yes!~明日への便り~presented by ホクトプレミアム 霜降りひらたけ

第七話 受け入れるということ -佐藤万平-

yesとは?

  • 語り:長塚圭史
  • 脚本:北阪 昌人

『自分にyes!と言えるのは、自分だけです』
今週あなたは、自分を褒めてあげましたか?
古今東西の先人が「明日へのyes!」を勝ち取った命の闘いを知る事で、週末のひとときをプレミアムな時間に変えてください。
あなたの「yes!」のために。

―放送時間―
TOKYO FM…SAT 18:00-18:30 / FM大阪…SAT 18:30-19:00
FM長野…SAT 18:30-19:00 / FM軽井沢…SAT 18:00-18:29

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第七話受け入れるということ

軽井沢には、落葉松が多い。
秋を迎え、黄金色に輝く落葉松の葉が、ゆらゆらと地面に落ちています。
枯葉を踏みしめる感触は、ふかふかとしていて、その香りは、鼻の奥に、つんと懐かしさを残します。
森の奥に小道を行けば、瀟洒なホテルが見えてきます。

『万平ホテル』。

ジョン・レノンが愛し、三島由紀夫、池波正太郎ら、文人が、こぞって宿泊し、軽井沢の西欧文化の象徴として威厳を保ち続けた、国内最初のリゾートホテルのひとつ。

120年以上もの歴史を刻む、このホテルをつくった男がいます。

佐藤万平。

軽井沢の地に文化を花開かせた男のロマンが、あなたに語りかけるyes、とは?

まずは佐藤万平のこんな言葉から始めましょう。
「ホテルは、ひとなり」。

ひとは苦境に立ったとき、どうするか。
逃げる?呆然と成り行きを待つ?それとも、立ち向かう?

かつて軽井沢は、中仙道の宿場町として栄えた。
やがて時を経て、国道ができ、鉄道が走り、ひとであふれた街道はすたれ、ぺんぺん草が生えるようになっていった。
江戸時代のおわりに開業した旅籠『亀屋』も休業状態に追い込まれた。
そんなある夏の日、この旅籠のことを聞きつけた二人の外国人がやってくる。

「ここに泊まることはできますか?」

彼らこそ、後に軽井沢西欧文化の礎を築く、宣教師のアレキサンダー・クロフト・ショーと、東京帝国大学で英語を教えていた、ジェームズ・メイン・ディクソン。
人通りのない宿場町、吹き抜ける乾いた風、草はらに、森、そして遠く望む浅間山。木陰のひんやりした空気。
それらの匂いや風景は、彼らに故郷を想い出させた。
彼らに日本の夏はこたえた。蒸し暑さに辟易した。
この地には、スコットランドの風が吹く。

「夏の間、ここで過ごしたい」。

避暑地としての軽井沢の誕生だった。
旅籠『亀屋』の主人、佐藤万平は、思った。
「外国人の習慣を学び、彼らを迎え入れる準備をしよう」。

常々、感じていたことがある。
食べていくためには、時代に対応しなくてはならない。
ここ軽井沢は、宿場町。どんな旅人も受け入れてきた懐の深さがある。それが誇りだった。それが旅籠の使命だった。
万平は、学んだ。言葉もわからず、風習も違う。それでも、前だけを見つめて、走り始めた。
『亀屋』を、『亀屋ホテル』という名に変えた。
二人の外国人は、祖国に帰り、一軒の旅籠を宣伝した。
「軽井沢にはあるんだ、ホスピタリティ、もてなす心が!」

初代佐藤万平の意志を継いだのが、二代目万平の、佐藤国三郎だった。
彼は初代万平の娘「よし」の婿養子。
小学校の先生をしていた。彼は思った。

「これからは、洋風文化を学ばなくてはいけない」。

宣教師のショーの布教活動に同行して、耳から英語を体得した。
およそ6年間。さまざまな地におもむき、西欧を吸収した。
軽井沢に戻った国三郎は、亀屋を西欧風のホテルに改装する。
場所も移し、借金もいとわなかった。初代万平と、二代目万平、国三郎が手を組み、現在の『万平ホテル』を作り上げた。

MANPEIというアルファベット。外国人の指導を仰ぎ、MANPEIの、Nを、Mにした。
これで外国人が「マンペイ」と読める。
その当時の看板は、今も、ホテルに掲げられている。
Nを、Mにする。ただそれだけのこと。
でも、ただそれだけのことに、おもてなしの真髄が見える。
ひとを迎え入れるということ。
どんな旅人も、迷わせないということ。
ただそれだけのことができるかどうかで、生死が決まる。
それが、人生。
万平ホテルのステンドグラスに降り注ぐ秋の陽は、虹のようにさまざまな色をロビーに散らした。

