第百十七話子どもの心を取り戻す
紅玉リンゴの産地として知られるこの町に生まれた、絵本作家がいます。
馬場のぼる。
彼の大人気シリーズ『11ぴきのねこ』は、今年、誕生50周年を迎えました。
とらねこ大将と10ぴきののらねこたちの愉快な冒険物語は、世代を超え、多くのひとに愛され続けています。
三戸町の文化福祉複合施設、通称 アップルドームには、『ほのぼの館』という馬場のぼるの記念館があります。
中に入ると、壁に画かれた11ぴきのねこがお出迎え。
ぬいぐるみ、絵本や原画が、訪れるひとの心をふわっと包み込んでくれます。
館内を見渡せば、大人も子どもも、みんな笑顔。
微笑む『ねこ』たちと、同じ表情をしています。
作者・馬場のぼるのトレードマークは、口ひげとチューリップハット。
親友の手塚治虫は、自分の作品に、馬場と同じ風貌を持ったキャラクターを何度も登場させました。
やはり親交の深かった『アンパンマン』で知られるやなせたかしは、馬場をこう評しました。
「馬場くんは、本当に絵の上手な人だったなあ。全く苦労してないような絵なんですよね。さらさらっと描くから」。
でも、馬場のぼるは作品を生むために、自分を追い込み、七転八倒の苦しみを味わいました。
6巻でシリーズを完結させるのに、29年もの歳月をかけたのです。
彼が心を砕いたのは、どうやったら子どもたちを楽しませることができるか、ではありませんでした。
彼が最もこだわったのは、まず自分が楽しむこと、そしてその楽しさがどうやったら伝わるかを必死で考えることでした。
彼の作品は、読むひとを笑顔にしますが、決してハートウォーミングなだけではありません。
勧善懲悪もなければ、教訓もない。
従来の絵本の常識をひっくりかえす作品でした。
誰も通ったことのない道を独自の観察眼で切り開いた絵本作家、馬場のぼるが人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
漫画家・絵本作家の馬場のぼるは、1927年、青森県三戸町に生まれた。3人姉弟の末っ子。
もともと馬場家は東京だったが、関東大震災を機に、父のふるさと、三戸に移り住んだ。
町の北はずれに豊かに繁った松並木があった。
300メートルにも及ぶ、緑のトンネル。
その中ほどに馬場家があり、風の強い日は、松の木がゴウゴウと揺れた。
その不気味で激しいざわめきを、馬場のぼるは覚えている。
「この世には、自分たちの力ではどうしようもない何かが存在している」幼心に感じた。
嵐のあとには、道一面に松の葉が落ちていた。赤茶色の絨毯。
その枯れた葉っぱを近所の子どもたちと拾い集め、焚き火した。
モウモウと立ち上る、紫色の煙。パチパチはぜる音。サツマイモを焼く匂い。
そんな自然の中の一瞬一瞬を、馬場は心に刻んだ。
幼い頃、ふるさと三戸で観た景色、感じた風は、生涯彼の宝物になった。
馬場の父は、近所の製材所に勤めていた。
あまりしゃべらない。質素倹約を大事にした。
朝、弁当を持って出かけ、夕飯前には帰る。毎日その繰り返し。
傍目にも、決して面白い人物には思えなかった。
でもなぜか、天狗のお面をひと筆でサカサマに画くという特技を持っていた。
ちゃぶ台の上で、唯一、父が子どもたちを笑わせた落書き。
その絵こそが、のぼるが漫画に興味を持つきっかけになった。
今年、誕生50周年を迎える大人気絵本『11ぴきのねこ』の作者、馬場のぼるは、幼いころから絵が好きだった。
3歳のとき、家の壁一面に落書きした。
そりにのった、カラス、キツネ、猫に犬たち。親は叱らなかった。
見かねた姉が、「母さん、のぼるに紙を買ってあげてよ」と進言して、ようやくのぼるは紙に絵を画くようになった。
小学生になっても、のぼるは絵を画いた。
学校では、休み時間になると一目散に黒板に駆け寄る。
さまざまな色のチョークで描く桃太郎。
クラスの生徒たちは、大人になっても、その絵の鮮やかさ、生き生きとしたタッチを覚えているという。
教科書の落書きもすごかった。学校の先生の似顔絵を画いた。
ある日、先生が授業中に似顔絵を画いているのを見つけ、教科書を没収。
クラスメートは、「きっと、ものすごく怒られるんだろうな」と思った。
なかなか先生が帰ってこないので、こっそり職員室に見にいくと、先生たちが馬場の絵を見てゲラゲラ笑っていた。
それを見て、彼は思った。
「絵っていうのは、すごいな。ひとをあんなに笑わせる力があるんだ」
彼はいつしか、漫画を画くことを一生の仕事にしたいと思うようになった。
馬場のぼるが漫画家を目指して青森を出て、ちょうど1年が経とうとしていた頃、運命的な出会いがあった。
生涯の同士、親友になる、手塚治虫にめぐり会う。
「東京児童漫画会」のメンバーとして知り合うが、手塚はあっという間に時代の寵児(ちょうじ)になっていく。
馬場は、手塚の仕事ぶりに驚嘆した。
どこでも画く。
東海道線の中、ゴトゴト揺れる車中でも、みんなで旅行をしても、ひとり寝床でうつぶせになって画く。
壮大なストーリー。綿密な構成。斬新な構図。どれをとってもケタ違いだった。
一方の手塚も、馬場のぼるの仕事を、そして人柄を尊敬していた。
漫画界で何かコトが起こると、近くのものにまず「馬場ちゃんは、どう言ってるの?」と尋ね、いつも「馬場ちゃんはどうしてる?」と気遣った。
作風は、対極。
馬場の絵は、シンプルでのん気な雰囲気。
日本的な風土や土着の匂いがした。
「馬場ちゃんの柔らかい線は、すごいよ。あんな線、僕には画けない」
手塚は、周囲のひとにそう言ったという。
馬場が、ある漫画を連載中に編集者とぶつかったとき、手塚は馬場に言った。
「いいか、連載をやめちゃダメだぞ。キミはぜったい続けなくちゃいけない」
一方で、編集者のもとに出向き、頭を下げてこう言った。
「今回のことで、馬場の漫画を打ちきりにしないでください、お願いします!」
馬場のぼるが、絵本をつくりませんか?と言われたとき、彼は思った。
子どもに説教したり、教訓を言うようなものだけは画きたくない。
自分は子どもの頃、たくさん羽目をはずしてきた。
もちろん、守らなくてはいけないルールはある。
でも、あまりに約束事にしばられると、人間は窮屈だ。
毎日、笑顔になれない。
『11ぴきのねこ』たちは、お腹がすいて、大きな魚を獲りに行く。
やがてみつけた怪魚。家に持ち帰るまで食べちゃダメだと思いながら、結局、途中で全部たいらげてしまう。
ダメだと思ってもしてしまう、そんな人間の弱さを、彼はそのまま画いた。
絵本を画くために、彼は幼い頃の心に寄り添った。
かつて真っ白な壁に落書きしていたときの心に。
馬場のぼるのねこたちは、教えてくれる。
「いいんだよ、そのままでいいんだよ。キミはキミの中の子どもの心を大切にしてください」
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