第百六十八話ただ、遊べ!
SM小説、官能小説。
作家の名前は、団鬼六。
代表作『花と蛇』シリーズは、何度も映画化され、彼の名を不動のものにしました。
スキャンダルな空気に包まれているのは、書いた作品だけではありません。
団鬼六の人生そのものが、まるで長編小説のように波乱万丈で天衣無縫。
自身が「私は快楽主義だ」と明言したことでもわかるとおり、好きなことにのめり込み、借金をつくり、馬車馬のように働き、また借金をつくりの繰り返しでした。
いま流行りのリスクマネージメントとは、無縁の世界。
職業も、中学の教師、バーの経営者、ピンク映画の脚本家など転々とし、将棋はアマ六段の腕前。
酒、たばこ、女性。好きなものは手放さない。とことん、のめりこむ。
のめりこんでいるから、人生の底が見えてくる。
団はこんなふうに言っています。
「人間は不本意に生き、不本意に死んでいくものだ。だからせめて快楽くらい求めてもいいと思っている」
晩年、食道がんを告知され、医者から手術をうながされたときも、あっさり断りました。
娘さんから「管だらけになっても、パパには生きてほしい」と訴えられても、こう言ったそうです。
「俺の生きたいように生きさせてくれ。ほんまにありがとう。えらい、すんません」
その潔さは、一生懸命生きた、精一杯遊んだ、証なのかもしれません。
「ただ遊べ 帰らぬ道は誰も同じ」
破天荒に生き抜いた稀代の作家・団鬼六が、人生でつかんだ明日へのyes!とは?
官能小説の第一人者・団鬼六は、1931年、滋賀県彦根市に生まれた。
家は、祖父が興した映画館経営をしていた。
父が相場に失敗。多額の借金を背負い、映画館を手放す。
一家は、大阪に移った。
幼い団は、たまたま友人に借りた江戸川乱歩の短編集を読んで驚いた。
「なんだ、この淫らで美しく、妖しくてはかない世界は!」
たちまちのめり込み、古本屋に通う。
「想像するのは自由なんだ、どんなことを考えてもいいんだ」
その衝撃は、彼の心にしっかりと刻まれた。
父に召集令状がきて、中学生だった団も尼崎の軍需工場に勤労動員としてかり出された。
毎日、B29による空襲警報を聴いた。
朝夕、玄米の粥。とにかく空腹だった。
軍需工場でやることといえば、防空壕を掘ること。
あけてもくれても、泥だらけになって穴を掘り続ける。
あんなに嫌いだった中学校の教室が恋しく思えた。
短い昼飯休憩の時間。
倉庫の裏で安物の折り畳みの盤を持ち出して、同級生と将棋をさすのが唯一の楽しみだった。
あるとき、彼らの周りに捕虜のアメリカ人たちがやってきた。
そこで団は、生涯忘れられない体験をすることになる。
死を身近に感じながら、真剣に遊ぶということ。
ひとは、いかに遊ぶかで人生の意味を知る。
作家・団鬼六と同級生が将棋をさすのを、アメリカ人たちが見物した。
彼ら若い捕虜は、強制労働を強いられ、食事は一日にオットセイの肉が入ったスープ一皿だけ。
みな痩せこけていた。
ただ肌は異様に白く、金色の産毛が朝日に光っていた。
団が驚いたのは、彼らがいつも陽気で笑顔だったこと。
ミッションスクールに通っていた団と同級生は、少しだけ英語が話せた。
敵国語だったが、休憩時間は捕虜と話しても大目にみてもらえた。
「おまえら何をしているんだ?」と彼らが聞くので、「これは、ジャパニーズ・チェスだ」と団は答えた。
来る日も来る日も、熱心に将棋の周りに集まってくるので、団と同級生は、捕虜たちに将棋を教えた。
特にひょろっと背の高いブラウンという男は、チェスの心得があるらしく、あっという間に上達した。
いつしか倉庫裏は、中学生と捕虜のアメリカ人のサロンになった。
団は、英語を教わった。
彼らは将棋を教わるのが楽しくて仕方ないという表情をする。
団と同級生は、自分たちに出される昼飯のコッペパンを密かにポケットにしのばせ、彼らにあげた。
そのコッペパンをもらったときの笑顔を見ると、団は幸せな気持ちになった。
将棋盤に向き合いながら、団と捕虜たちは、一喜一憂して遊びを楽しんだ。
やがて、戦火は厳しさを増し、尼崎の軍需工場も空襲で狙われるという噂が流れた。
中学生たちは、山林の開墾作業に回されることになる。
別れの時がきた。
団たちは、豆かすを一袋盗み、それを捕虜たちに渡した。
さらに団は、折り畳みの将棋盤と駒を彼らに贈った。
ブラウンは、目に涙をためて「サンキュー」を繰り返した。
尼崎の軍需工場が空襲で全滅したと聞かされたのは、団たちが山に入って10日目のことだった。
団鬼六たち中学生は、山での開墾作業を始めてから2ヶ月後、終戦の知らせを受けた。
ずっと、尼崎の軍需工場のことが気になっていた。
「あのアメリカ人たちは、どうしただろう…」
同級生と訪ねてみた。
愕然とした。そこにあるのは、無残な廃墟。
レンガも鉄筋コンクリートも粉々に砕け、一緒に将棋をさした倉庫も吹き飛んでいた。
聞けば、捕虜は全員亡くなったという。
瓦礫の中を、白い蝶々がひらひら飛んでいた。
まるで団を待っているようだった。
同級生が、突然泣きだした。
「どうした?」と歩み寄ると、レンガの破片の下に、折り畳みの将棋盤があった。
それは、いますぐ将棋がさせそうなほど無傷で…。
団も、泣いた。
彼らと一緒に遊んだ日々を想った。
ブラウンの笑顔、最後の涙。
中学生の団は思った。
死ぬということは、すぐそこにある。
だから、全力で遊ぶ。
やがて誰にも訪れる死に抗うのは、真剣に遊んだ記憶なのかもしれない。
時を忘れて笑顔になった、子どもの時間なのかもしれない。
団鬼六は、将棋盤の真っ白な美しさを生涯、忘れなかった。
【ON AIR LIST】
It Don't Mean A Thing (If It Ain't Got That Swing) / Tony Bennett & Lady Gaga
僕のリズムを聞いとくれ Oye Como Va / Santana
When You're Smiling / Louis Armstrong
男の滑走路 / Crazy Ken Band
閉じる