二代目万平、国三郎は、とにかく軽井沢を愛した。
口は悪いが、ハートは熱かった。

「ウチだけが栄えても、仕方がない。万平ホテルは、この街とともにある」。

軽井沢エフエムの代表取締役 佐藤泰春は、祖父である、二代目佐藤万平、国三郎について、忘れられない思い出を持っている。高齢になり、足を患った国三郎。
だが、街の様子を見にいくことをやめなかった。
当時、車椅子などない。リアカーに西洋の籐椅子を縛り付け、鎮座する。それを引くのが、まだ学生だった泰春の仕事だった。
ホテルを出て、商店街を走る。
一軒一軒、丁寧に訪ねる。「どうだ?やってるか?」
「困ったことはないか?」
泰春は、恥ずかしかった。同級生が見て笑っている。
ちゃんと走らないと、後ろからステッキで叩かれた。
「しっかり引かんか!」
でも、今にして思う。
祖父の人間としてのあったかさ。何よりひとを大切にしたこと。
満身創痍にも関わらず、そこまでして街を愛した、いとおしい姿。
祖父はよく言っていた。

「ホテルは、ひとなり」。

ホスピタリティは、そんなに難しいことではない。
自分がしてほしいことを、相手にする。
笑顔になってもらうために、まず自分が笑顔でいる。
yesと言ってほしいときは、
まず、あなたが誰かにyesと言ってみる。
万平ホテルのロビーには、今日も旅人がやってくる。

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PROFILE

  • 長塚 圭史

    語り:長塚 圭史

    1975年生まれ。東京都出身。96年、演劇プロデュースユニット「阿佐ヶ谷スパイダース」を旗揚げ、作・演出・出演の三役を担う。08年、文化庁新進芸術家海外研修制度にて1年間ロンドンに留学。帰国後の11年、ソロプロジェクト「葛河思潮社」を始動、三好十郎作『浮標(ぶい)』を上演する。近年の舞台作品に、『鼬(いたち)』、『背信』、『マクベス』、『冒した者』、『あかいくらやみ~天狗党幻譚~』、『音のいない世界で』など。読売演劇大賞優秀演出家賞など受賞歴多数。
    また、俳優としても、NHK『植物男子ベランダー』、WOWOW『グーグーだって猫である』、WOWOW『ヒトリシズカ』、CMナレーション『SUBARUフォレスター』など積極的に活動。

  • 北阪 昌人

    脚本:北阪 昌人

    1963年、大阪生まれ。学習院大独文卒。
    TOKYO FMやNHK-FMなどでラジオドラマ脚本多数。
    『NISSAN あ、安部礼司』(TOKYO FMなど全国FM37局ネット)、『ゆうちょ LETTER fo LINKS』(TOKYO FMなど全国FM38局ネット)、『世界にひとつだけの本』(JFN)、『AKB48の私たちの物語』(NHK-FM)、『FMシアター』(NHK-FM)、『青春アドベンチャー』(NHK-FM)などの脚本・構成を担当。『プラットフォーム』(東北放送)でギャラクシー賞選奨、文化庁芸術祭優秀賞受賞。『月刊ドラマ』にて、『ラジオドラマ脚本入門』連載中。
    主な著書に『世界にひとつだけの本』(PHP研究所)、『えいたとハラマキ』(小学館)がある。

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NEWS

特別版『オードリー・ヘップバーンが教えてくれる、明日へのyes!』
常盤貴子さん長塚圭史さん
風も、雨も、自ら鳴っているのではありません。 何かに当たり、何かにはじかれ、音を奏でているのです。
誰かに出会い、誰かと別れ、私たちは日常という音を、共鳴させあっています。
YESとNOの狭間で。
あなたは、自分に言っていますか?
YES!ささやかに、小文字で、yes!
毎週土曜日、明日(あした)への希望の風に吹かれながら、自分にyes!と言ったひとたちの物語を朗読でお届けしている番組『yes!明日への便り』。 1月8日は、その特別版「オードリー・ヘップバーンが教えてくれる、明日へのyes!」をお送りいたします。
2018年に没後25年を迎える稀代の大女優オードリー・ヘップバーンの波乱万丈な人生―女優になるまでの波乱に満ちた半生、輝かしい女優時代、ユニセフ親善大使として世界中の子どもたちに尽くした晩年までを、 女優の常盤貴子さんが演じます。
長塚圭史は「語り」の部分やオードリーの夫、また彼女の人生に影響を与えた映画監督の役を担当します。女優、オードリー・ヘップバーンが、私たちに教えてくれる、明日へのyes!とは?

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