第二百二十九話リハビリの方法を見つける
イギリスの大英博物館の東洋調査部に入り、科学雑誌『ネイチャー』で世界にその名を轟かせた博物学者。
キノコ、コケ、シダ、藻など菌類の研究で知られる生物学者。
昆虫、小動物の採取標本で名高い生態学者。
英語、フランス語、イタリア語など、10か国以上の言葉を操るグローバリスト。
そのほか、植物学者、民俗学者など枚挙にいとまがありません。
民俗学の大家、柳田國男(やなぎた・くにお)は、最大の賛辞を込めて、彼をこう評しました。
「南方熊楠は、日本人の可能性の極限である」。
一方で、南方はこんな言葉を残しています。
「肩書がなくては己れが何なのかもわからんような阿呆どもの仲間になることはない」。
彼は、生まれながらにして、天才だったのでしょうか?
体の弱かった南方は、幼い頃から癇癪(かんしゃく)持ち。
てんかんの発作と闘う運命と共に生きました。
突然やってくる怒りを抑えられず、周りとトラブルを起こす。
自身はフツウと思うことが、周囲からは奇行に見える。
彼は孤独でした。
周りに合わそうとすればするほど、ひとはみな去っていく。
そんな彼にとって、植物や昆虫、菌類は、身近で優しい大切な友人でした。
彼等を見つめ、語らい、採取し、標本にする作業は、ある意味、南方にとって人生を通じてのリハビリだったのかもしれません。
ひとには、人生で何かひとつ、心の屈折やゆがみを整えるリハビリの道具が必要です、自分にyes!を言うために。
日本に「ミナカタあり」と世界中の学者を振り向かせた巨人、南方熊楠が人生でつかんだ明日へのyes!とは?
南方熊楠は、1867年、現在の和歌山市に生まれた。
南方家は金物・雑貨店として財を成す紀州一の豪商。
代々、海南市にある藤白神社を信仰していた。
この神社は、熊野の神が祀られ、大楠を守り神としていて、南方家の子どもたちは、必ず、熊、楠、藤のどれかを名前につけられた。
生まれつき体が弱かった熊楠は、特別に「熊」と「楠」の二文字を与えられる。
4歳のとき、大病を患った。
食べられないのにお腹がぽっこり出てしまう難病。
生死の境をさまよう。
叔母が寝ずに看病してくれた。
命を取り留めても、寝たきり。
叔母が話してくれる地元に伝わる民話を聴くのが好きだった。
特に、天狗が出てくる話をするとピタッと泣き止む。
秋のはじめ、寝ていると、コオロギの鳴き声がした。
物悲しい声。
家にあった百科事典でコオロギを調べると、その鳴き声を昔のひとがこう書いていた。
「鮓(すし)食いて、餅食いて、餅食いて、酒飲んで、綴(つづれ)刺せ、夜具刺せ」
コオロギの鳴き声を聴いたら、さっそく冬の備えをしなくてはならないという教えがあった。
ほんの小さな虫の鳴き声の中に、生活の知恵や戒めがあった。
百科事典を端から端まで熟読。
圧倒的な記憶力で覚えてしまう。
知識や教養が世界を拡げてくれることに感動した。
寝たきりの部屋が宇宙とつながることを、熊楠は知った。
南方熊楠は、小学校に入った途端、世間の冷たさに触れる。
家は、大富豪。父は鍋の商売で大儲けしていた。
何不自由なく大事に育てられたが、学校を占拠していたのは紀州藩士の子どもたち。
いかに金持ちの商人でも、士族にはかなわなかった。
「鍋屋! 鍋屋! 鍋屋のクマこう!」とはやし立てられ、バカにされた。
どうしてそんなふうに揶揄されるのか、わからない。
家の店先でも、侍くずれがいきなり鍋を持ち逃げしてお金を払わない現場を見た。
父が悔し涙を流す。
この世の中を支配している差別に腹が立った。
怒りを抑えきれず、同級生につかみかかる。
そのとき、自分の中に鬼を見た。天狗を見た。
争いごとが好きなわけではない。
ただ、理不尽なものをそのままにできない。
熊楠が下した結論はこうだった。
「なるべく、ひとにかかわるのはやめよう」
学校から帰ると、友だちと遊ぶことなく鍋の仕事を手伝う。
あるとき、ふと手が止まった。
鍋の包み紙に印刷された植物の絵。
綺麗だった。心惹かれた。
「なんてうつくしい草なんだろう…」
慌てて、百科事典で調べる。
こうして、熊楠と植物との長い蜜月が始まった。
中学に進んだ南方熊楠は、健康な体を手にしていた。
と同時に、先生も同級生も手を焼く異端児になっていた。
勉強が大嫌い。
授業中も寝ているか植物の本を読んでいた。
友だちともうまく交われない。
一度怒ると誰も止められないほど激昂し、相手を叩きのめした。
ついたあだ名が「てんぎゃん」。
紀州弁で「天狗」のことだった。
誰かと喜びや哀しみを分かちあいたくても、その近づき方がわからない。
ひたすら野山や海辺に出かけ、植物や昆虫に話しかけた。
特に草花の標本をつくっているときは幸せだった。
丁寧に、繊細に、標本画を画く。
彼は自分の目で見、自分の耳で聴いたものしか信用しないと決めていた。
そんなとき、熊楠はある教師に出会う。
鳥山啓(とりやま・ひらく)先生。
植物図鑑などを刊行する優れた植物学者だった。
先生は、熊楠が密かに授業中画いていた図面を取り上げ、こう言った。
「おい、みんな、南方が画いた、この標本図を見ろ! すごいよ、こりゃすごい、何がすごいって、たった一本の線にも嘘がないんだ! いいか、たった一本の線にも嘘がないっていうのは、すごいことなんだ」
感動して涙を流す鳥山を見て、熊楠の目にも涙がたまった。
先生が何を褒めてくれているのかはわからない。
でも、初めて誰かに認めてもらったことだけは理解できた。
「南方、おまえはこのまま突っ走れ、いいんだ、他の授業なんかサボってもいい、このまま突き進め!」
鳥山に背中を押され、熊楠はもう迷わなかった。
ときどきやってくる発作を抑えるかのように、彼は植物や菌類、昆虫や小動物を採取しては、精密に標本画を描いた。
それは彼にとって、果てしないリハビリの時間であり、果てしない幸福の時間になった。
【ON AIR LIST】
MAMBO DE MACHAGUAY / Lucho Neves Y Su Orquesta
CAN'T MAKE IT / SAPO
I'D BETTER / Carlton Jumel Smith
FLORES / La Chamba
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