か…いよいよ命をとられる日がきたのか…。
覚悟して城に向かうと、政宗公は眼下に広がる太平洋を眺めながら言った。
「この仙台の地が、いとおしい。豊かな大地、海、ひとびと。必ずや、災害から立ち直ってみせる。
だが、そのためには、どうしても超えなくてはならぬ試練があるんだ、常長」
支倉常長は、思った。
海を渡り、異国との貿易をはかる。
政宗公は本気で考えていらっしゃるのだろうか。
もしかしたら、私を船に乗せるのは、ていのいい厄介払い。
海の上で果てることを想定した、死罰ではないのか。
しかし、仙台の町を見下ろしながら、涙を流す政宗公を見て、思いを新たにした。
たとえ、そうだとしても、いいではないか。
ひとの心は、考えてもわからない。
ならば、己を生かす道のみを貫こう。
私は、政宗公が好きだ。
心から尊敬している。
その方の特命に命を賭けるのは、幸せなこと。
「常長」
「はい」
「必ず、帰ってこい。そうして、富をこの地にもたらしてくれ」
支倉常長は、太平洋、大西洋を渡り、メキシコ、キューバを経て、スペインに上陸。
国王フェリペ3世に謁見、そこで洗礼を受けた。
さらにイタリア・ローマに渡り、ローマ教皇パウロ5世に会うことが許された。
奇跡ともいえる偉業だった。
しかし、日本は鎖国政策やキリスト教弾圧を強化。
国交を許されることはなかった。
7年ぶりに帰郷した常長の眼に、復興を遂げつつある東北の姿が映った。
彼の「諦めない心」は、人々に勇気と希望を与え、現在もその功績は継承されている。
【ON AIR LIST】
航海 / THE BACK HORN
BALAJU / SON DE MADERA
最も愛らしい顔 / レオナルド・メルデルト・フィアメンゴ(作曲)、パウル・ファン・ネーヴェル(指揮)、ウエルガス・アンサンブル
ナォン・ヴォウ・デイシャール~させてたまるか / カエターノ・ヴェローゾ
★今回の撮影は、宮城県慶長使節船ミュージアム(サン・ファン館)様にご協力いただきました。ありがとうございました。
宮城県慶長使節船ミュージアム(サン・ファン館)
https://www.santjuan.or.jp/
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