第百五十話全ての基本は正しい姿勢
鎌倉時代後半、寺を建てるために土を掘ったら、古びた石の箱が出てきました。
その箱の中に、中国・唐の時代のお経「円覚経」が入っていたところから、寺の名を円覚寺としたといわれています。
夏目漱石は、自身の悩みと向き合うため、何度もこの寺を訪れ、座禅の行に励みました。
その熱心さは、『門』という小説で円覚寺の山門を描くほどでした。
この円覚寺の住職であり、有名な弓道家として、亡くなった今も信者が絶えない僧侶がいます。
須原耕雲(すはら・こううん)。
彼は、50歳で弓道に出会い、弓を引く前から引いたあと、全ての所作に、座禅と同じ宇宙を見ました。
彼が説く、姿勢や呼吸の大切さは、私たちの日常生活にも生かされるべきものです。
耕雲は、一息座禅をすすめました。
「一息座禅というのは、日常の一息一息の間に、座禅の力を発揮していこうというものである。電車に乗ったら、立ってつり革につかまり、少し足を開き、目を薄く閉じて、一息分、反省をするんです。あのとき、ああ言ってしまったのは、自分が出来ていない証拠だな、というふうに。また、煙草をたしなむひとは、たった一本の煙草の間に、座禅と同じようにきゅっとお尻に力を入れて、息を大きく吐きながら我が身を振り返る。一日たった一息で、ずいぶん世界が変わります」
一息座禅こそ、ひと矢ひと矢に我が身をのせる、弓道から学んだことなのかもしれません。
住職にして弓道家、ローマ法王の前でも弓を引いた男、須原耕雲が人生でつかんだ明日へのyes!とは?
北鎌倉・円覚寺の僧侶、須原耕雲は、1917年1月20日、東京・日本橋に生まれた。
2歳のとき、父の転勤で香港に渡る。
5歳のとき、母が亡くなった。
亡くなる前、病院に母を見舞ったときのことを耕雲は、覚えている。
母は細くて優しい声で言った。
「これ、お食べ」
パンをくれた。丸いコッペパン。
さらに母は、こう言った。
「お腹の中にねえ、赤ちゃんがいるのよ」
母が亡くなり、焼き終えた骨が引き出される。
最前列にいた。
かっと目を見開き、全てを見ていた。
5歳の子どもには、過酷な現実。
でも耕雲は、目をそらさなかった。
母の死後、街角で母に似たひとを見かけると、あとをついていった。
でも結局、自分とは関係のないひとだ。
肩を落として家路についた。
何度も繰り返すうちに、いつしか、ついていくのをやめた。
父は会社を辞め、そのまま香港に残り、退職金で日本料理店を開いた。
日本から板前を呼ぶ。寿司に天ぷら、すき焼きも出した。
繁盛した。
やがて父は店のオーナーだけではなく、香港にやってくる日本人の世話をするようになる。
さまざまな日本人が父を頼ってやってきた。
浪曲師、講談師。画家や相撲取り。
いろんなひとに頼りにされる父が、自慢だった。誇りに思った。
でも、そんな父との別れのときが、近づいていた。
北鎌倉・円覚寺の住職にして弓道家の須原耕雲は、小学5年生のとき、父から離れることになる。
香港での暮らし。耕雲は、やんちゃで無鉄砲。勉強などしない。
父はいつも、もてあましていた。
ある日、日本から来た大洋丸という船が、香港の港に着いた。
その船の料理長は父の友人。
『深川のおじさん』として耕雲もしたっていた。
「大洋丸に、めし食いにいこう」
父に言われて、うれしかった。
豪華な西欧料理を食べる。
いつのまにか寝てしまう。
耕雲が目を覚ますと、海の上だった。
そこに父の姿はない。
「お父さんとは、しばらくお別れだ。今からおじさんと日本に行くよ」
深川のおじさんにそう言われて、涙が出た。
自分は、父に捨てられた…。
この強烈な思いは、生涯、耕雲の心に刻み込まれることになった。
東京・大森にあるおじさんの家に着く。真冬で寒い。
手に息を吹きかける。冷たい手は、そのままだった。
おばさんが迎えてくれる。
「寒いのかい?」と聞かれたので、「はい」と答えた。
「どれ、手を出してごらん」
あったかい両手で包んでくれるのだと、子ども心に思う。
両手を差し出す。
しかし…おばさんは、耕雲の手の甲をバシンと叩いた。
「さあ、これであったかくなったでしょ」
背を丸めて自分の手に息を吹きかける姿がひどく醜いことを、そのときの耕雲は、まだ知らなかった。
須原耕雲は、幼いながらに知った。
全ての基本は、姿勢にある。
見ていて清々しい姿勢は、保つのに苦労する。
キツイ。苦しい。
でも、勝負のギリギリ、人間同士の戦いの最終段階は全て、「正しい姿勢」を保てたものに軍配があがる。
身体が美しいと書いて、躾(しつけ)と読む。
東京のおばさんは、耕雲に躾を教えたのだ。
母を喪い、父に捨てられ、天涯孤独の淵にいた彼に、おばさんは容赦なかった。
でもその裏には、精一杯の優しさがあった。
「世の中に出たら、苦しいことだらけ。我慢しなくちゃいけない。辛くても平気な顔をしていなくちゃならない。そんなとき、姿勢をしゃんとしさえすれば、心は保てるんだよ」
さらに中学にあがったときの恩師は、こう言った。
「いいか、人間の修行というものは、バケツで水を汲むと思っちゃいけない。ザルだ、ザルで水を汲む、そういう気持ちでいかねばならないんだ」
耕雲は思った。
楽な姿勢、というのがある。
だらっとする。
背を丸め、ポケットに手をつっこんで歩く。
でもそれでは、丹田は鍛えられない。
凛とした意見も考えも沸いてはこない。
常にお尻に力を入れ、しゃんと背筋を伸ばす。
一息吐くごとに、自らの姿勢を正す。
耕雲は、思い出していた。
誇らしかった父は、いつも姿勢が綺麗だった。
誰に誇るわけでもなく、自分のために胸を張る。
明日のために、背筋を伸ばす。
【ON AIR LIST】
Breathe and Stop / Q-Tip
ALONE AGAIN / Gilbert O'Sullivan
SMILE NOW, CRY LATER / Sunny & The Sunliners
青空 / スガ シカオ
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