第三百六十一話汝の立つ所を深く掘れ
伊波普猷(いは・ふゆう)。
彼は、言語・文学・歴史・民俗など、あらゆる角度から、自分のふるさと、沖縄を研究し、沖縄のひとたちに、「誇りを持とう」と呼びかけました。
言語学を学んでいた東京帝国大学時代に発表した「浦添考」は、沖縄の浦添が、首里以前に都であったことを始めて説いた優れた論文として、注目されました。
国の指定史跡に、一個人の墓が建立されるのは珍しいことですが、浦添城跡には、伊波の墓があります。
そこには、彼の功績がこんなふうに刻まれています。
「帰郷して県立図書館長となった伊波は、歴史研究のかたわら、琉球処分後の沖縄差別で自信を失った県民に自信と誇りを回復する啓蒙活動を行います。
大正15年に再び上京しますが、戦争で米軍に占領された沖縄の行く末を案じつつ、東京で亡くなりました。
その後、伊波の研究にゆかりの深い浦添の地に墓が作られ、永遠の深い眠りについています」
伊波の多大な功績のひとつに、『おもろさうし』という琉球の古き歌を集めた歌謡集の研究があります。
それは、『万葉集』にも『古事記』にも通じる、琉球文化をひもとく、大切なテキストでした。
彼は、琉球の言葉を守りぬく決意を胸に、亡くなる寸前まで、沖縄研究に一生を捧げたのです。
あるとき、「先生は、どうしてそこまで沖縄のことに集中できるのですか?」と聞かれ、彼はこう答えたという。
「じゃあ、逆に尋ねるが、どうしてみんな、自分の出自たるふるさとを研究しないのかね? 自分が生まれ育った場所を愛せないひとが、どこか他の土地を愛せるとは、私は思えない」
伊波は、ドイツの哲学者・ニーチェのこんな言葉を、座右の銘にしていました。
「汝の立つ所を深く掘れ 其処には泉あり」
沖縄を愛し、沖縄人としての誇りを失わなかった賢人、伊波普猷が人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
沖縄学の父と言われる、民俗学者・伊波普猷は、1876年、明治9年、琉球藩那覇西村、現在の沖縄県那覇市に生まれた。
当時の沖縄は、激動の転換期。
1868年に江戸幕府が倒れ、明治維新によって、琉球王国は、中国大陸を収めていた清の国から、日本のみに帰属すべく、琉球藩となった。
さらに、伊波が3歳になった1879年、処分官の松田道之(まつだ・みちゆき)は、軍隊と警官をともない、首里城内で、琉球藩を廃し、沖縄県を設置することを決めた。
いわゆる、琉球処分である。
伊波に、その頃の記憶はないが、時代に翻弄される沖縄という風土の空気を感じていた。
伊波にとって、最初の記憶は、厳格な祖父だった。
祖父は、まだ60になるかならぬかで、すでに髪も髭も真っ白。
仙人のように見えた。
伊波が母の胎内にいるときから、食べ物などに気を配り、胎教にうるさかった。
生まれてからも、乳母を雇うのに十数名を面接。
身元、体質など、事細かにチェックした。
何不自由ない暮らしの中、伊波は泣き虫だった。
彼が泣くと、乳母が抱え、祖母が団扇であおぎ、父は太鼓を叩き、母は人形であやし、家中の者が行列をなして、町内を一周した。
家に帰ると、祖父が笑顔で迎えてくれた。
伊波は、祖父の笑顔が大好きだった。
伊波普猷にとって、祖父の存在は特別だった。
伊波は、ものを食べない子どもだった。
乳母が出しても、母が出しても、口をつけない。
挙句の果てには、ちゃぶ台をひっくり返した。
そんな孫の様子を見て、祖父は、作戦を講じる。
伊波の友だちを家に招き、ご馳走を前に、競争させた。
「さあさあ、この中で誰がいちばんたくさん食べられるか、一等賞には、私が褒美をしんぜよう」
伊波は、夢中になって食べた。
家族の者は、ほっと胸をなでおろした。
祖父は、伊波と子どものように一緒に遊んだ。
竹馬に乗って、転んでも、笑っていた。
伊波は、祖父が大好きで大好きで、いつもついて歩いた。
だからこそ、琉球処分を受けたときの祖父の落胆ぶりは、よく覚えていた。
自分が愛した琉球の行く末が気になる。
孫のこれからは、どうなるのか。
気に病んで、やがて病気になった。
半身不随。
やがて、祖父はしゃべることもできなくなり、この世を去った。
祖国を踏みにじられることが、どれくらい人の心を壊すのか、幼い伊波は、我が身に刻んだ。
伊波普猷が、5歳のとき、最愛の祖父が亡くなる。
あとを追うように、祖母も他界。
父は、酒に浸るようになり、母も、そんな父を持て余した。
家の中は、さびしく、火が消えたように暗くなった。
母は、我が子をこのままここに置くのはよくないと感じ、積極的に、本土に出るように教育の機会を与えた。
子どもながらに殺伐とした家の空気を感じた伊波は、勉学に励んだ。
やがて、俯瞰して、我が祖国を見られる青年に成長していった。
ただ、祖父の無念だけは、終生、心から離れなかった。
どんなときも、自分の味方でいてくれた祖父。
笑顔の祖父…。
もしかしたら、伊波の琉球文化の研究の根底には、祖父への愛があるのかもしれない。
浦添城跡近くにある伊波普猷の墓。
顕彰碑には、伊波の友人だった、東恩納寛惇(ひがしおんな・かんじゅん)の言葉が刻まれている。
「彼ほど沖縄を識った人はいない。
彼ほど沖縄を愛した人はいない。
彼ほど沖縄を憂えた人はいない。
彼は識った為に愛し、愛したために憂えた。
彼は学者であり愛郷者であり予言者でもあった」
伊波普猷は亡くなる寸前まで、沖縄の行く末を憂え、祖父の思いを守り続けた。
自分の今いる場所を愛するということ。
その愛は、自分を大切にすることにつながる。
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