第三百八十話まわりのひとを幸せにする
渡辺崋山(わたなべ・かざん)。
崋山は、すぐれた画家であり、蘭学の研究者であり、そして田原藩に仕える家老でした。
田原市博物館には、彼の波乱万丈の人生や功績をたどる貴重な資料が展示されています。
1839年、46歳のとき、江戸幕府の鎖国政策に反した罪、いわゆる蛮社の獄で重罰に処せられ、そのおよそ3年後に、罪をかぶって自害。
田原藩の家臣や自分の家族に追手が来ないようにという判断によるものでした。
崋山は幼い頃から、貧困のため、お金を稼がねばならないという宿命を背負いつつ、常に「まわりのひとを幸せにするにはどうしたらいいか」という祈りにも似た願いを大切にしました。
田原藩は、渥美半島の付け根にある、一万石ほどの小さな藩。
海風の害を受けやすく、土地も痩せていたため、思うような収穫は望めない地域でした。
しかし、全国に多くの犠牲者を出した「天保の大飢饉」の際に、崋山の政策により、田原藩はひとりの死者も出さずにすみました。
幕府はこれをたたえ、全国で唯一、田原藩を表彰したのです。
彼には、画家になる夢がありましたが、いつしか絵のうまさはお金を稼ぐ手段になり、気がつけば、家老としての仕事が評価を受け、忙しくなり、絵画だけで生きていくことが許されなくなっていきます。
家族の笑顔が見たいから、寝る間を惜しんで模写の絵を描き、農家の財政を救うために、日夜、実地調査や政策に奔走し、国の未来のために、蘭学など外国の文化や風習を学ぶべきだと後進の指導にあたり、いわば、二刀流ならぬ、三刀流の生き方を貫いたのです。
その精神の根幹にあったのは、自分だけが幸せになることなどありえない、という考えでした。
まわりのひと、自分が所属する藩、そして、それらの集合体の国が豊かでないと、己の幸せは実現できない。
激動の幕末に、自らの信念を曲げずに戦い続けた賢人・渡辺崋山が人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
江戸時代後期の偉人・渡辺崋山は、江戸詰めの田原藩の藩士の息子として、江戸・麹町で生まれた。
田原藩の財政は、逼迫。
藩士への給金は、減棒の一途をたどる。
貧しかった。
しかも、父は病弱。
薬代が、さらに家計を圧迫した。
子どもは8人、祖母も入れれば11人の大家族。
家具や畳以外は、全部、質に入れ、その場をしのぐ。
子どもたちは、大半が奉公や養子に出されたが、そのほとんどが若くして哀しい死を迎えた。
崋山は、幼い妹や弟を奉公先に送る役目だった。
ちらちらと雪が舞う、1月。
弟の手を引き、板橋に向かう。
奉公先の主人が、ぞんざいに二人の手を引き裂く。
弟の目には涙があふれ、引きずられるように去っていくが、弟は、何度も何度も崋山を振り返る。
そのときの眼差しを、崋山は生涯、忘れなかった。
貧しさからの脱却。
そして、愛するひとを失わないためにはどうしたらいいか、考えるということ。
もともと、絵を画くのがうまかった。
似顔絵や高価な南画の模写を画き、家計を助ける。
画いて画いて画きまくる。
少しでもお金を得るためには、寝る時間を削るしかなかった。
当初は、絵の修行のためと思っていたが、気がつくと、お金のために画いている自分に絶望した…。
「ボクは、いったいなんのために生きているんだろう」
幕末の賢人・渡辺崋山が運命的な出来事に遭遇するのは、12歳のときだった。
画いた絵を売るために、日本橋界隈をふらふら歩いていた。
昨晩も徹夜。眠い。
満足に食べていないので、足元がおぼつかない。
いきなり見ず知らずの男性になぐられる。
「備前のお殿様がお通りになるんだ! 頭を低くしろ!」
目の前を、大名行列が行き過ぎる。
かすかに目をあげると、行列の主とおぼしきそのひとは、自分の歳と大差ない、子どもだった。
たくさんのひとに守られ、素敵な着物に身をまとい…。
「あの子と自分は、何が違うんだろう…。同じ人間に変わりないはずなのに…この違いは、なんだろう」
そのときの衝撃と違和感は、いつまでも崋山の脳裏にまとわりついた。
「ボクがあっち側にいくことは、できないんだろうか。そもそも、なぜボクはいま、知らない子どもにアタマを下げているんだろう…」
渡辺崋山は、大名行列を見て思った。
「貧しいボクが、もしもあっち側にいきたいと思うのであれば、ただひたすら努力するしかない。
フツウのひとがここでやめるなら、もうひとがんばりして、一歩前に踏み出そう。
何も持っていない自分が、違う自分に変わるためには、フツウなことをやっていてはダメだ…ダメに違いない」
崋山は、考え方をあらためた。
それまでは、どこかで自分を悲劇の主人公だと思っていた。
「貧しい家族を支えるために、仕方なく絵を画いている自分」に酔っていた。
ふと、幼くして奉公に行った、弟の眼差しを思い出す。
自分は、まわりのひとを幸せにしたい。
そのためだったら、働くことができる。
努力もいとわない。
明確な目標が、彼の心を浄化した。
相変わらず、お金のために絵を画くが、そのことに罪悪感も徒労感も抱かない。
この一枚を画くことで、今日のサツマイモが買える。
そして、自分の絵で喜んでくれるひとがいる。
こんな幸せはない。
自分の能力を最大限発揮することで、誰かを幸せにしている。
農民を飢えさせてはいけないと、作物を貯蔵し、まさかのときにそなえる。
絵を画くことで、自分の主義主張を文字が読めないひとに伝える。
蘭学者を育てることで、開かれた国、ニッポンをつくる。
三刀流を貫いた渡辺崋山は、誰かの幸せを願うことで、自分の幸せを手に入れた。
【ON AIR LIST】
MAKE YOU HAPPY / Tommy McGee
SMILE / 平原綾香
RUNAWAY / SUNNY & THE SUNLINERS
IMAGINE / John Lennon
★今回の撮影は、「田原市博物館」様にご協力いただきました。ありがとうございました。
営業時間など、詳しくは公式HPにてご確認ください。
田原市博物館 HP
閉じる