第二百五話想像力という名の勇気を手放さない
北に緑豊かな山脈をいだき、南には陽光がキラキラと輝く、おだやかな内海がありました。
春にはレンゲの花が咲きほこり、秋には田んぼの稲穂が黄金色に揺れる、素朴でのどかな風景は、彼の心にしっかりと根付いたのです。
特に、幼い頃住んだ夙川は、たびたび自身の小説で描写するほど懐かしい場所でした。
一歩そこに足を運べば、一気に、幸せだった少年時代に出会える。
そんな場所を持てた幸福を、小松は大切にしました。
小松左京。
その活動は、多岐にわたりました。
本業は、SF作家。星新一、筒井康隆と並ぶ、SF御三家のひとりです。
17歳で漫画家としてデビュー。
学生時代も、京大生の漫画家として新聞に紹介されました。
ラジオ番組の構成作家として、夢路いとし・喜味こいしの漫才台本を書いたり、大阪万博の成功の一翼を担うブレーンとして貢献したり、ルポライターとしてイースター島や黄河を旅したり、その活躍はまさに八面六臂(はちめんろっぴ)。
しかも彼の真骨頂は、全て自分で調べ、自分の目で見て確かめるバイタリティーでした。
そんな中、最も大切にしたのが、想像力でした。
「我々は、技術革新、機械文明について、イマジネーションが足りなさ過ぎたのかもしれないねえ。小説っていうのは、ある種のシミュレーションなんです。頭の中のシミュレーション。真のイマジネーションだけが、真のシミュレーションになるんです。これはねえ、勇気がいることです。怖いからねえ、想像するってことは。でも、私は思いますよ。人間が想像力を失ったら、もう終わりだって」
人類の未来を常に見つめたSF界のレジェンド、小松左京が人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
『日本沈没』で一世を風靡した小説家、小松左京は、1931年1月28日、大阪に生まれた。
五男一女の次男。
父は、もともと千葉県館山市の網元の出身だったが、薬剤師を輩出する薬学専門学校に入学。
そこで、人形町の薬局の娘に恋をする。
二人は、めでたく婚約。
父は、大阪で金属加工の仕事を見つけ、ひとり東京を離れた。
その直後、1923年9月1日。関東大震災が起きる。
母は、被災。なんとか生き延びた。
小松は幼くして、母から、この震災での体験を繰り返し聞くことになる。
一面の焼野原。ひとびとは、食べ物を求めてさまよう。
子ども心に想像する。
それは、どれほど恐ろしくも壮絶な世界だろう…。
今日ある日常が、明日保証されることはない。
そんな感覚が、小松に植え付けられた。
他の兄弟たちは、母がする震災の話を怖がり、嫌がったが、小松だけは違った。
「お母さん、もっと聞かせて。そのときのこと、聞かせて」
そこに、小松左京が『日本沈没』を書く原点があった。
ねだる我が子に、涙ながらに語る母。
小松の目からも、なぜか涙がこぼれる。
想像力の羽は、早くも羽ばたこうとしていた。
SF界の巨匠、小松左京は、子どもの頃、病弱だった。
野山を駆け回り、ボール遊びをする同級生に混じることはできない。
家でひとり、本を読んだ。漫画や映画にも夢中になった。
狭い部屋が、雄大な砂漠になったり、火星になったり、海の底に変わったりする。
「そうか、頭の中だけは自由なんだ。何を考えてもいい、何を想像してもいいんだ」
その発見は、驚きだった。
自分は、どこにだって行ける、何にだってなれる。
本が好きな小松に、兄は科学を教えた。
「いいか、この世には、知らなくちゃいけないことがあるんだ。それはな、科学だ。今に、日本に技術の時代が来る。おまえも、文学ばかり読んでないで、科学の本を読め。いいな」
体が少し丈夫になると、小松は快活な性格になった。
小学5年生のときには、子ども向けニュース番組のキャスターになった。
ラジオドラマにも出演。当時の文化を享受した。
いわゆる「お調子者」。
中学に入ると、「うかれ」というあだ名がついた。
それはどこか、自身の根暗を隠す、隠れ蓑だったのかもしれない。
ときは、軍国主義一色。
神戸第一中学に入ってからは、空襲と軍事教練に明け暮れた。
先輩や上官に、理不尽に叩かれる。
「たるんでいるから、眠いんだ! 気合が入っていないから、お腹がすくんだ!」
意味がわからなかった。
眠いものは眠いし、お腹がすけば集中力は切れてしまう。
小松の想像力は、彼にこう告げた。
「どうせ、戦争が続いて、みんな死んでしまうよ」
小松左京は、戦争時代を生き延びた。
同い年のたくさんの少年たちが、戦地で散った。
特に、沖縄で命を落とした仲間を思うと、ひどく心が痛んだ。
「もしかしたら、彼等は自分だったかもしれない…」
生き残ってしまったものの、責任がのしかかる。
兄は、小松に言った。
「広島に落ちたのは、あれは、原子爆弾という恐ろしい爆弾なんだ」
そのときの兄の目は、怖かった。
あとにも先にも、優しい兄があんな目をすることはなかった。
「戦争は、ダメだ。戦争をしたら、人類はほんとうに滅びる」
兄は吐き捨てるように言った。
中学2年生のときに、学校の図書委員だった。
そのとき、『世界文学全集』を片っ端から読んだ。
いちばん最初にあったのが、ダンテの『神曲』。
地獄が出てきた。煉獄が出てきた。
あらゆる空間、時空を超える物語。
それこそが小説であり、SFだった。
小松左京は、思い出す。
終戦直後、友達とかくれんぼをしたとき、草むらでふと、少女がつぶやいたひとこと。
「ねえ、空襲がないのっていいわね」
作家、小松左京は、自分のありったけの想像力を駆使して、勇気をもって小説を紡いだ。
その先に彼が描いたのは、平和だった。
子どもたちが幸せに笑うことができる、未来だった。
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