第二百二十二話見上げればそこに星はある
九ちゃんの愛称で親しまれた唯一無二の天才歌手は、『見上げてごらん夜の星を』『明日があるさ』など、数々のヒット曲を世に送り出しました。
特に『上を向いて歩こう』は、『SUKIYAKI』という英語タイトルで、1963年6月13日、全米チャートで1位を獲得。
その後、3週間首位を守り続けたのです。
海を渡ってもなお、愛され続けた彼の歌声は、独特の歌い方でさらに哀愁と郷愁の一石を、心の湖に投じました。
43歳で亡くなった彼にとって、笠間市は忘れられない思い出の地でした。
結婚式も笠間稲荷神社であげました。
2歳半からのおよそ4年間。母の実家があった笠間に疎開。
その木々に囲まれた赤い屋根の家は、今も笠間市のひとたちが大切に守り続けています。
幼い坂本は、母の膝の上で、夜空を見上げます。
あたりは、真っ暗。
ふと、坂本が言いました。
「かあちゃん、お星さまってきれいだね」
坂本九にとって、星は、母のぬくもりとともに記憶に刻みこまれたのです。
母の言葉は、いつも彼に生きる目標を与え、彼の人生の指針を示してくれました。
坂本は、特に母の最期の言葉を忘れませんでした。
母は言いました。
「いいかい、寂しいときは、自分よりもっと寂しいひとのために働きなさい」
その言葉を胸に、彼はひととのつきあいを見直していきます。
忙しい合間を縫って、福祉にも奔走。
小児麻痺の子どもたちのためにチャリティーショーを企画。
さらに耳の不自由な子どもたちに笑顔を取り戻してほしいと、手話の普及にも努めました。
彼は知ってほしかったのです。
どんなときも、上を見上げさえすれば、そこにちゃんと星が輝いていることを。
昭和の大スター、坂本九が人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
坂本九は、1941年12月10日、神奈川県川崎市に生まれた。
この日は、第二次世界大戦のマレー沖海戦が勃発した日でもあった。
戦時下、坂本は、母の実家がある茨城県笠間市に疎開。
自然豊かな山里で、幼少期を過ごす。
この笠間での体験が、後の彼の人生を支え、進むべき星を見せてくれることになる。
疎開先の家の近くに弁財天の祠(ほこら)があった。
そこに、ある家族が棲みついていた。
空襲で住むところを失い、着の身着のままで体を寄せ合う家族。
目が不自由な夫婦と5歳くらいの男の子の3人だった。
近所のひとたちは、彼等に衣服や食事を運んだ。
ある日、坂本たち家族の前を、5歳くらいの男の子が目の不自由な父の手をひいて通り過ぎた。
泥だらけの男の子は、坂本たちに気がつくと、一度恥ずかしそうにうつむいたあとニッコリ笑った。
その笑顔は、見ているこちらを照らすくらい明るかった。
幼い坂本の背後で、母が言った。
「あの子は、えらいね。あの子は…いい子だね」
そのときの母の声を、坂本九は生涯忘れなかった。
何度も何度も思い出した。
その家族はやがてどこかにいなくなってしまったけれど、男の子の笑顔は坂本の心に残った。母の言葉と共に。
「あの子は、えらいね。あの子は…いい子だね」
坂本九の母は、息子が3歳のとき、その特異な体質に気がついた。空腹を訴えた坂本は、突然倒れた。
意識を失っている。
フツウの子どもなら、「お腹がすいたよう~」とごねるのが常だが、坂本は違った。
お腹がすくと、突然倒れてしまう。
母は思った。
「この子は、長く生きられないかもしれない」
戦時中。
食糧がないときも、空腹で泣く兄や姉を待たせ、まず末っ子の坂本に食べさせた。
ひとりで満腹になって寝てしまう弟に、納得できないという兄弟たち。
ちゃぶ台を囲んで、母は話した。
「あのね、この子は長く生きられないかもしれないの。だから、みんなで頑張って守ってあげましょう、うんと可愛がってあげましょう」
すやすや眠る坂本の寝顔を見て、兄弟たちは、うん、とうなずいた。
以来、幼い坂本九は家族の中心になった。
兄たちはときどき、どうしておまえだけが、と思うこともあったが、幼い弟がニッコリ笑う顔を見ると、全て忘れた。
「この笑顔のためだったら、仕方ないや」
坂本九の笑顔には、魔法があった。
坂本九の母は、彼が仕事を休むことを嫌がった。
「おまえを待ってくれているひとがいるかぎり、休むなんて考えちゃいけないよ」
だから、母が肺がんで余命宣告を受け、面会謝絶になったときも、病室には入らず階段の踊り場で毛布をかぶって眠った。
京都市民会館でのリサイタル直前、母の訃報が届く。
「おふくろ、しっかりやるからね」
そう思い、ステージに立つ。
思えば、母に言ってほしかった。
「あの子、えらいね、あの子、いい子だね」
その言葉とともに、必ず、笠間で見た満天の星空を思い出した。
どんなときも、見上げればそこに星はある。
京都でのリサイタル。
『ヨイトマケの唄』は、歌い切った。
でも、『上を向いて歩こう』は、涙をこらえることができなくなった。
この歌がゴールデン・レコード賞を受賞したとき、パーティー会場のいちばん隅で母が泣いていた。
声を殺して、泣いていた。
その背中を思い出した。
涙を流しながら、上を向いた。
上を向いて、歌った。
うまく歌えなくても、会場のお客さんが大きな拍手をくれた。
母の臨終には間に合わなかったけれど、遠く、声が聴こえた。
「いいかい、寂しいときは、自分よりもっと寂しいひとのために働きなさい」
【ON AIR LIST】
見上げてごらん夜の星を / 坂本九
夕焼けの空 / 坂本九
ステキなタイミング / 坂本九
上を向いて歩こう / 坂本九
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