第七話受け入れるということ
秋を迎え、黄金色に輝く落葉松の葉が、ゆらゆらと地面に落ちています。
枯葉を踏みしめる感触は、ふかふかとしていて、その香りは、鼻の奥に、つんと懐かしさを残します。
森の奥に小道を行けば、瀟洒なホテルが見えてきます。
『万平ホテル』。
ジョン・レノンが愛し、三島由紀夫、池波正太郎ら、文人が、こぞって宿泊し、軽井沢の西欧文化の象徴として威厳を保ち続けた、国内最初のリゾートホテルのひとつ。
120年以上もの歴史を刻む、このホテルをつくった男がいます。
佐藤万平。
軽井沢の地に文化を花開かせた男のロマンが、あなたに語りかけるyes、とは?
まずは佐藤万平のこんな言葉から始めましょう。
「ホテルは、ひとなり」。
ひとは苦境に立ったとき、どうするか。
逃げる?呆然と成り行きを待つ?それとも、立ち向かう?
かつて軽井沢は、中仙道の宿場町として栄えた。
やがて時を経て、国道ができ、鉄道が走り、ひとであふれた街道はすたれ、ぺんぺん草が生えるようになっていった。
江戸時代のおわりに開業した旅籠『亀屋』も休業状態に追い込まれた。
そんなある夏の日、この旅籠のことを聞きつけた二人の外国人がやってくる。
「ここに泊まることはできますか?」
彼らこそ、後に軽井沢西欧文化の礎を築く、宣教師のアレキサンダー・クロフト・ショーと、東京帝国大学で英語を教えていた、ジェームズ・メイン・ディクソン。
人通りのない宿場町、吹き抜ける乾いた風、草はらに、森、そして遠く望む浅間山。木陰のひんやりした空気。
それらの匂いや風景は、彼らに故郷を想い出させた。
彼らに日本の夏はこたえた。蒸し暑さに辟易した。
この地には、スコットランドの風が吹く。
「夏の間、ここで過ごしたい」。
避暑地としての軽井沢の誕生だった。
旅籠『亀屋』の主人、佐藤万平は、思った。
「外国人の習慣を学び、彼らを迎え入れる準備をしよう」。
常々、感じていたことがある。
食べていくためには、時代に対応しなくてはならない。
ここ軽井沢は、宿場町。どんな旅人も受け入れてきた懐の深さがある。それが誇りだった。それが旅籠の使命だった。
万平は、学んだ。言葉もわからず、風習も違う。それでも、前だけを見つめて、走り始めた。
『亀屋』を、『亀屋ホテル』という名に変えた。
二人の外国人は、祖国に帰り、一軒の旅籠を宣伝した。
「軽井沢にはあるんだ、ホスピタリティ、もてなす心が!」
初代佐藤万平の意志を継いだのが、二代目万平の、佐藤国三郎だった。
彼は初代万平の娘「よし」の婿養子。
小学校の先生をしていた。彼は思った。
「これからは、洋風文化を学ばなくてはいけない」。
宣教師のショーの布教活動に同行して、耳から英語を体得した。
およそ6年間。さまざまな地におもむき、西欧を吸収した。
軽井沢に戻った国三郎は、亀屋を西欧風のホテルに改装する。
場所も移し、借金もいとわなかった。初代万平と、二代目万平、国三郎が手を組み、現在の『万平ホテル』を作り上げた。
MANPEIというアルファベット。外国人の指導を仰ぎ、MANPEIの、Nを、Mにした。
これで外国人が「マンペイ」と読める。
その当時の看板は、今も、ホテルに掲げられている。
Nを、Mにする。ただそれだけのこと。
でも、ただそれだけのことに、おもてなしの真髄が見える。
ひとを迎え入れるということ。
どんな旅人も、迷わせないということ。
ただそれだけのことができるかどうかで、生死が決まる。
それが、人生。
万平ホテルのステンドグラスに降り注ぐ秋の陽は、虹のようにさまざまな色をロビーに散らした。
二代目万平、国三郎は、とにかく軽井沢を愛した。
口は悪いが、ハートは熱かった。
「ウチだけが栄えても、仕方がない。万平ホテルは、この街とともにある」。
軽井沢エフエムの代表取締役 佐藤泰春は、祖父である、二代目佐藤万平、国三郎について、忘れられない思い出を持っている。高齢になり、足を患った国三郎。
だが、街の様子を見にいくことをやめなかった。
当時、車椅子などない。リアカーに西洋の籐椅子を縛り付け、鎮座する。それを引くのが、まだ学生だった泰春の仕事だった。
ホテルを出て、商店街を走る。
一軒一軒、丁寧に訪ねる。「どうだ?やってるか?」
「困ったことはないか?」
泰春は、恥ずかしかった。同級生が見て笑っている。
ちゃんと走らないと、後ろからステッキで叩かれた。
「しっかり引かんか!」
でも、今にして思う。
祖父の人間としてのあったかさ。何よりひとを大切にしたこと。
満身創痍にも関わらず、そこまでして街を愛した、いとおしい姿。
祖父はよく言っていた。
「ホテルは、ひとなり」。
ホスピタリティは、そんなに難しいことではない。
自分がしてほしいことを、相手にする。
笑顔になってもらうために、まず自分が笑顔でいる。
yesと言ってほしいときは、
まず、あなたが誰かにyesと言ってみる。
万平ホテルのロビーには、今日も旅人がやってくる。
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