第十話 ひとを喜ばす
数々のミステリー作家、推理小説家が、軽井沢を舞台に、謎解きや、犯人捜しの物語を紡ぎました。
松本清張『熱い絹』、内田康夫『軽井沢殺人事件』、そして、横溝正史の『仮面舞踏会』。
なぜ、かくも作家たちが、こぞって軽井沢を舞台にしたのでしょうか。
彼らが夏の二か月間、避暑に訪れていた、という物理的な理由もあるでしょう。
でも、軽井沢の森が、ある意味、守られた空間が、ミステリーの舞台にふさわしい雰囲気をかもしだしているのは、確かなことに思われます。
横溝正史は、金田一耕助シリーズで人気を博した、日本を代表する推理作家のひとりです。
彼は、五十を過ぎた頃から、軽井沢に別荘をかまえ、旺盛な執筆活動に励みます。
構想十年あまりを経て完成した長編『仮面舞踏会』は、彼の推理文学の集大成であるばかりか、軽井沢の風景を留めた傑作です。
横溝正史が、軽井沢で見つけた、yesとは?
彼のyesから見えてくる、大切なメッセージとは?
作家・横溝正史は、1902年、神戸に生まれた。
5歳のとき、母親が亡くなった。このときの喪失感は、終生、彼の心に残り続けた。
翌年、新しい母親がやってくるが、彼の心は閉ざされたままだった。
大人しい少年。読書だけが唯一の救いだった。
探偵小説を読むと、ワクワクした。犯人の顔、探偵の姿、想像の世界で遊んだ。
中学に入っても、友達はできなかった。運動は苦手。
学校でも家でも、ひとりぼっちだった。
中学3年のとき、西田徳重君と、仲良くなる。彼もまた探偵小説が好きだった。
放課後、夕闇迫る校舎の裏で、小説について、いつまでも語り合った。
中学を出て、家業の薬屋を継ぐため、大阪薬学専門学校に入る。
19歳で、初めての小説『恐ろしき四月馬鹿』が、懸賞の一等に入選。大正15年、江戸川乱歩の招きで、東京に出た。
作家活動を順調にスタートさせた矢先、横溝を病が襲った。
肺結核。血を吐いた。
やむなく、富士見高原療養所に入院。
退院後も、信州上諏訪に転地療養をした。
信州の風景は、彼の心に、忘れられない思い出を刻んだ。
優しく包み込んでくれる山々、あたたかいひとのぬくもり。
清純な風が、彼の執筆を支えた。
彼は書き続けた。読者の中に、かつての自分のような孤独な少年がいるかもしれない。
その少年に言ってあげたかった。
「大丈夫、そのうちに、友達ができる。キミに優しく寄り添ってくれる仲間ができる」
作家・横溝正史は、どんなに有名になっても、いばることは、なかった。誰にでも気さくに接し、笑顔で応対した。
その人柄に魅かれ、たくさんの友人知人ができた。
新人作家が借金を頼みに来ると、「いいよ」お金を貸した。
映画化の話があると、「いいよ」二つ返事でOKした。
自分がこうして推理小説家として生きていられることが奇跡だと思った。
ただ、心の闇は抱えたままだった。
毎晩酒を飲む。閉所恐怖症で、電車にひとりで乗るのが辛かった。妻と乗れば、その手をぎゅっと離さずにいた。
昭和33年、軽井沢を訪れ『霧の別荘』という小説を書きあげる。
翌年には別荘を構え、以来、夏の二か月をこの地で暮らすようになった。
かつて療養生活をしていた頃、自分を癒し、支えてくれたものと、同じ風が、ここには吹いている。
森の小道をゆけば、構想が湧いてきそうな気がした。
ある日の白日夢。
幼い自分が、川辺の石に腰掛けて、横溝正史の小説を読んでいる。
ひとは、誰かを救う前に、自分を救わなければいけない。
横溝正史は、1962年、60歳のときに、『仮面舞踏会』という長編を発表する。
雑誌『宝石』に半年あまり、連載した。
舞台は軽井沢。彼が、五十を過ぎて別荘を構えた場所。
物語に出てくる、広大な敷地に立つ屋敷。
その描写は、こんなふうだ。コロニアル風のベランダ、天井は二階まで吹き抜けになっており、中央からシャンデリアが下がっている、大きな暖炉、扇形の背のついた籐製の安楽椅子がある、そんなレトロな道具たちが、ミステリーに奥行きを持たせる。
浅間山に離山。風景もまた、小説の大事な演出になる。
横溝正史の筆は、とまることを知らぬように進んでいく。
それはまるでこの軽井沢という場所への、恩返しのようにも思える。
体の弱い自分を招き入れ、孤独だった心を癒してくれたこの地への感謝。
『仮面舞踏会』という小説の最後。大団円。
ひとりの男がこんな言葉を吐く。
「ぼくは、かぞえ年六つの年に母を失ったのです。母が恋しいのです。ひと一倍母が恋しいのです」
五十年以上経ったそのときにもなお、横溝の心には、母を失った喪失感が消えていなかった。
むしろ、その喪失感を埋めるために、膨大な推理小説を残したようにも思える。
ただ、彼はいつも、忘れなかった。
ひとを喜ばすということ。
ひとりぼっちの少年につかの間でも、孤独を忘れさせてあげるほどの、エンターテインメントをつくりあげる。
そのために、命を削った。
彼の笑顔は、作品のそのもの。
いまも愛され続ける作品たちが、彼のぬくもりを証明している。
彼はまず自分を救い、そして、たくさんのひとに想像という羽を授けた。
彼のこんな声が聴こえる。
「いいよ、キミは、そのままで」
閉じる