第七十五話一秒がいとおしい
港、赤レンガ、異国情緒、夜景、五稜郭。
本州に通じる北海道の玄関口として、さまざまな文化や芸術が花開きました。
函館は、横浜、長崎とともに、1859年に日本初の国際貿易港として栄え、そこで最初に営業倉庫を開業したのが、金森レンガ倉庫です。
バカラコレクションもあるレンガ倉庫の一角にあるのが、函館市文学館。
その2階フロアーを占めるのが、歌人、石川啄木の常設展示です。
啄木の直筆原稿は、日本全国からそれを見るためだけに訪れる人もいるくらい、今も人気ですが、実は、彼が函館に滞在したのは、たったの132日間でした。
それでも、啄木の妻、節子は、彼の死後、遺骨を函館の立待岬に葬りました。
啄木一族の墓がある岬からは、函館の港が一望できます。
函館は啄木にとって、生涯で唯一、幸せで穏やかな日々を送ることができた場所だったのです。
彼が詠んだ歌が、記念碑に刻まれています。
『砂山の砂に腹這い 初恋のいたみを遠く おもひ出づる日』
『潮かをる 北の浜辺の砂山の かの浜薔薇よ 今年も咲けるや』
『函館の青柳町こそかなしけれ 友の恋歌 矢車の花』
作家 井上ひさしは、石川啄木を「嘘つき、甘ちゃん、借金王、生活破綻者」などと語りつつ、「日本史の上で五指に入る日本語の使い手」と称賛しています。
ふるさとを追われ、流れ着いた函館で、歌人、石川啄木が見つけたものは何だったのでしょうか?
26歳で亡くなった彼が、人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
歌人、石川啄木は、1886年、岩手県日戸村に生まれた。
父は寺の住職だった。
父はもともと農家の息子だったが、寺に預けられ、そこで茶道や和歌を習い、文化や芸術に触れた。
その才覚が啄木に受け継がれることになる。
啄木は、生まれつき体が弱かった。
痩せて小さく、いつも泣いていた。
兄弟は三人、姉 トラに、妹 光子、そして啄木。
たったひとりの男の子は大切にされた。
両親は、彼の健康をいつも祈り、薬を欠かさなかった。
特に母親は溺愛。姉の嫉妬をかった。
「母さんは弟ばかり可愛がる。真夜中に何か食べたいと泣き出せば、わざわざ面倒な手間をかけて、お茶餅をつくる。せっかくつくった餅も、ひとくちも食べずにまた愚図ると、よしよしとなだめる。放っておけばいいのに」。
父も何か道具を作っては、彼だけに与えた。
こうした環境は、啄木のわがままを助長させ、いたずらっ子にしてしまう。
ただ、もしかしたら、彼の中にあったのかもしれない。
なぜ、こんなにも大事にされるのか。
それはきっと自分が長く生きられないからではないか。
脆弱な自分の命の炎。
彼は瞬間瞬間に生きることを選ぶようになる。
好きなことは、とことんやる。
負けたくない相手には、絶対に勝つ。
ひとより蝋燭の長さが短くても、その炎を強くすることはできるはずだ。
石川啄木は、小学校に入ると勉学に励んだ。
同じクラスに、2歳年上の工藤という生徒がいた。
成績は彼がいつもトップ。どうしてもイチバンになれない。
猛勉強した。彼に負けるのは、嫌だ。
尋常小学校最後の年。
ついに啄木は首席を取る。彼は村の神童になった。
工藤は家が貧しかったので、小学校を出ると進学せず、家業を継いだ。
その無念さを啄木は知っていただろうか。
彼はひたすら前へ前へ進むことだけ考えた。
盛岡の高等小学校に入学。10歳の啄木は親元を離れ寄宿生活をおくることになった。
背は相変わらず低く、笑うと糸切り歯が見えた。右頬にはえくぼができる。
愛くるしい少年だった。
学業は優秀な成績を残しつつ、文学に傾倒していく。
中学に入ったとき、のちに妻になる節子に出会う。
文学と恋愛。啄木は、我慢を知らない。のめりこむ。
学業はおろそかになり、成績は急降下。
それでも歌を詠み続けた。
『わが恋を はじめて友にうち明けし 夜のことなど思ひ出づる日』
なぜ学校に行くのかがわからなくなった。
文学と恋愛は、人生を教えてくれる。
今、一秒を生きているひりひりした感覚を与えてくれる。
文学で身を立てたい。
彼はもう少しで卒業というのに、中学を辞め、東京に上京した。
石川啄木を常に苦しめていたのが、病魔だった。
生まれつき弱い体は治ることもなく、いつもここぞというときに、彼を奈落に突き落とし、ふるさとに帰ることを余儀なくさせた。
いつしか一家の大黒柱になっていた啄木は、代用教員として、働くようになっていた。
歌も詠みたい、小説も書きたい。それでも稼がねばならぬ。
ただ、働いて稼ぐことは彼に新しい手ごたえを用意していた。
彼は、こんな歌を詠んだ。
「こころよき疲れなるかな 息もつかず 仕事をしたる後の疲れ」。
しかし、運命は彼をじっと落ち着かせてはくれない。
ふるさとでの暮らしも長くは続かず、明治40年5月5日。
22歳の啄木は、心機一転、北の大地を目指す。
追われるように、逃げるように流れ着いた先は、北海道、函館。
当時函館は、東京以北で最も人口の多い、近代化の進んだ街と言われていた。
ハイカラな空気。文化的な雰囲気。
そしてそこには文学仲間がいた。
みんなで大森浜の海岸を歩く。
遥か向こうに見える、函館山、立待岬。海鳥の鳴き声、青い海。
大きな砂山も、歌の題材になった。
代用教員の職を得て、のちに函館日日新聞の記者になる。
家族、妹、母を呼び寄せ、一家五人の暮らしが始まった。
「ああ、僕は今、ようやく書くことと、生活が追い付いた気がする。ここなら書ける、生活をしながら、書ける」
そう思った矢先、8月25日夜10時半。函館が炎に包まれた。
4時間にもわたって燃え続け、街の3分の2は焼失した。
新聞社も、書いたばかりの原稿も焼けてしまった。
函館も、彼を留めることができなかった。
しかし、彼はここで多くの歌を詠み、多くの幸せな時間を過ごした。
彼はのちに語った。
「歌はいいです。短いからいいんです。一生に二度とない一秒を留めるには、歌がちょうどいいんです。僕は命を愛するから歌をつくるんです」。
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Frozen River / Everything But The Girl
ホームにて / 中島みゆき
Find The River / R.E.M.
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